画像提供:門司区役所
「さあ、1000円でいこう!誰か、いないか!」
張りのある威勢のいい声と、トントンと木板を叩く軽快なリズム。福岡県北九州市、門司港レトロ地区。休日の昼下がり、旧門司税関や港ハウス前の広場に足を運ぶと、どこからともなく、この賑やかな声が聞こえてくる。

高く掲げられた黄色いバナナに、売り手の巧みな語り口、それを取り囲む観客の笑顔。旅の途中でふと足を止めた人の多くは、この光景を「レトロな街並みを彩る、昭和の懐かしいパフォーマンス」として受け止めるかもしれない。
しかし、その活気あふれるやり取りの奥には、単なるノスタルジーにとどまらない、人と人とが心を通わせるドラマが存在する。
門司港の「バナナの叩き売り」は、今も門司の街に息づく「生きている文化」そのものなのだ。
時代を越えて響く、バナちゃん節の声
門司港名物「バナナの叩き売り」の発祥は、明治36(1903)年にさかのぼる。台湾の基隆(キールン)港から、最も近い日本国内の拠点であった門司港へ、7かごのバナナが運ばれてきたのが始まりだ。

明治41年以降になると、バナナは大量に輸入されるようになる。しかし、当時はまだ冷蔵船も定温倉庫もない時代。はるばる海を渡ってくるバナナの中には、輸送途中で蒸れて、熟しすぎてしまうものも少なくなかった。
そうした「籠熟(かごうれ)」と呼ばれる熟したバナナや傷モノは、市場で競りにかけることができず、放置すれば腐ってしまう運命にあった。
そこで立ち上がったのが、露天商たちである。熟してしまったバナナを無駄にせず、すぐさまお金に変えるための「商人の知恵」として、路上で木板を叩き、テンポよく声を張り上げて売りさばき始めたのだ。

門司港の「バナナの叩き売り」において欠かせないのが、「バナちゃん節」と呼ばれる伝統歌である。
「バナちゃんの因縁聞かそうか 生まれは台湾台中の 阿里山麓の片田舎 台湾娘に見染められ……」
台湾の阿里山(アリサン)や基隆(キールン)港から海を渡り、門司港へとたどり着く。そんなバナナの旅路を情感豊かに歌い上げたものだ。
独特な節回しのメロディを持つ「バナちゃん節」は、観客に「一体何が始まるのだろう」とワクワクさせ、売り場の熱気を一気に高める重要な役割を持っている。

全盛期の門司港では、港から桟橋通りにかけて60軒ほどもの露店がひしめき合っていた。積み上げられた黄色いバナナの山と、街に響き渡る威勢のいい口上。商売の「熱気」と「活気」が、不夜城のように賑わいを生み出していた。
しかし、その活気あふれる風景も、時代の荒波に呑み込まれていく。
第二次世界大戦の影が忍び寄ると、台湾からの貿易船は途絶えてしまう。港からバナナが姿を消すと同時に、街を包んでいた賑やかな声も潰えてしまった。
さらに、戦後の高度経済成長期を迎えると、大型冷凍船やトラック物流が急速に発達。スーパーの棚にバナナが並ぶ時代が訪れる。わざわざ路上で声を張り上げ、駆け引きをしながらバナナを売り切る必要は、もうなくなってしまったのだ。
一度は過去の語り草となり、人々の記憶から消えかけていた門司港の「バナナの叩き売り」文化に、再び命が吹き込まれたのは、昭和50年代(1970年代)のこと。
「この街の熱気と、誇るべき歴史をもう一度取り戻したい」
そう立ち上がったのが、当時、門司校区の自治協会長・同公民館長を務めていた井川 忠義氏である。井川氏は門司港にふたたび活気を取り戻すべく、かつて路上で声を張り上げていた職人や古老たちの家を、一軒一軒、訪ね歩き始めた。
当時の職人芸の世界には「録音絶対禁止」「技は目で盗むもの」という厳しい掟が存在した。それでも、「秘伝の口上をなんとか後世に残したい」という一心から、懐にこっそりテープレコーダーを忍ばせ、声を拾い集めた人もいたという。
そうした人々のあふれる情熱と記憶の断片を一つひとつ繋ぎ合わせることで、途絶えかけていた叩き売りは、奇跡的な復活を遂げたのだ。

昭和51(1976)年、半世紀ぶりに露店での実演が再開された当初、それは「昔の港の賑わいを再現する」というパフォーマンスの意味合いが強く、かつてを懐かしむ人々の前で、保存された技を披露する試みだった。
けれども、現在の「門司港バナナの叩き売り連合会」は、そこから一歩踏み出し、叩き売りが始まった当時と同じように、自らバナナを仕入れ、リスクを背負い、目の前のお客さんと真剣に言葉を交わしながら、商品であるバナナを売り切る——。そうした「商売」として姿勢を、今も大切に守り続けている。
「バナナの叩き売り」は、買い手側が味わう「心理戦」と「ライブ感」にこそ、楽しみがある。
実は、バナナをお得に買うのは、思いのほか難しい。一房に10〜20本もついた立派なバナナを、最初に「1,000円!」と提示された段階で「買った!」と手を挙げれば、見栄は張るものの、決して安くはない。
かといって、安くなるのを待ちすぎていると、横から別の人に買われてしまい、一瞬で売り切れてしまう。売り手と買い手だけでなく、「買い手同士の心理戦」が生まれるのが実に面白いところだ。
大人になると「少しでも安く買いたい」という計算が働くのか、最初は様子見でなかなか手が挙がらない。そんな中、臆せず最初に元気に手を挙げるのは、意外にも子どもたちだったりする。
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また、叩き売りには「売り手の人柄」もよく表れる。いきなり「はい、1万円!」と威勢よく冗談を飛ばして笑いを誘う売り手もいれば、場を和ませるため、まずはバナナを1本サービスしてみせる器の大きい売り手もいたり、「人柄」と「腕」の見せどころだ。
門司港には、レトロな街並みを楽しみに多くの観光客が訪れるが、もともと台湾からバナナが輸入された背景もあって、とりわけ台湾からの旅行者に「バナナの叩き売り」は響くという。「バナちゃん節」には、台湾の地名も登場する。
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海外からの観光客に対しても、ベテランの今村さんはあえて日本語のまま、叩き売りを押し通す。威勢のいい啖呵に圧倒されつつも、「お得に買いたい」という気持ちは世界共通。言葉の違いなど吹き飛ばし、夢中で競りに参加する姿が多く見られる。
しかし、そこはベテランの今村さん。金銭が絡む、絶対に譲れない場面では「ノー!」と英語を挟み込むなど、絶妙なユーモアとバランス感覚で、国籍問わず場を巻き込み、楽しい競りの場をつくりあげる。

大きな声で売り、「自分を表現できる場所」へ
「バナナの叩き売り」を次世代へつなぐため、かつては「バナちゃん道場」という形で技術の継承が試みられたこともあった。
しかし、当時は個人主導の取り組みだったこともあり、どうしても活動が限定的になりがちで、「足を踏み入れにくい世界」という印象が拭えずにいた。
そこで、複数の保存団体をひとつにまとめた「バナナの叩き売り連合会」を発足。さらに門司区役所とタッグを組み、新たに「門司港バナナ塾」を立ち上げた。
今年で20期を迎える「門司港バナナ塾」だが、その運営をサポートしているのが、門司区役所で「バナナ担当」を務める大西さんである。

自身も北九州の伝統文化「小倉祇園太鼓」の担い手である大西さんは、文化を継承する難しさやその価値を身をもって知る一人。だからこそ、今村さんたち連合会の取り組みに深く共感し、行政としてのサポートの意義をこう語る。
「バナナの叩き売り」は職人さんの世界ということもあり、以前はどこか入りづらい雰囲気があったかもしれません。
ですが、門司区役所が広報や受付を担うことで、中立的な立場から「誰もが安心して飛び込めるきっかけ」を作ることができました。
事務や受付は役所がサポートし、技の伝承は連合会の皆さんにお任せする。そうした役割分担があるからこそ、良い環境が守られているのだと感じています。
こうして門戸が広く開かれた「門司港バナナ塾」(全10回講座)には、門司区内にとどまらず、北九州市内や市外、さらには遠方からも幅広い人々が集まってくる。中には、大分県から遥々通う受講生までいたという。

参加する人々の背景も、実に多様だ。「活気のある接客」を自分の店に生かしたい八百屋さん、演劇の表現力や発声を磨きたい劇団員、さらには高齢者施設でのレクリエーションで喜んでもらいたい福祉職員など、目的はさまざまである
なかでも印象的だったのが、引きこもりがちだった30代の男性が「バナナの叩き売りに興味がある」と、バナナ塾の門を叩いたときのエピソードだ。
最初は恥ずかしがり屋で大人しかった男性だが、大声を出し、人前で口上を披露する体験を重ねるうちに、少しずつ表情がやわらぎ、自信を取り戻していった。遠くで見守っていた親御さんは、我が子が再び社会とつながるきっかけを掴んだ姿に、深く感謝していたという。
門司港における「バナナの叩き売り」は、ただの歴史継承にとどまらず、人々の「生きがい」や「社会へ踏み出す窓口」としても力を発揮している、地域を紡ぐ伝統芸能だ。

長年、バナナ塾で後継者を育ててきた今村さんは、大らかで茶目っ気あふれる人柄から、多くの塾生に慕われている。
門司港の伝統芸能「バナナの叩き売り」は、口伝によって守られてきた。伝統である以上、「バナちゃん節」という大切な基礎や型は、しっかり受け継いでいかなければならない。
その一方で、今村さんが大切にしているのは、すべてを型通りに押し付けることではなく、自分らしい口上を楽しむ「寛容さ」だ。自身も、お年寄りが多い現場では「オレオレ詐欺防止」を織り込んだ口上を披露し、バナナを売りながら注意喚起を行っている。
「電話でお金はすべて詐欺 振り込むお金あるならば 私のバナちゃん買いなされ……」
そう歌って場の空気を和ませる姿には、職人としての「粋」と「温かみ」が溢れている。

去年の受講生の中には、栄養士の知識を活かし、「バナナの栄養素」を七五調の口上にして歌い上げた人もいたそうだ。若い世代が、よさこい風のBGMに乗せてラップ調にアレンジする姿に対しても、今村さんは笑顔でこう語る。
一人ひとり違うんだから、僕はもう何も言わないよ。その人らしいカラーを出せばいい。
ただ、伝統である「バナちゃん節」の基礎だけは、ちゃんと守らないかんね。
若手たちが成長し、「自分たちのグループを作りたい」と言い出したときも、今村さんは彼らの活躍を喜び、自分たちで運営する練習ができるようにと、背中を押した。
こうして個性を尊重しながら「のれん分け」のように広がりを見せた結果、現在の「門司港バナナの叩き売り連合会」は、「門司港バナナの叩き売り保存会」をはじめ「バナナ節保存会」「き楽や」など、個性豊かな7つの団体で構成されている。
伝統という芯をしっかり守りながら、その人らしい個性を引き出し、包み込む。だからこそ、門司港の「バナナの叩き売り」の文化は、懐かしくもありながら、風化することなく今も生き生きと咲き誇っているのだ。

さらに、「バナナの叩き売り」は観光客向けとしてだけではなく、地元の人々の心(シビックプライド)にもしっかりと根を張っている文化である。
「バナナの叩き売り」が一堂に会する「バナちゃん大会」では、子どもたちも参加できる「子どもバナナの叩き売り」が設けられている。
参加した小学生たちは、最初はおどおどしていても、おじいちゃんやおばあちゃん世代の指導を受けながら声を張り上げ、掛け合いを重ねるうちに、表情を明るく輝かせていく。
そうして叩き売りを体験した子どもたちは、大人になって街で再会したときも「俺、知っとるよ!バナちゃん節、歌えるよ!」と、嬉しそうに声をかけてくれるという。

さらに地元の門司学園(中高一貫校)では、10年以上前から文化祭などで「バナナの叩き売り」が継承されており、大人が教えに行かずとも先輩から後輩へ、伝統が自然と引き継がれている。
観客だった市民や子どもたちが、いつしか「伝える側」へと回る。そうした循環の中で、街への「愛着」と「誇り」がしっかりと根づいているのだ。
なぜ、門司港で「バナナ」を買ってしまうのか
門司港の「関門海峡ミュージアム」には、入場無料で見学できる「バナナ資料室」がある。ここを訪れれば、門司港とバナナが歩んできた貴重な歴史や資料、当時の道具などを体系的に学ぶことができる。

こうした歴史を正しく知り、文化の成り立ちに思いを馳せる場があることは、地域のアイデンティティを守るうえで大きな役割を果たしている。
展示室の資料を眺めているうちに、ふと疑問が湧いてきた。
「どうしてみんな、わざわざ門司港でバナナを買うのだろうか?」
旅のお土産といえば、その土地ならではの特別な品や、珍しい特産品を選ぶのが一般的だ。それに比べれば、バナナという果物はあまりにも日常的で、スーパーに行けばいつでも手に入る身近な存在にすぎない。
しかし、門司港においての「バナナ」の価値は、「叩き売り」というイベントに参加することで、一気に飛躍する。

威勢のいい啖呵、木板を叩く軽快なリズム、独特のメロディで歌われるバナちゃん節。
「さあ買った!」と始まる「バナナの叩き売り」に参加した瞬間、どんなお土産を買うときよりも、買い手の胸は激しく高鳴る。
私たちが門司港で手に入れているのは、単なるバナナという「商品」ではない。安くなるのを待つ緊張感、手を挙げるドキドキ感、そうした、門司港にいる「時間そのもの」を買い求めているのだ。
身近で平凡なバナナが、その場にいる全員を巻き込み、忘れられない特別な思い出へと変わっていく。これほど心躍るお土産の買い方は、門司港でしか味わえないのだ。

門司港のレトロな街角を歩いていると、ひと際目を引く1基の「黄色いポスト」に出会う。
景観規定の厳格な門司港レトロ地区において、今村さん属する連合会が「街を明るくしたい」との一心で、行政や郵便局と交渉を重ね、数年越しで実現させた思い入れのあるポストだ。
そのポストについて、今村さんは目を細めながらこう語ってくれた。
バナナは黄色でしょ?だから街に黄色を増やしたかったの。街全体が明るくなるし、黄色は幸せの色だからね。
景観のことで役所とすったもんだして、やっと1個作ってもらったよ。飾りじゃなくて、本当に手紙が出せる「生きているポスト」だからね。
飾られるだけのオブジェクトではなく、実際に誰かの想いを運ぶ、「生きているポスト」。門司港の「バナナの叩き売り」も、それと同じだ。
過去の歴史をガラスケースに閉じ込めるのではなく、旅人の心を揺さぶり、日常へと持ち帰るストーリーを与える、「生きている文化」——。
取材を終えて自宅に戻り、食卓にぽんと置かれた一房のバナナを眺めたとき、今村さんの温かい笑顔と、楽しそうにバナちゃん節を歌う姿がふっと頭に浮かんだ。
門司港を訪れた旅人もきっと、バナナを手にするたび、競り場の熱気、そして思わず胸が弾んだあの瞬間を鮮やかに思い出すのだろう。
取材協力:門司区役所 総務企画課

