北海道東部、知床半島の東側に位置する羅臼町(らうすちょう)。流氷が運ぶ栄養が海を育み、羅臼昆布や多様な魚介類をもたらすこの土地では、大自然の恵みと人々の営みが深く結びついている。
一方で、現在の羅臼町は基幹産業である漁業の変化や著しい人口減少といった、切実な地域課題に直面している。そんな町で、長らく放置されていた宿泊施設の跡地を再生し、新たな命を吹き込もうとしているのが「らうす餐荘」だ。

2026年7月7日(火)に開業したらうす餐荘が目指すのは「施設の中だけで完結する旅」ではない。羅臼の自然や食、一次産業、そして地域に暮らす人々をつなぎ、訪れるゲストがこの土地の深みを体感する「入り口」となることだ。
世界自然遺産という繊細な環境下で、観光事業は地域に何をもたらすことができるのか。支配人である浅利友也さんの言葉から、地域と共に育ち、未来へ還元する「リジェネラティブな観光」のあり方を探る。

浅利友也さん
青森県出身。22歳で地元の宿泊業に携わった後、ウェディングコンサルティング会社に勤務し、北海道・関東・関西で経験を積む。その後、道内の宿泊施設で支配人を務め、2025年に株式会社リバイタライザーズへ入社。らうす餐荘の開業準備を経て、現在は同施設の支配人を務める。
羅臼への想いが、廃業ホテル跡地を再生へと導く

らうす餐荘の始まりは、単なる「新しい宿泊施設の開業」という言葉では語りきれない。背景にあったのは、羅臼に長年通い、その自然と町の変化を見つめてきた2人のオーナーの視点と、この土地に何かを返したいという強い想いだった。
─── まず、「らうす餐荘」のプロジェクトが立ち上がった経緯を教えていただけますか。
浅利さん:計画が動き始めたのは6年ほど前だと聞いています。らうす餐荘には2人のオーナーがいまして、そのうちの1人はワシやクジラの写真を撮るのが趣味で、数十年前から羅臼に足繁く通っていたんです。そうして足を運ぶ中で、強く目に留まったのが、2010年に廃業した「知床観光ホテル」の大きな廃墟だったそうです。
浅利さんによれば、そこは地元の方も怖がって近づかないような、地域の中で完全に孤立した場所だったという。
浅利さん:羅臼はもともと漁業の町として非常に栄えていたのですが、全国的な流れと同様に、漁業が衰退して町全体が疲弊していました。80年代には8,000人ほどだった人口が、今は4,000人を切ってしまいそうな状況です。[1][2]
オーナーたちがこうした現状や放置された廃墟を目の当たりにし、「羅臼に何か貢献できないか」と考えたのがきっかけだったと聞いています。
観光施設の開発は、外から人を呼び込むための投資として語られやすい。しかし、らうす餐荘の出発点にあったのは「地域に取り残された場所をどう生かすか」という問いだった。ただの新規開発ではなく、宿泊施設跡地を宿として再生すること。それは、羅臼の過去と未来をつなぎ直す取り組みでもあるのだ。
採算の壁を越えた、情熱と覚悟のプロジェクト

旧知床観光ホテルの撤去には、環境省の「国立公園利用拠点滞在環境等上質化事業」が活用された。2020年8月に補助金の交付決定を受けて解体工事に着手し、宿の構想も具体性を帯びていく。
しかし、採算性や建築コストなど、実現までにはいくつもの壁が立ちはだかる。再生への一歩を踏み出しても、プロジェクトの道のりは平坦ではなかった。
浅利さん:普通に考えれば、採算性などの面で立ち上がるはずのない事業だったかもしれません。障壁もたくさんありました。しかし、オーナーたちは「このエリアが好きだ、やるしかない」と、決して歩みを止めませんでした。
建築コストは膨れ上がり、工期も延びた。それでも構想が途切れなかった背景には、事業計画の合理性だけでは測れない確固たる覚悟があったからだという。
浅利さん:2024年7月に、羅臼町役場でらうす餐荘の建設計画を発表する記者会見が開かれました。実はその時点でも、まだクリアすべきハードルが山積しており、決して万全の体制だったわけではないと聞いています。
それでも、「ここで引いたら二度とできない。前へ進もう」と踏み切ったそうです。
地域の暮らしに寄り添い、観光への「温度差」と向き合う

地域の外から来た事業者が新しい宿泊施設をつくるとき、必要なのは周囲からの期待を受け止めることだけではない。そこで暮らす人々の不安や慎重な姿勢も丸ごと受け止め、土地の空気を読みながら人間関係を築いていく覚悟が求められる。
期待と危機感の中で迎えられた新しい宿泊施設
─── 「らうす餐荘」という新しい宿泊施設が参入することに対して、地元の方々や他の事業者の方々はどのような反応をされていますか。
浅利さん:おおむね期待を寄せていただき、好意的に受け止めていただいていると感じています。
羅臼にはこれまで、明るい話題が少なかったという側面もありました。漁業が衰退し、人も減っていく中で、皆さんが危機感を強く持たれていた。そこに一つの新しい話題ができたことは、ポジティブに捉えていただけているのではないかと思います。
─── スタッフの採用については、どのように進められているのでしょうか。
浅利さん:厨房に関しては、大阪から来た料理長がお弟子さんを連れてきてくれたのですが、フロントやサービス、清掃等のスタッフに関しては、基本的には地元の方を社員やパートとして採用しています。
地方だと求人を出しても誰も来ないという話も聞いて覚悟していましたが、ありがたいことに最悪の状況にはならず、現状のメンバーと派遣スタッフでスタートできるところまで来ました。
季節によって需要が大きく変動するこの環境で、地元の人々を「通年」で雇用することは、事業者にとって非常に大きな挑戦だ。だからこそ、この町に年間を通じた安定的な働き口を生み出すことは、地域を内側から力強く支え、活力を生む原動力となっていく。
このように新たな宿泊施設の誕生は、地域に雇用などの希望をもたらす。
一方で、世界自然遺産を抱えるこの地域においては、環境や人々の暮らしに少なからず影響を与える側面も併せ持つ。そうした懸念に真摯に向き合うべく、らうす餐荘は開業前から関係者との対話を幾度となく重ねてきた。
浅利さん:世界自然遺産地域で宿をやるということの意味を、我々もオーナーも深く考えています。羅臼の自然の恵みを食として提供するにしても、漁協の方、酪農家の方、一次産業に従事されている皆さんのご協力があって初めて、ゲストに価値を提供できるんです。
地域資源を単に「消費」するのではなく、地域の営みに寄り添いながら共に価値を生み出していく。その視点こそが、地域に受け入れられる持続可能な観光の土台となるのだろう。
「生活を荒らされたくない」という本音を読む
─── 実際に地域の方々と対話を重ね、開業に向けた準備を進める中で、気づいたことや、意見がぶつかったことはありましたか。
浅利さん:大きな反対はありませんが、観光に対する考え方や関わり方には、人や団体によって温度差があると感じています。「観光で町を盛り上げたい」という熱量が全員同じかというと、正直そうではない部分もあります。
羅臼の方は、自分たちの生活のペースをとても大切にされています。観光産業を活性化させて町を盛り上げたいという想いがある一方で、自分たちの平穏な生活の場を荒らされたくないという想いもある。
その2つの想いの間で、羅臼特有の「人見知り」というか、閉鎖的とはまた違う、慎重な姿勢は感じますね。
浅利さんによれば、公式の場では厳しい反応を示す人でも、一対一で会うと歓迎してくれることがあるという。形式的な話し合いだけでなく、泥臭く一人ひとりと顔を合わせる機会を積み重ね、地域との距離を縮めているそうだ。
羅臼の恵みを「食」に翻訳する

羅臼の海は生態系が非常に多様で、海の中にも四季が存在する。豊富なプランクトンを求めてクジラやシャチが訪れ、流氷が運ぶ栄養が羅臼昆布を育て、それをウニや魚が食べる。そこには、知床のウトロ側とはまた違った豊かな食物連鎖が息づいている。
浅利さん:昔はウニがそこらじゅうに転がっていて、漁師さんがカレーにウニを入れるのが普通だったという嘘のような本当の話もあるくらい、羅臼では海の恵みが身近なんです。
こうした圧倒的な生命の循環こそが、羅臼ならではの食文化を支える土台だ。しかし、この豊かな恵みを宿の「食」としてゲストに届けるにあたり、ひとつの壁にぶつかっていたという。
ゼロから築き上げた地産地消のサプライチェーン

都市部の飲食業界であれば、発注の手配をすればその日の夕方には食材が納品されるのが当たり前だが、羅臼では事情が全く異なる。
浅利さん:現在は少しずつ形になりつつありますが、着手した4月の時点では、仕入れルートは本当にゼロからのスタートでした。都市部のように発注すれば夕方に届くわけではなく、大手食品会社も基本的には配達エリア外です。
それに加え、古くから羅臼の水産業は「獲れたものを外へ出す」という一方通行の流通が基本で、地元で消費する仕組みがほとんどありませんでした。
また、宿の食事として提供するには、衛生管理の観点から頭や内臓を取り除く「一次加工」を済ませた状態で納品してもらう必要がある。しかし、大量の域外出荷を前提とした既存の漁業システムの中で、らうす餐荘のためにこうした細やかな下処理を請け負ってくれる業者を見つけるのは容易ではなかった。
浅利さん:そうした細かな対応をしてくださるパートナーを探し出す作業に、かなりの時間を費やしました。私と料理長の2人でとにかく足を使って人に会い、道東地域のさまざまな場所へ通い続けたんです。
そうして対話を重ねる中で、「自分たちにできることなら協力するよ」と言ってくださる方々が現れ、なんとか食材を確保できるようになってきました。
自然に溶け込む宿が羅臼の魅力を伝える

らうす餐荘が目指す滞在は、羅臼の自然を遠くから眺めるだけのものではない。建築、客室、食、温泉熱の活用まで、宿そのものを通じて、この土地の環境や歴史を感じられるよう設計されている。
数十回練り直した、環境に馴染む建築
─── 建築様式や空間づくりにおいて、設計段階で特に意識された点はありますか。
浅利さん:やはり、この地域の環境に馴染むようなデザインということは一番に心がけていただきました。設計デザインは、数十回にわたって練り直しを繰り返したと聞いています。
「自然との共生」は我々の命題です。客室には自然光を大きく取り入れ、すぐ下を流れる羅臼川のせせらぎが聞こえてくるような空間にしています。また、ゲストにゆったりと寛いでいただくために畳のスペースを設け、調度品も日本的な情緒を感じさせるものを厳選しています。
世界自然遺産の周辺で宿を営むうえでは、建物が景観や地域の空気と自然に調和することも大切な価値になる。部屋に差し込む光や川の音、畳の感触。目立つことよりも土地に馴染むことを優先した宿泊施設の設計は、滞在者が羅臼という土地に身体をなじませる入口となっている。
羅臼が持つ「圧倒的な超自然」

─── そうしたこだわりの空間や土地の恵みを通じて、ゲストにどのようなことを感じてほしいと期待していますか。
浅利さん:結局のところ、「羅臼の魅力を知っていただきたい」という一言に尽きると思います。自然が持つ本来の力、人が自然によって癒される力を肌で感じていただけきたいです。
─── 浅利さんご自身が感じる「羅臼の持つ魅力」とは何でしょうか。
浅利さん:単に「大自然」という言葉では表現しきれない、「圧倒的な超自然」とでも言うべきものです。田舎が好きといったレベルの話ではない、根源的な強さを感じます。
海と山、川、野生動物が近い距離でつながり、季節ごとに異なる表情を見せる羅臼。その自然は、旅行者が遠くから眺めるだけの風景ではなく、光や音、空気を通じて身体に迫ってくる存在だ。
浅利さんが「超自然」と表現するのは、景観の美しさだけでは捉えきれない、この土地の力強さなのだろう。らうす餐荘では、客室に差し込む自然光や羅臼川のせせらぎを通じて、その力を感じられる空間を目指している。
温泉熱で冬を支える、環境配慮と経営の両立
─── 施設運営の面において、温泉熱の活用といった環境への配慮も徹底されていますが、こうした取り組みは経営面においてもメリットが大きいのでしょうか。
浅利さん:はい、経営面でも非常に大きなメリットになっています。1年の半分が冬のような土地ですから、熱源の大部分を温泉熱でまかなえるというのは、光熱費削減の点でも非常に大きいです。
設計担当の方からは、非常に壮大で複雑なシステムを構築する必要があったと聞いています。機械室は20室規模の宿としては考えられないほどの設備で、初めて見たときは驚きました。
自然環境を尊重する宿づくりは、美しい理念であると同時に、運営の現実とも結びついている。寒さの厳しい地域で暖房や給湯にかかるエネルギーをどうまかなうかは、環境負荷だけでなく事業継続に関わる死活問題だ。
こうした地域資源を活かす温泉熱の活用など、徹底したエネルギー設計が評価され、らうす餐荘は「ZEB Ready(ゼブレディ)※」の認証を取得している。[3] 土地の力を借りながら宿を持続させるこれらのシステムは、リジェネラティブな取り組みの根幹でもある。
※ZEB Ready(Net Zero Energy Building Ready):
断熱性の向上や高効率な設備の導入により、快適な室内環境を保ちながら、一般的な建物と比べて基準一次エネルギー消費量を50%以上削減した、環境配慮型の建物のこと。[4]
環境省と探る、国立公園にふさわしい宿のあり方
らうす餐荘は2025年3月、環境省の「国立公園ならではの宿泊施設に関する試行的取組」に採択された。当時、らうす餐荘はまだ開業前で、宿泊施設としての運営実績がない段階でありながら、全国5施設の一つに選ばれたのだ。[5]
この取り組みでは、国立公園内の宿泊施設が自然を守りながら地域と連携し、その土地ならではの滞在体験を旅行者へ届ける方法を検証している。そこで得た成果や課題を、今後の宿泊施設づくりの指針に生かすことが目的だ。
らうす餐荘の歩みは、今後の国立公園内宿泊施設のあり方を考えるモデルケースとして注目されている。
羅臼の未来を共に描く。観光が地域を豊かにする「循環」の仕組み

─── 世界自然遺産というデリケートな環境において、観光による経済振興と自然環境や地域の保全のバランスをどのように取っていくお考えでしょうか。
浅利さん:ゲストの皆さんには、まず羅臼の「野生動物」や「環境」に対する深い理解を持っていただきたいと考えています。
たとえばヒグマに対しても、「自分たちが後からクマの場所にやってきたんだ」という謙虚な気持ちを持つこと。それがこの地で観光を成立させるための大前提だと思っています。その上で、羅臼に「観光文化」がもっと根付き、それによって経済が回り、皆さんの生活がより良い方向に回っていく一助になれればと思っています。
私たちはゲストの滞在を、らうす餐荘内だけで終わらせるつもりはありません。外のお土産屋さんや飲食店へゲストを送り出す仕組みを作りたい。そのためにも、宿泊プランは「1泊2食付き」という固定観念から脱却し、ゲストの要望に合わせたオーダーメイドの滞在を提案していきたいと考えています。
─── 最後に、羅臼が持続可能な観光地としてさらに発展していくために、地域全体として今後どのようなことに取り組んでいく必要があると考えていますか。
浅利さん:外から来るゲストを、事業者と町の人が一緒になって、同じホスピタリティを持って迎える。そうした雰囲気を、官民一体となって作っていくことが重要だと思います。
羅臼にはまだ「ウェルカム感」が足りない部分もあるかもしれません。なので行政も含めて、羅臼の未来を一緒に描ける「空気感」を育てていく。それが、持続可能な地域への第一歩ではないでしょうか。
消費から再生へ。らうす餐荘が示す「リジェネラティブ」な旅の形
らうす餐荘の挑戦は、廃墟となった宿泊施設の跡地を再生することから始まった。しかし、その歩みをたどると、単に新しい宿をつくるだけのプロジェクトではないことが見えてくる。
羅臼に通い続けたオーナーたちの「この地域に何か貢献したい」という想い。漁業の変化や人口減少に向き合う町の危機感。世界自然遺産という繊細な環境の中で、野生動物や地域の暮らしに敬意を払いながら観光を成り立たせようとする姿勢。らうす餐荘は、こうした土地の記憶や課題を丸ごと受け止めながら、宿のあり方を模索している。
「ゲストの滞在を、自社の施設内だけで終わらせるつもりはありません」と浅利さんは語った。ゲストを町へ送り出し、羅臼の自然や食、一次産業、人の営みに直接触れてもらう。その循環が生まれたとき、宿泊施設は単なる滞在場所ではなく、地域と旅行者をつなぐ「入口」になるのだ。
観光によって地域を消費するのではなく、人が訪れることで地域の未来が少しずつ良くなっていく。らうす餐荘が目指すのは、そんな新しい観光文化の土台づくりなのだろう。
