2026年7月14日から15日にかけて、熊本城ホールで「第2回グローバル・ネイチャー・ポジティブサミット2026」が開催された。世界から2,725人が集まり、その約3分の2を企業・金融セクターの関係者が占めたという。
会期最終日には、85の企業・団体が賛同する「熊本宣言」も採択され、生物多様性の損失を止め、反転させる「ネイチャーポジティブ」の実現に向けて、とりわけ企業と金融の行動を加速させていくことが確認された。今回、熊本の会場で何度も耳にしたのは、森や水、生きものそのものの話だけではなかった。
「自然の価値を、どう測るのか」
「その価値を、どう会計や経営の意思決定に組み込むのか」
「そして、それをどう投資につなげていくのか」
そんな、これまでの自然保全の議論とは少し異なる、経済・金融に踏み込んだ問いが繰り返し投げかけられていた。
「自然を守る」から、「自然と経済の関係そのものを再設計する」へ。
今回のサミットで最も強く感じたのは、この変化だった。
パラドックスの自覚から始まる
初日のセッションでは、UNDP(国連開発計画)人間開発報告書室長のペドロ・コンセイソン氏らが、現代社会が直面する「人類の大躍進と自然の大衰退」というパラドックスを提示した。

この100年で、人類の平均寿命は約2倍に延び、絶対的貧困や乳幼児死亡率も大幅に減少した。世界経済の規模も、この150年で約10倍に拡大している。人類は、かつてないほど豊かで、長く生きられる社会をつくり上げてきた。しかし、その豊かさの裏側で、自然の姿は大きく変わっている。
野生の哺乳類は、わずか4%
地球上に存在する哺乳類の「重量」をみると、人間が約36%、家畜が約60%を占め、野生の哺乳類はわずか4%にすぎないという。つまり、地球上の哺乳類の大半が、人間と、人間が飼育する家畜になっているのだ。100年前とは、ほとんど正反対ともいえる構成になっている。
人間は豊かになった。一方で、野生動物が生きる余地は大きく失われてきた。
では、「人間の豊かさ」と「自然の豊かさ」は、本当に両立できるのだろうか。この問いこそ、ネイチャーポジティブを考えるうえで重要な出発点なのかもしれない。
自然の損失は「環境問題」だけではない

生物多様性の損失に対する社会の受け止め方も、大きく変わってきた。セッションでは、その変化を指摘する声が相次いだ。
「生物多様性」とは、簡単にいえば、地球上にさまざまな生きものが存在し、それぞれがつながり合って生態系をつくっている状態のこと。そして「ネイチャーポジティブ」とは、その生物多様性を含む自然の損失を止め、さらに回復に転じさせようという考え方だ。
こうした自然の問題は、以前は「環境を守るために取り組むもの」と捉えられることが多かった。
しかし今、その位置づけは変わりつつある。自然の損失は、企業の評判やESG評価に関わる問題だけではない。原材料が調達できなくなる。農作物の生産量が減る。水資源が不足する。災害リスクが高まる。自然が失われることは、企業の事業そのものに影響するのだ。
だからこそ、自然の損失は「環境問題」であると同時に「経営リスク」でもあり、自然を回復させることは新たなビジネス機会にもなり得る。この認識が、企業や金融の世界で急速に広がっている。
自然を守るだけではなく、お金の流れを変える
では、ネイチャーポジティブを実現するには、何が必要なのか。多くのセッションでは、次のような行動が示された。
- 自然の30%を保護する
- 損なわれた自然の30%を回復する
- 農業・漁業・林業・製造業などの主要産業において、資源の過剰利用や環境負荷を減らすとともに、森林・里山・河川・海などの自然環境を再生し、自然と共生しながら経済成長を実現する産業構造へ転換する
- 人々の行動や価値観を変えていく
そのなかでもUNDPが特に強調していたのが、「お金の流れを転換すること」だった。
どれだけ素晴らしい自然保全の取り組みがあっても、そこに継続的にお金が流れなければ、大きな社会変化にはつながりにくい。だからこそ、公的資金や民間資金、そして投資を、どうすれば自然を損なう活動から、自然を再生する活動へと向けていけるのか。この問いが、今回のサミットを貫く大きなテーマの一つになっていた。
「自然の価値」をどう測るのか

コンセイソン氏らが紹介した、2026年版の人間開発報告書の構想も、お金の流れを変えるという議論の延長で聞くと興味深い。これまでの社会の豊かさや発展を測る指標では、自然がもたらす価値を十分に捉えられてこなかった。
たとえば、森が水を蓄えたり、湿地が洪水を防いだり、海が魚を育てたりする。こうした自然の働きは、私たちの暮らしや経済を支えているにもかかわらず、「経済成長」などの数字には十分に表れにくい。そこで新たに提案されているのが、「自然関係指数」と「複合環境ハザード指数」という2つの指標だ。
人間の豊かさと自然の豊かさは、同時に測れるか

「自然関係指数」は、人間が自然とどのように関わっているのか、そして自然が人間にどのような価値をもたらしているのかという、双方向の関係性を捉えるもの。人間の暮らしの豊かさを測る「人間開発指数」と組み合わせることで、人間の豊かさと自然の豊かさを、どちらも高めていく道筋を描こうとしている。
環境リスクは、なぜ偏って現れるのか
もう一つの「複合環境ハザード指数」は、熱帯サイクロンや洪水などの環境リスクに、どの地域がどの程度さらされているのかを可視化するものだ。AIや衛星画像を活用し、25km四方という細かな単位でリスクを把握する。
そこから浮かび上がるのは、開発レベルが低い地域ほど、環境ハザードへの曝露が高いという厳しい現実でもある。つまり、自然の問題は「自然を守る」という話だけではない。人々の暮らしや貧困、災害、経済格差とも深くつながっている。
「知っている」を「動く」に変えるもの
測る手立てが整うことと、企業や投資家が実際に動き出すことのあいだには、まだ距離がある。今回のサミットで繰り返し語られていたのは、その距離をどう埋めるかという問題だった。その手がかりになるのが、目指す未来を描く物語と、専門家以外にも届く言葉である。
人を動かすのは「危機」だけではない
今回の議論で特に印象に残ったのは、危機やリスクを強調するだけにとどまらなかったことだ。
恐怖や制約を訴えるのではなく、「こんな未来をつくりたい」という希望や大きな目標を起点に、人々や資金を動かしていく。コンセイソン氏らが使った「アスピレーショナル」という言葉には、そんな考え方が込められていた。
金融を動かすために必要なのは、数字だけではない。どんな未来をつくりたいのか。その未来は、私たちにとってどんな意味があるのか。そして、そこに投資することで、どんな社会を実現できるのか。人を動かし、資金を動かし、社会を変えていくためには、データだけでなく、「未来の物語」も必要なのだ。
「生物多様性」より「自然」と呼ぶ理由
もう一つ印象に残ったのが、Conservation Internationalの登壇者から出た「言葉」の話だ。企業の経営戦略に自然を組み込むためには、「生物多様性」という専門用語だけで説明するのではなく、「自然(nature)」という言葉を使うことが重要だという。
「生物多様性」と聞くと、どうしても専門的で難しい印象を受ける。一方、「自然」という言葉なら、誰もが自分の暮らしや経験と結びつけて考えることができる。森、川、海、そこに暮らす生きもの。そして、それらから受け取っている水や食料、心地よい環境。「自然」という言葉には、人と自然との個人的なつながりを思い出させる力がある。
専門的な議論を、企業経営者や一般の人々の「自分ごと」に変えていく。その橋渡し役として、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)のような自然関連の情報開示フレームワークが重要になるという見方も示された。
つまり、「自然が大切だと知っている」から、「企業として実際に行動する」へ。その間にある距離を埋めることが、これからの大きな課題なのだ。
「測れないもの」に値段をつける
とはいえ、資金を動かすには、「なぜそこに投資するのか」を説明できる根拠が必要になる。ここで浮かび上がってきたのが、自然の価値を「測る」という難しい課題だ。あるセッションでは、企業側から「生物多様性の測定は複雑で、わかりにくい」という率直な声が紹介された。
CO2排出量であれば、「何トン排出したのか」という比較的シンプルな指標で表すことができる。一方、生物多様性や自然の状態は、森林、土壌、水、生きものなど、さまざまな要素が複雑に関係している。自然には、CO2排出量のように誰もが共通して使える単一の指標がまだない。これが、自然の価値を金融の世界に組み込むうえで、大きな壁になっている。
自然の価値を「金融の言葉」に翻訳する
この課題に対する一つの答えとして紹介されていたのが、科学データを使って自然の変化を「価値」に翻訳するアプローチだ。
たとえば、NPP(純一次生産量)やHANPP(人間による純一次生産物の収奪量)といった指標を使い、「1ヘクタールの森林を適切に管理することで、生態系の生産力がどれだけ高まったのか」を定量的に捉える。
少し難しく聞こえるが、考え方はシンプルだ。自然に良いことをした結果、「何が、どれだけ良くなったのか」を科学的なデータで示す。気候変動の分野では、「CO2を何トン削減したのか」という数字が、企業や投資家にとって共通の言語になっている。
同じように自然の分野でも、「自然をどれだけ回復させたのか」を測る共通言語をつくろうとしているのだ。この共通言語がなければ、金融機関は自然関連のリスクとリターンを適切に評価できない。そうなれば「ネイチャーポジティブ」は、いつまでも理念やスローガンのままで終わってしまう。
過去の「自然ブーム」が続かなかった理由

自然資本に注目が集まるのは、今回が初めてではない。2010年前後、国連が「国連生物多様性の10年(2011〜2020年)」を掲げたことをきっかけに、日本でも自然資本への関心が高まった。しかし、東日本大震災などを経て、国内での優先順位は下がり、その機運は次第にしぼんでいったという。
なぜ、当時の動きは大きな流れにならなかったのか。その理由の一つとして挙げられていたのが、「投資判断に使える共通言語がなかったこと」だ。
自然を守る活動をしても、「どれだけ成果があったのか」を定量的に示すことが難しい。結果として、活動の成果は定性的な報告にとどまり、金融の世界から見れば、投資判断につなげにくかった。
今回のサミットで盛んに語られていた「測定フレームワーク」の整備は、こうした過去の反省の上にある。TNFDをはじめ、枠組みそのものは整いつつある。一方で、その開示を支える具体的なデータがまだ足りない。
複数の登壇者が指摘していたのは、まさにそこだった。
「枠組みはできてきた。次は、中身となるデータをどう揃えるか」。それが、現在の大きなボトルネックになっている。
自然を「バランスシート」に載せられるか

自然の価値を企業の会計に組み込む。その挑戦を最も具体的な形で示していたのが、「ネイチャー・オン・ザ・バランスシート(Nature on the Balance Sheet)」だ。直訳すれば、「自然をバランスシート(貸借対照表)に載せる」。少し難しく聞こえるが、目指していることはシンプルだ。
自然を「価値のあるもの」として扱う
これまでの経済活動では、森林や水、土壌、生態系といった自然資本は、「無料で使えるもの」として扱われがちだった。しかし、自然が失われれば、原材料の調達が難しくなったり、災害リスクが高まったりする。つまり、自然の状態は企業の経営や経済活動そのものに影響する。
であれば、自然の価値をきちんと測り、企業の意思決定や金融市場のなかで「価値のあるもの」として扱う必要がある。
「ネイチャー・オン・ザ・バランスシート」は、まさにその仕組みをつくろうとする国際的なイニシアティブだ。東京大学グローバル・コモンズ・センター(CGC)は、ディレクターを務める石井菜穂子氏のもと、Capitals Coalition、Systemiq、The Landbanking Groupとともに「Mountains Group」を組織し、2024年にこのイニシアティブを立ち上げた。目指しているのは、自然資本の価値を企業や投資家の意思決定に組み込み、最終的には企業の財務諸表にも反映できるようにするためのロードマップをつくることだ。
5段階で市場のルールまで変える

では、どうやって自然を「バランスシート」に載せるのか。その道筋として示されているのが、5段階のロードマップだ。
- 発見(Discover):
森林や水などの自然資本について、企業がどのような影響を与え、逆にどのような恩恵を受けているのかを、科学的なデータを使って把握する - 定量化(Quantify):
自然資本そのものや、自然が提供する水の調整、炭素吸収などの生態系サービスを測定し、その価値をできるだけ具体的な数字にしていく - 財務認識(Recognize):
これまで企業の財務諸表には表れにくかった自然資本の価値を、財務会計の世界でどう認識するのかを検討する - 市場価格化(Market Pricing):
投資家や金融機関、保険会社などが、自然資本の状態を企業の資産価値やリスク、資金調達コストなどに反映する - 制度化と促進(Codification & Promotion):
政府や中央銀行などが、自然資本の価値を経済・金融政策や制度のなかに組み込んでいく
前半の3段階は企業の内側を整え、後半の2段階は企業の外側にある「市場」の仕組みを変える段階にあたる。
「自然を大切にしましょう」という話から一歩進み、企業価値や業績を考えるときに自然の状態も考慮する。その先で、市場で価格をつけ、制度として定着させる。一気通貫で経済の仕組みそのものを変えていこうとしているのだ。
日本企業4社が進める検証
このプロジェクトには、日本企業も参加している。東京大学CGCが2025年5月に設立した「CGC-NBS協賛事業」には、王子ホールディングス、住友林業、味の素、MS&ADインシュアランス グループ ホールディングスの4社が参画している。森林、食品、保険・金融など、それぞれ自然資本との関わりが深い企業が、自社の事業を通じて自然資本の価値評価や会計への組み込みを検証している。
自然の価値を測ることは始まりにすぎない
ネイチャー・オン・ザ・バランスシートで、すべてが解決するわけではない。そもそも「自然の価値」をどこまで正確に測れるのか。生態系や生物多様性の価値を、金額で表すことにどのような限界があるのか。そして、その数字を実際の会計や投資判断にどう組み込むのか。まだ多くの課題が残っている。
それでも、この取り組みが興味深いのは、自然を守るために経済を変えるのではなく、経済の仕組みそのものに自然を組み込むことで、自然を守り、回復させる方向へ資金の流れを変えようとしていることだ。
ネイチャーポジティブを実現するには、自然保全の現場だけを変えても足りない。企業の経営判断を変え、投資家の判断を変え、そして市場のルールそのものを変えていく。「ネイチャー・オン・ザ・バランスシート」という言葉には、自然を経済の仕組みの中に組み込んでいこうという、大きな挑戦が込められている。
ただ、自然の価値を測れるようになれば、それだけで市場が変わるわけではない。現在の金融市場では、企業の価値は依然として、売上や利益、資産といった財務情報を中心に評価されている。
では、自然の価値に、実際にお金は流れ始めているのか。後編では、投資、保険、地域金融という3つの現場から、その手応えと課題を見ていきたい。

