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100年先も、美味しいビールを。気候変動に立ち向かう、サッポロビール「ホップ育種」の最前線

2026 11/05
取材
featured 北海道 実践事例 気候変動・脱炭素 食と一次産業
2026-11-5
佐事 美咲
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一日の終わりに楽しむ、冷えた一杯のビール。私たちの日常に溶け込んでいるこのささやかな「おいしさ」が、いま、世界規模の気候変動によって揺らいでいる。

ビールに独特の苦味と爽快な香りをもたらす「ホップ」は、気候の変化に対して非常にデリケートな植物だ。

もし世界的な温暖化対策が遅れ、気温が2度以上高くなると、ビールの欠かせない原料である「ホップ」が大きな打撃を受ける。欧州や北米などの主要産地では、2050年の収量が2018年と比べて5%以上も減少すると推計されている。

提供:サッポロビール株式会社

ビールのような嗜好品は、わずかな風味の変化が飲み手の心を遠ざけてしまう。

飲み手を失えばブランドは存続できず、結果として私たちが愛する「いつもの味わい」は世の中から姿を消してしまうかもしれない。

この危機に立ち向かうため、北海道 上富良野(かみふらの)にあるサッポロビール原料開発研究所の研究者たちは、日々地道な闘いを続けている。

その中心人物の一人が、サッポロビール株式会社の鯉江 弘一朗さんだ(原料開発研究所 原料育種研究グループリーダー 兼 購買部フィールドマネージャー チーフ・ホップ・サイエンティスト 主任研究員)。

鯉江さんは、大麦やホップの遺伝的特徴や成分特性を解き明かす「サイエンティスト」としての顔を持つ一方で、契約農家の畑へ自ら足を運び、共に汗を流しながら栽培技術を語り合う「フィールドマネージャー」でもある。

そもそも、「大麦」と「ホップ」というビールの二大主原料を、自社で育種(品種開発)しているビール会社は、世界でも極めて珍しい。

なぜサッポロビールは、これほどの手間と時間をかけて自社での育種にこだわり、富良野という土地を愛し続けるのか。

鯉江さんの言葉を通じて、気候変動に対応するホップ育種の最前線と、地域・土地の再生を見据えた「未来の乾杯」のビジョンを紐解いていく。

大正時代から続く、奇跡の土地「富良野」

日本のホップ栽培と育種の歴史は、明治初期まで遡る。1871年、トーマス・アンチセルが北海道岩内町で野生のホップを発見したことが始まりだった。

その後、1877年に現在の北海道庁正門前に試験圃場が設けられ、アメリカやドイツから輸入した苗が定植されたことで、本格的なホップ育種研究が幕を開けた。

サッポロビールの前身である大日本麦酒が、北海道全土の20カ所以上で試験栽培を繰り返し、ホップ栽培の最適地として上富良野にたどり着いたのは、大正後期のことだ。

鯉江さんによると、当時の記録に残る上富良野選定の理由は、「試してみたら生育が非常に良かった」という極めてシンプルなものだった。

しかし、そこには主に3つの「優れた自然条件」が重なり合っているのではないかと考えられる。

第一の条件は、ホップの大敵である「風」を避ける独自の地形だ。

ホップは高さ5〜6mにも達する蔓(つる)を伸ばして成長するため、強風に煽られると、枝が折れたり、球花が引きちぎられてしまうという弱点がある。

しかし、数十万年前の火砕流によって形成された、上富良野から美瑛へと続く丘陵地帯がこの問題を解決した。起伏が生み出す谷合いや沢沿いに畑を設けることで、風からホップを巧みに守ることができるのだ。

第二の条件は、恵まれた「雨量」だ。ホップが健全に育つためには十分な水分が欠かせない。その点、上富良野には年間約1000mmほどの雨が降る。

これは、年間約800mmのドイツ・ハラタウや、近年降水量不足に悩みがちなチェコ・ザーツなど、世界的なホップの名産地と比較して恵まれた環境である。

第三の条件は、生命を育む「肥沃な土壌」だ。ベースとなるのは水はけの良い火山灰だが、そこには豊かな森林が長い年月をかけて蓄積した有機物が含まれている。

どのような作物でも育つ」と言われる肥えた上富良野の土壌こそが、ホップに力強い生命力をもたらしているのだ。

サッポロビール原料開発研究所は、この上富良野という土地ならではの魅力を伝えるべく、2010年頃から「ビール以外の形」で世に届ける新たな取り組みを始めた。

目指したのは、ホップの球花を割った瞬間に広がる、フレッシュで爽やかな香りの再現だ。

ポッカサッポロ社と共同開発した「北海道富良野ホップ炭酸水」には、フルーティーな香りを持つ「フラノビューティ」という品種が使われている。

画像出展:ポッカサッポロフード&ビバレッジ

フラノビューティは現在、上富良野で期間限定販売されるビール「まるごと上富良野」の主役としても活躍し、地域の人々に愛される誇りとなっている。

ホップを襲う、気候変動の猛威

上富良野の豊かな大地にも、気候変動の波は容赦なく押し寄せており、「近年は特に暑さが増している」と、鯉江さんは危機感を募らせる。

昨年は全道的な異常高温により、ビールのもう一つの主原料である「大麦」が深刻な不作に見舞われた。気温の上昇によって大麦の登熟が平年より早く進み、歴史的な早さで収穫期を迎えてしまった。

また、近年ニュースで見かけるゲリラ豪雨のような大雨に遭遇すると、畑の土壌が流亡したり、予期せぬ大雨によって、病害を防ぐための農薬を適切なタイミングで散布できなくなったりする。

なぜ、気候によるわずかな狂いがこれほどまでに危惧されるのか。それを紐解くには、大麦がビールになるまでのメカニズムを知る必要がある。

大麦は「ビールの魂」とも呼ばれ、ビール1リットルにつき約200グラムの麦が使われる。収穫された大麦は、まず工場で「製麦(せいばく)」という工程へと進む。

これは、大麦に適度な水分を含ませて、意図的に発芽させるプロセスだ。発芽によって酵素が活性化し、大麦内部のでんぷんが糖に、タンパク質がアミノ酸へと変換されていく。

醸造の世界では、この一連の成分変化を「溶け」と呼ぶ。ここで生み出された糖が、のちに酵母の発酵を経て、アルコールと炭酸ガスへと変わっていくのだ。 

だからこそ、収穫直前の長雨は致命傷となる。畑で雨に打たれ続けると、麦が穂に付いたまま発芽してしまう「穂発芽(ほはつが)」という現象が起こる。工場でコントロールしながら発芽させる前に、大麦が自らの成長のために内部のでんぷんやタンパク質を消費してしまうのだ。

提供:サッポロビール株式会社

こうなると、もはやビール醸造の原料としては全く使えなくなってしまう。実際に2014年には、栃木県で5日間続いた長雨によって穂発芽が多発し、23億円もの経済被害をもたらした事例もある。

ホップにとっても、風水害は致命的な脅威だ。収穫期が近づき、実である「球花(きゅうか)」が成長すると、その重みで株全体が重くなる。

台風などでは降雨によって重みが増し、そこに強風が吹きつけると高さ5〜6mにも及ぶ支柱とワイヤーで組まれた巨大な栽培棚ごと倒壊してしまう。

実際に2018年の台風では、十勝岳側からの強風の吹き下ろしにより、ホップ棚の倒壊被害があった。

さらに、気候変動に伴って病害が悪化する可能性がある。たとえば、葉などに白いカビが生える「うどんこ病」だ。

この病原菌が球花に感染すると、成長を阻害して収量を減らすだけでなく、ビールにとって重要な「苦味成分」までも著しく低下させてしまう。

気温や湿度の変化により、こうした病害の発生エリアや時期が変化したり深刻化したりする恐れがあり、鯉江さんたち研究グループの頭を悩ませている。

過酷な夏を耐え抜く「品種」の育成

こうした自然の脅威に対し、サッポロビールは2020年頃から「気候変動への適応」に向けて、研究の舵を大きく切った。

自社での育種と、フィールドマネジメントの強みを活かし、2030年までの適応品種の登録出願、そして2035年の国内実用化という明確なスケジュールを掲げている。

提供:サッポロビール株式会社

気候変動への対応へ向けて、重要な方向性の一つとして考えられるのが、根の特性だ。もし、地中深くまで根系が発達すれば、地表が乾燥しても、深い場所にある水分を安定して吸収できるようになるかもしれない。

とはいえ、土の中の見えない「根」を研究するのは容易ではない。

特にホップのような作物は、植物体自体が大きいため、実験室や小さな鉢植えでの評価が難しいのだ。しかも、実際に干ばつが起きない限り、その品種が本当に乾燥に強いのかを検証することができず、時間がかかる。

鯉江さんらは10年間にわたって収量の変化を観察し続けた。東京農業大学の伊藤教授と共同で論文を執筆し、ホップにおいても根系発達に品種間差の存在が示唆されることを見出した。

しかし、根の研究は上述のように難しい。今後、実際に品種に干ばつなどに強い特性を持たせるには、いくつものハードルを乗り越えなければならないのだ。

フレーバーと強さ。個性をあきらめない育種

気候変動に強い品種を生み出すことは、単に「環境に負けない強い植物」を作ればいいという話ではない。

過酷な環境に耐えうる強さを備えながら、ホップの命である「多様な香りと美味しさ」を妥協なく守り抜くこと。それこそが、サッポロビールの育種研究が掲げる譲れない信念であり、真の価値なのだ。

ここで、ビールの味わいにおける「ホップ」の特殊な役割に触れておきたい。

ビール1リットルを造るため、使用される大麦が約200グラムであるのに対し、一般にホップの使用量はわずか1グラム程度と、ビール重量当たりのホップ使用量は約0.1%にすぎない。

しかし、このたった1グラムのホップが、ビールの個性を決定づける「鮮烈なアロマ」と「心地よい苦味」を生み出すのだ。

ホップを潰すと、爽やかな森の香りが広がる

多様な香りと美味しさを、妥協なく追求する。そんな開発の意志を象徴するのが、伝説的なホップ「ソラチエース」だ。

1984年に同社が開発したこの品種は、当時はレモングラスやヒノキを思わせる強烈な香りが個性的すぎるとみなされ、日本国内のビール造りには使われなかった。

しかし2000年代に入り、アメリカで個性を重視するクラフトビール革命が起きると、醸造家たちの手によって、その唯一無二の魅力が再発見される。こうして「ソラチエース」は、今や世界中のクラフトビールファンから絶大な人気を誇るフレーバーホップとなった。

提供:サッポロビール株式会社

この特有の爽やかな香りの秘密は、特異な香り成分によってもたらされる。

同社の研究により、ホップに含まれる「ゲラン酸」という成分が、リナロールやゲラニオールといった他の香り成分と共存することで、爽快な香りを劇的に強める作用を持つことが解明された。

一度は姿を消しながら光を浴びたホップは、ソラチエースだけではない。1990年の交配で生まれながら選考から外れた「フラノマジカル」も、2010年代に構築された新たな評価体系によってその価値が再発見された。

カシスやマンゴーを思わせるトロピカルな香りの正体、チオール成分の一つ「4MSP」の含有量が世界最高水準だと判明し、2021年に晴れて品種登録を果たしたのだ。

提供:サッポロビール株式会社

「時代の変化によって、どんな香りが、どのタイミングで評価されるかは分かりません。だからこそ、現時点の評価だけで切り捨てず、すべての芽に秘められた可能性を丁寧に拾い上げていきたいんです」と、鯉江さんは研究への想いを語る。

ホップの香りは、科学的にもいまだ未知の領域が多い。

単一の成分だけでなく、いくつもの成分が複雑に溶け合い、奇跡的なバランスで生まれる豊かなアロマ。その探求には、どこまでも尽きない奥深さがある。

適応と緩和、エネルギー収支の歪み

気候変動に立ち向かうなかで、鯉江さんは現代の農業システムが抱える、より本質的なジレンマに触れた。

それは、気候の変化に植物を適応させる「適応」と、温室効果ガスの排出そのものを減らす「緩和」のあいだで取るべきバランスだ。

「正直なところ、私たちの育種技術で直接貢献できるのは『適応策』、つまり高温や病気などの過酷な環境に耐える品種を育てることです」と語る。

しかし、鯉江さんの見据える未来はそれだけに留まらない。農業という営み自体が消費するエネルギーをいかに削るかという「緩和策」の重要性を、痛感しているのである。

工場やトラクターの燃料消費削減に留まらず、農業という営みにおいて、最も貴重で膨大な投入エネルギーである「人間の労働力」。この負担を減らす省力化こそ、持続可能な未来を引き寄せるための切実な「緩和策」なのである。

実際、かつて主力だった旧品種「信州早生(しんしゅうわせ)」、「ゴールデンスター」の栽培では、高所に伸びた蔓を人の手で引き下ろす「蔓下げ(つるさげ)」という大変な作業が不可欠だった。

そこで研究所は、蔓下げ作業が一切不要な品種「リトルスター」などを開発。早く花が咲き、成熟する(早生)性質を持たせることで、農家の作業負担を劇的に減らすことに成功した。

2021年には、北海道内のホップ畑からゴールデンスターが姿を消し、すべてこの作業不要な新品種へと置き換わった。労働負荷を削減した、大きなイノベーションだ。

提供:サッポロビール株式会社

かつての伝統的な農業は、太陽光の恵みと自然のサイクル、そして人や家畜の力で営まれていた。

しかし現代の集約農業は、化学肥料や農薬の製造、農業機械の動力、ビニールハウスの加温などのために、化石燃料(エネルギー)を投入している。

その結果、収穫して得られる食料のカロリーに比べて、生産や流通に投じるエネルギーが従来より高まっている恐れがある。

ホップはビールにおける使用量がごくわずかなため、農業全体で見れば、エネルギー投入の絶対量は、主食穀物ほど大きくはない。それでも鯉江さんが強い危機感を抱くのは、「将来、私たち人類は食べていけるのか」という、農学部を志した若き日の原点があるからだ。

だからこそ、品種改良によるアプローチが不可欠となる。肥料の使用量を抑える作物の開発や、製麦工程の発芽日数を縮めて工場での消費エネルギーを削る大麦品種「N68-411」の発見。

こうした「適応」と「緩和」を両立させる挑戦が、持続可能な未来を切り拓く鍵となる。

地域の農家と紡ぐ、美味しさの未来

かつて約100戸あった富良野エリアのホップ生産農家は、時代の変遷とともに激減し、今や上富良野町内のわずか4戸にまで減少した。

資材や化学肥料の価格高騰による収益性の悪化、そして避けられない高齢化と後継者不足が、農家の足元を激しく揺さぶっているからだ。

それでも、未来を担う新たな「希望」も芽生えつつある。50代前半を迎えたある3代目の農家は、手塩にかけて育てた自分のホップが、地元の名産「サッポロ クラシック 富良野ヴィンテージ」を支えていることに、深い誇りを抱いている。

提供:サッポロビール株式会社

先代である父親が病に倒れたとき、彼の頭をよぎったのは「自分が継がなければ、富良野のホップも、あのビールもこの世から消えてしまう」という切実な危機感だった。

地域に根ざした誇りあるブランドが存在すること。それこそが、途絶えかけたバトンを未来へ繋ぐ、最大の力となったのである。

希望の芽はある。上富良野町では、若い就農者への経営権移譲や新規ホップ作就農の話もあり、新しい時代が始まろうとしている。鯉江さんは、農家との関係性について次のように語る。

私たちは、世界中どこでも安く手に入る「コモディティ(代替可能なありふれた商品)」を作りたいのではありません。

「上富良野のホップでなければ絶対に表現できない価値」を持つ品種を生み出したいのです。

上富良野から、100年先への乾杯を

たとえ戦後の激しい食糧難の時代であっても、人間にとって「おいしさ」は欠かせないものでした。

収量だけを重視して生み出された「美味しくないお米」は定着しませんでしたが、コシヒカリのように抜群に美味しい品種は、あっという間に人々の心と体を捉えて広がっていきました。

「食」とは単に胃袋を満たすための機能ではなく、人間の営みそのものだからです。

とりわけビールという嗜好品は、お腹を満たすためではなく、心を満たすために存在する。

人々の心の豊かさを守るためにも、これからも美味しいビールを変わらずに楽しめる世の中であってほしいと、取材を通じて強く願う。

その未来を守るため、サッポロビールは確かな歩みを進めている。2030年までに、気候変動に適応する新たなホップ品種を登録出願し、2035年の国内実用化を目指している。

さらに2050年には、より多様な環境適応能力を備えた品種を世界へ展開していくという明確なロードマップを掲げている。

上富良野という比類なき大地と、自然に向き合う農家の手仕事。そして、未来を科学の力で切り拓く研究者の情熱。それらすべてが一つに溶け合うとき、私たちの明日の「乾杯」は守られる。

100年先も美味しいビールを飲み交わせる社会を目指し、上富良野の美しい丘の上で、挑戦の芽は今日も一歩ずつ、育まれている。

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