毎年夏、丘一面が美しい紫色に染まる中富良野町。北海道におけるラベンダー観光発祥の地として知られ、その絶景を求めて多くの人々が足を運ぶ。
しかし、その賑わいはラベンダーが開花する短い期間に集中しており、それに伴う課題も顕在化している。
ひとつは、短い夏に観光客が殺到することで生じる慢性的な交通渋滞であり、町民からはオーバーツーリズムを危惧する声が上がっている。

その一方で、夏以外の季節における「通年型観光の整備」と「冬の働く場所の確保」も長年の懸案事項である。
観光のピークが極端に偏っている影響は大きく、町の総合計画においても「商工業・雇用」に関する町民満足度の低さが浮き彫りになっている。
こうした夏の一極集中型・通過型の観光から脱却し、一年を通じて人々が滞在できる仕組みを作ろうと、町は新たな挑戦を始めている。
その象徴的な取り組みが、日本航空(JAL)との連携による「JALオーベルジュ富良野」の誘致である。

「食」と「宿泊」を掛け合わせた滞在型の拠点をつくることで、季節に左右されない観光モデルの確立を図っていく。
これが長年の課題であった「冬の働く場所」を補い、ひいては若い世代が再び町に戻ってこられるような、安定した地元雇用の創出に繋がることを目指している。

さらに、株式会社良品計画の協力を得た「北星山森林公園の利活用ワークショップ」や、本田技術研究所(ホンダ)と進める「超小型モビリティでの二次交通の実証実験」など、官民の枠を超えた受け入れ環境の整備も同時に進行している。
だが、こうした前例のない大型プロジェクトを動かす現場は、決して平坦ではない。変化に対する住民の不安や、民間企業との意思決定スピードの差など、水面下では数多くの地道な調整と葛藤がつきまとっているのだ。
今回は、この変革の最前線で推進に奔走する、中富良野町役場 企画課 未来戦略係の松本健司さんと松本紗耶さんに話を伺った。

開発と景観保護のバランスをどう保つのか。目標とする地元雇用は、本当に生み出せるのか。
本記事では、町が直面するシビアな課題を客観的に整理しつつ、通年型観光の土台作りに挑む担当者の熱意と、真摯な対話の軌跡に迫る。
対話から始まる、町民優先の場づくり
今回、オーベルジュの建設予定地である北星山森林公園もまた、施設の老朽化や利用者の減少といった課題に直面している。
そこで、国費を活用した整備計画(基本構想)の策定に伴い、町民自身が公園の未来を語り合う「北星山森林公園つながる森づくりワークショップ」が開催された。

企画・運営には、株式会社良品計画(無印良品)がファシリテーターとして協力。全3回にわたるワークショップには、立場の異なる多様な住民が集まった。
- 第1回(昼夜二部制):昼の部は13名が参加し、40〜60代の女性や周辺の移住事業者が中心となった。夜の部は12名が参加し、役場職員や地域おこし協力隊など、主に身内の関係者を中心に実施された。
- 第2回:16名が参加。移住者と元々の町民が、ほぼ半数ずつを占める構成となった。
- 第3回:16名が参加。これまでの参加者がリピーターとして集い、回を重ねるごとに議論が深まっていった。
実際のワークショップには、現状維持を望む住民も数多く集まった。
彼らからは「今の静かな環境を変えないでほしい」という意見や、突然のプロジェクトに対し「どのように進むのか」といった、懸念が寄せられた。

だが、住民の示す「心配」や「不安」の本質は、開発そのものへの拒絶ではない。
自らが慣れ親しんだ静かな森や生活環境が、手の届かないところで勝手に変わってしまうことへの不安、つまりは地域への「強い愛着」に他ならないのではないか。
中富良野町の担当者たちは、行政にありがちな「正論による説得」や「一方的な説明」で押し切るような真似はしなかった。

彼らが徹底したのは、「まずは否定せず、すべての声を聞き入れること」だったという。
住民が抱く不安に正面から耳を傾け、どうしても折り合いがつかない課題には、必ず別の代替案をひねり出す。そうした粘り強い対話が、幾度も重ねられていった。
こうした対話のプロセスを経て、当初は「観光客向けの滞在拠点」と見られていた施設は、住民の声を反映した「町民のための施設」へと、その位置づけを大きく変化させていった。
住民から「子どもが雨風をしのげる場所がほしい」「小中学生が森を学べる教育の場にしたい」といった声が上がり、親子で自然を楽しめる学びの場としての方向性が導き出されたのである。

新たに作成されたコンセプトブックには、「愛着を持てる森林、育む森林公園」という言葉が掲げられた。
松本紗耶さんは、「住民の方々が『自分たちの森』として認識し、みんなで共創していける場にしたい」と今後の展望を語る。
一極集中から、「滞在型」へ
夏期一極集中から通年型観光への脱却を象徴する、「JALオーベルジュ富良野」の誘致プロジェクト。日本航空(JAL)との関係は、令和4年に「地域活性化起業人」を町へ受け入れたことから始まった。
その後、JALが新規事業の候補地を探すなか、町は十勝岳連峰を一望できる北星山森林公園の絶景スポットを推薦する。この美しい景観が、最終的な誘致の決め手となったのである。

「食」と「宿泊」を掛け合わせた滞在型観光拠点としての期待が高まる一方で、「民間による自己資金・自己運営」を基本とするこの事業は、町にシビアな実務上の課題を突きつけている。
もっとも大きなハードルの一つが「雇用の確保」だ。中富良野町には高校がないため、子どもたちは中学卒業と同時に一度、町外へ出ざるを得ない。
さらに、町内には受け皿となる「働く場所」が極めて少なく、帰ってきたくても戻れないという若者の流出問題が深く横たわっている。
オーベルジュの運営を担う企業は地元雇用を優先し、従業員の約半数を富良野地域から採用する目標を掲げている。しかし、労働人口の限られた小さな町での人材確保は容易ではなく、採用活動は苦戦を強いられているのが実態だ。
12月の開業を間近に控えながらも、地元雇用の具体的な内訳や確保の進捗状況が見えづらいという現実は、この巨大プロジェクトが乗り越えなければならない壁の険しさを物語っている。
地域に約束されたはずの「雇用の創出」が、本当に果たされるのか。行政としては直接介入できない枠組みであるからこそ、現場の担当者たちもまた、不安を抱えながら動向を注視している様子がうかがえた。
さらに、景観保護と開発のすり合わせも一筋縄ではいかない課題である。
オーベルジュ側が「客室やレストランから十勝岳の絶景を見せるために、木を切ってほしい」と要望する一方で、町民からは「景観を守るために木を切らないでほしい」「下から建物が丸見えになるのは避けたい」といった反対意見も上がった。

こうした両者の対立に対し、松本さんらは事業者に判断を丸投げしなかった。自ら現場へ赴き、1本ずつ木の状態を確認しながら伐採の範囲を協議し、判断を下すという役割を買って出ている。
二次交通の壁を越える、ゼロカーボンMaaS
中富良野町を訪れる観光客にとって、もう一つの大きな障壁となっているのが「域内の二次交通(公共移動手段)の不足」である。
町内はバスやJRの便数が少なく、タクシーも慢性的に不足しているため、車を持たない旅行者の移動が大きく制限されていた。
この「移動の壁」に加えて、全国的な傾向と同様に、町内でも「農業の人手不足」という深刻な課題が影を落としている。
こうした複合的な地域課題の解決に向け、町は本田技術研究所(ホンダ)と令和4年から包括連携を重ね、環境負荷の低い超小型モビリティを活用した「ゼロカーボンMaaS」の実証実験に挑んでいる。


その一環として、6月から10月にかけて月2回実施されているのが「なかふ産業体験プログラム」だ。
全道の地域おこし協力隊や関連企業の社員を対象に、超小型モビリティで町内を周遊してもらうというもの。農業体験や観光地巡りを組み合わせることで、滞在時間延長への効果を検証している。


実際に実証データを精査してみると、消費額の大幅な向上には至っていないものの、「滞在時間の延長」という確かな手応えと、ポジティブな兆しが現れ始めている。
たとえば、午前から始まる体験プログラムを12時に終了するスケジュールで設計したところ、参加者がそのまま町内の飲食店(蕎麦屋、ラーメン屋、カフェなど)に立ち寄り、ランチを食べてから帰路につくという新たな行動パターンが確認されるようになった。

このプロジェクトは、単に「モビリティを走らせる」というハード面の検証にとどまらない。
松本さんをはじめとする担当者らが、「中富良野の魅力を知ってもらいたい」との想いで、地元の事業者のもとへ1軒ずつ足を運び、プログラムの連携を取り付けてきた。
そうした「血の通ったおもてなしのルート」があるからこそ、この小さな消費の循環が生まれつつあるのだ。
「体験プログラムを通じて、『ラベンダー以外の魅力』を伝え、認知を図ることが大切だと思っています」。松本紗耶さんは、そう力を込めて期待を寄せる。
数字上の成果を急ぐのではなく、地域の温かいネットワークを信じて、地道な対話と改善を続ける。その積み重ねこそが、中富良野町の未来の通年型観光を支える確かな基盤を育んでいる。
システムではなく、「人」が地域を耕す
北星山森林公園の拠点施設運営においては、民間パートナーである株式会社SAGOJOを迎え、持続可能な運営体制の構築を目指している。
しかし、ここでも立ちはだかるのは「民間企業の圧倒的なスピード感」と「役場特有の慎重で段階的な意思決定プロセス」のギャップ。いわゆる、官民連携にありがちな壁である。
民間側が「今すぐ動きたい」と願う一方で、行政が組織内の手続き、あるいは縦割り組織の調整に時間を取られてしまえば、プロジェクトの熱量はあっという間に冷めてしまう。
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中富良野町の取り組みが、ここまで具体的な形を保って推進できているのは、未来戦略係の担当者らが、「組織の理解と調整の必要性」を自認した上で、その溝を埋めるべく、自発的に動いているからに他ならない。
彼らは、ただ関係部署へ書類を回すだけではなく、自ら町長のもとへ足を運んで相談し、各部署との細やかな事前調整(庁内調整)を自発的に行うことで、決定プロセスの迅速化を図っている。
民間事業者を「指定管理者」として指定し、官民が連携して取り組む共同事業である。それだけに、役場内には強い緊張感が漂っている。現場が板挟みのもどかしさを抱えながら、それでも前を向き続けられるのは、「中富良野の未来を変えたい」という強い想いがあるからだ。
現在、中富良野町が進めている挑戦は、閉校した4つの小中学校の利活用を含め、地域全体の大きな再編・過渡期にあたる。

2026年、総務省の「ふるさと住民登録制度」のモデル事業にも選定され、単なる通過型の観光地から、季節を問わず多様な「関係人口」が関わる「持続可能な町」へと生まれ変わろうとする土台は、少しずつ整いつつある。
地元雇用の確保や、MaaSの利用者拡大、拠点施設の収益性といった実務上の不安やハードルは、今後も容赦なく現場を悩ませるだろう。しかし、このプロジェクトが他の地域と一線を画しているのは、課題に直面したとき、行政がそれを美辞麗句で覆い隠さない点にある。
中富良野町には、住民の「変わらなくてもよい町、今の環境を守りたい」という気持ちに向き合い、民間事業者のスピードに追いつくため自ら汗をかくような、地道な取り組みを厭わない担当者らの熱量が確かにある。
そんな担当者の一人でもある松本紗耶さんは、「北星山の利活用は、町が変わる大きな一歩です。責任を持って、しっかりと進めていきたいと考えています」と、力を込める。

システムや予算が、地域を自動的に再生するのではない。中富良野町の美しい自然と、そこで実直に挑戦を続ける「人の営み」の熱量。それらが交わり、幾重にも重なり合うことで、ラベンダーの一色にとどまらない、さらに彩り豊かな、中富良野町の未来の景色が耕されていく。
その多様な色彩が、これから訪れる多くの人々の心へ、届いていくことを期待したい。

