サステナブルな行動をやさしく促す「ナッジ」とは?

行動経済学や政治理論、行動科学の概念の1つに「ナッジ理論」という考え方があるのをご存知でしょうか。人の行動をそれとなく促す手法で、社会のさまざまな場面で利用され、特に環境問題対策においてはその効果が実証されてきています。
本記事では「ナッジ」とは何か、具体的な事例をたくさん挙げることで理解を深め、さらに環境問題におけるナッジの有用性や日本のナッジ戦略について述べていきます。
未来のより良い地球のためのナッジの可能性について一緒に考えていきましょう。
ナッジとは
ナッジとは、人々の選択の自由を保ちながら、望ましい方向へと行動を促す仕組みのことを指します。2008年にリチャード・セイラー教授とキャス・サンスティーン教授が著書『Nudge』で提唱した概念で、直訳すると「ひじでそっと突く」という意味です。[1]
例えば、学食でサラダを目線の高さの棚に、揚げ物を下の棚に配置することで、自然と健康的な食事を選びやすくする工夫がナッジの一例です。
強制や禁止をせず、さりげなく望ましい選択肢を提示することが特徴となっています。
この図は、建物内での階段利用を促すナッジの例を示しています。左側は通常の状態、右側はナッジを導入した状態です。
階段使用による消費カロリーを表示するという小さな工夫により、人々の自発的な行動変容を促すことができます。強制ではなく、選択の自由を保ちながら健康的な選択肢を選びやすくする、というナッジの特徴がよく表れている例です。
ナッジの重要な点は、選択の自由を奪わないことです。より良い選択肢を提示しやすくする一方で、他の選択肢も等しく尊重されます。
このアプローチは、環境政策や健康増進、省エネルギーなど、様々な分野で活用されており、低コストで効果的な行動変容を促すことができます。
海外におけるナッジの活用例
ナッジを活用した取り組みが、世界中で積極的に展開されています。興味深い事例をいくつかご紹介します。
スウェーデンのスーパーでは、冷凍食品棚のドアに「孫のために早く扉を閉めましょう」と書かれています。これを読んだ人は自分の孫や将来できるであろう孫のことを想像し、「省エネルギーのために」と言われるよりも自分ごととして捉えられます。
またオランダのスキポール空港では、男性用トイレの小便器に「ハエのマーク」を描くことで、飛び散りによる床の汚れが80%減少。清掃コストの削減にも貢献した事例として広く知られています。
交通渋滞対策に長年取り組んできたシンガポールでは1998年に、市内中心部や有料道路において、曜日や時間帯に応じた料金制度を導入し、さらに2008年には、リアルタイムで通行料金を表示するシステムを採用しました。

このシステムでは、有料区間の入口に設置された電光掲示板に料金が表示され、ドライバーが混雑エリアの通行を控えるよう促しています。[2]
日本におけるナッジの活用例
日本でもナッジをさまざまな分野や場所で取り入れています。3つの事例をご紹介します。
特定健康診査(メタボ健診)の受診率向上

医療分野では、特定健康診査(メタボ健診)の受診率向上に向けた取り組みが注目されています。
「連続受診率90%」という数字を示すことで、定期的な受診が一般的な行動だと認識させ、イラストで受診しない人が少数派であることを視覚的に表現しています。[3]
ごみ収集協力への「感謝状」

宮城県南三陸町では、2015年にバイオガス施設を設立し、家庭の生ごみを資源に変える循環型システムを導入しました。しかし、当初は生ごみ回収が伸び悩み、異物混入も課題でした。
そこで、ナッジ理論を応用し、ごみ収集所に協力者への「感謝状」を掲示するという工夫を導入したところ、回収量が増加し、異物混入も減少する結果となりました。
このアイデアは、金銭的な報酬に頼らない行動促進の好例として、環境省のベストナッジ賞を受賞しています。[4]
ゴミ箱にバスケットボールのゴールを取り付ける

写真のユニークなアイディアは「仕掛学」[5]を提唱する大阪大学の松村真宏教授が考案したもので、ゴミ箱にバスケットボールのゴールを取り付けるという仕掛けです。
普通のゴミ箱では利用が進まなくても、ゴールを付けることで「シュートしてみたい!」という気持ちが生まれ、自然とゴミ箱の利用が増えるのです。
教育で取り入れられるナッジ
教育現場でも、生徒の主体性を尊重しながら望ましい行動を促すナッジの活用が広がっています。

学校の給食では、食育の観点から効果的なナッジが導入されています。サラダや野菜料理を給食の配膳順序の最初に置くことで、自然と野菜摂取量が増加する効果が報告されています。
食堂のテーブルに「残さず食べよう」ではなく「おいしく食べよう」というメッセージを掲示することで、食べ残しが減少した事例もあります。
ほかにもリサイクルボックスに「みんなで地球を守ろう!」といった前向きなメッセージを添えることで、分別率が向上したことも明らかになりました。
環境問題におけるナッジとは

環境問題におけるナッジとは、人々の環境配慮行動を強制せず、自然な形で促進する仕組みのことです。従来の規制や罰則とは異なり、選択の自由を保ちながら、環境にやさしい行動を取りやすい環境を整えるアプローチを指します。
環境問題の解決には、社会全体での取り組みが不可欠です。一人一人の小さな行動変容が、大きな環境負荷の低減につながります。ナッジは、市民の環境意識を高め、自発的な行動変容を促す効果的なツールとして注目されています。
また、環境配慮行動の定着には、継続性が重要です。ナッジを活用することで、無理なく自然な形で環境にやさしい選択を促し、持続可能な行動変容を実現することができます。市民の主体性を尊重しながら、社会全体で環境問題に取り組む新しいアプローチとして、期待が高まっています。
環境省のナッジ戦略
環境省は2017年度から「ナッジ・ユニット BEST(Behavioral Sciences Team)」を設置し、科学的知見に基づく行動変容の促進を戦略的に推進しています。
環境省のナッジ戦略は、3つの重要な柱で構成されています。
- 科学的なエビデンスの蓄積
- 得られた知見の社会実装
- 国際連携の推進
第一に、科学的なエビデンスの蓄積です。行動科学の専門家と連携し、どのような働きかけが効果的かを実証実験で検証しています。
次に得られた知見を社会実装することが重要です。効果が確認された取り組みを自治体や企業と協力して展開し、環境配慮行動の促進を図っています。
最後に国際連携を積極的に推進することが大切です。。海外のナッジユニットと知見を共有し、互いの成功事例を学びながら、環境配慮行動を世界中に広めるための協力を強化しています。

具体的な取り組みとして、環境省は日本オラクル株式会社と住環境計画研究所に委託し、2017~2020年度に約30万世帯を対象に、CO2削減実証事業を実施しました。
5社のエネルギー事業者と連携し、オラクルのエネルギー効率化ソリューションを活用。ナッジ理論を応用し、日本のキャラクター「そらたん」を用いて家庭ごとにパーソナライズされた省エネ情報やアドバイスを提供しました。
この取り組みにより平均2%の省エネ効果が確認され、累積CO2削減量は47,000トンに達し、脱炭素の実現に向けた可能性を示しました。[6]
環境省は、こうした取り組みを通じて、2030年度の温室効果ガス排出削減目標の達成に向けて、行動科学の知見を活用した政策立案を推進しています。費用対効果の高い施策として、ナッジの活用が重要な役割を果たすことが期待されています。

まとめ
ナッジは「どこか面白くてやりたくなる」要素を含んでいるものが多くあります。
環境問題対策も、危機に迫られてやるというよりも、「楽しいからやる」「自然と取り組みたくなる」という行動が増えると解決への道も大きく開けるのではないでしょうか。
参考文献
[2]https://www.clair.or.jp/j/forum/forum/pdf_378/04_sp.pdf