世界有数の観光地クイーンズタウンは、どのように「カーボンゼロ観光地」をめざしているのか?

年間約300万人が訪れる世界有数の観光地ニュージーランド・クイーンズタウンは、なぜ今「カーボンゼロ観光地」を掲げているのでしょうか。観光で成長してきたこの地域が、環境負荷や住民の不満、コロナ禍による打撃にどう向き合ったのか。
本記事では、地域観光マネジメント計画「Travel to a Thriving Future」をもとに、カーボンゼロを軸にした地域再設計の全体像を解説します。[1]
3つの柱、2030年ネットゼロ戦略、住民参加や資金循環の仕組みまで整理。クイーンズタウンは何を変え、なぜ実行に移せたのか。その構造を読み解きます。[2]
クイーンズタウンはなぜ”カーボンゼロ観光地”を掲げたのか?

クイーンズタウンがカーボンゼロを掲げた背景には、地域の将来に直結する構造的な危機があります。
公共インフラの逼迫や訪問者マナーへの不満も高まっていました。[3]
さらに、COVID-19による渡航制限は地域構造の脆弱さを浮き彫りにしました。また、計画文書は観光収入が地域外へ流出する「経済漏出」の深刻さも指摘。
「Travel to a Thriving Future」とは?

「Travel to a Thriving Future」は、クイーンズタウンが2030年までのリジェネラティブツーリズムとカーボンゼロ達成を目指して策定した、地域観光マネジメント計画(DMP)です。
Destination Queenstown・Lake Wānaka Tourism・QLDC(地区議会)の3者が主導し、先住民マオリの部族カイ・タフ(Kāi Tahu)や地域住民の声を反映しながら、24か月の参加型プロセスを経て策定。2023年2月にQLDC議会で全会一致の承認を受けています。[4]
単に観光の悪影響を減らすのではなく、「観光を通じて経済・社会・文化・環境のすべてをより良くしていく」ことを根本に据えており、「カイ・タフの大地を大切にしながら、訪れる人と共に繁栄する未来へ旅しよう」というメッセージが全体に貫かれています。
3つの柱から読み解く持続可能な観光地戦略
「Travel to a Thriving Future」は、観光地運営の軸として次の3つの戦略的優先分野(柱)を掲げています。
- コミュニティの充実と訪問体験の向上
- 環境再生と脱炭素化
- 経済のレジリエンス(強靭性)と生産性の向上
この3本柱は単独に機能するのではなく、相互に支え合う設計になっています。 観光地の繁栄とは、経済的な成功だけでなく、人・文化・自然すべてが共に豊かになる状態だという思想が、このプランの根底に流れているのです。[5]
柱1 ― コミュニティを豊かにし、訪問体験を高める

「良い観光地とは、住む人が幸せな場所」という考え方を出発点に、地域住民の生活の質を守ることを最優先とする柱です。 [6]
カイ・タフの文化や知恵(マータウラカ)を観光体験の核に位置づけ、クイーンズタウン・ワーナカ・アロータウン・グレノーキーという4地域それぞれの「場所の個性」を掘り起こすワークショップを実施。 来訪者には「ティアキ・プロミス(Tiaki Promise)」という行動規範を通じて、土地と人を大切にする旅のあり方を伝え、量より質の訪問体験への転換を図っています。
柱2 ― 環境を再生し、観光産業を脱炭素化する

2030年までのカーボンゼロを目指す、最も具体的なアクションが集まる柱です。 [7]
クイーンズタウンを脱炭素技術の「実証実験の場」として位置づけ、世界初の電動ジェットボート、電動ハイドロフォイルフェリー(年間240トンのCO2削減見込み)、完全電動のゴンドラネットワーク(Wōosh)、空港直結の自律走行電動シャトルなど、観光体験そのものをエコに刷新するプロジェクトが動いています。
脱炭素は「我慢」ではなく「体験の進化」として設計されています。[8]
柱3 ― 経済のレジリエンスを高め、生産性を向上させる

COVID-19が露わにした「観光依存の脆さ」を克服するための柱です。[9]観光収入が地域外へ流出する「経済漏出」を防ぎ、地域内でお金が循環する仕組みをつくるため、観光事業者向けのビジネスプログラムで経営力と生産性を底上げしています。
「Love Wānaka / Love Queenstown」ブランドプログラムで地域の愛着と消費を地域内に結びつけつつ、気候変動を含む将来のショックに備えた緊急時対応計画も整備し、1つの危機に揺さぶられない強靱な観光地経済を着実に構築しています。[10]
キーストーンプロジェクト「カーボンゼロ by 2030」の実行戦略

「カーボンゼロ by 2030」は、「Travel to a Thriving Future」全体の中核(キーストーン)に位置づけられたプロジェクトです。[11]
2030年までにビジターエコノミー全体の温室効果ガス排出量を削減し、残余排出量をカーボン除去で補う形でネットゼロを目指します。
脱炭素を実現する4つの戦略
カーボンゼロの達成に向けて、4つの戦略が相互に連動する形で設計されています。
- 「排出そのものを減らす」こと
クリーンエネルギーへの転換や電動交通の導入といったイノベーションを加速させ、観光活動から生まれる温室効果ガスを発生源から断ちます。
- 「量より質」への転換
訪問者数を増やすのではなく、滞在日数を延ばし、一人あたりの消費額を高めることをめざします。旅の回数が減れば往復の交通排出が抑えられ、地域への経済効果は維持しながら排出量を下げるという発想です。
- 「誰を呼ぶか」の見直し
CO2排出の少ない移動手段を選ぶ旅行者や、長期滞在型の市場を重点的に誘客するようマーケティングを組み替えます。単なる客数拡大から、市場の質を高める方向へと舵を切ります。
- 「どうしても残る排出量を除去する」こと
削減しきれないCO2に対しては、オックスフォード・オフセッティング原則にもとづく高品質なカーボン・リムーバル(炭素除去)に投資します。重要なのは「遠くでの相殺」ではなく、排出が起きた場所の近くで炭素を除去することを優先している点です。この第4の戦略はあくまで最後の手段であり、まず第1〜3の戦略で徹底的に削減することが前提です。
この4つは独立した施策ではなく、システム全体として連動することではじめてカーボンゼロが実現できる、という設計思想が貫かれています。
一つの明確な目標が組織全体の推進力になるこの構造は、目標が分散しがちな日本のDMOにも応用できるモデルです。
訪問者も参加する仕組み ― Love Queenstown / Love Wānaka

観光客のお金を環境再生に直接循環させる仕組みがLove QueenstownとLove Wānakaです。[12]
2023年4月に立ち上げられたコミュニティファンドで、気候対策・自然保護・生物多様性プロジェクトに資金を分配します。
コミュニティファンドの仕組みと具体成果
運営は2つのRTO(地域観光組織)がWakatipu Community Foundation(慈善信託)と連携して行っています 。独立した配分委員会が助成先を選定する透明性の高い構造です。「集める→審査→配分→報告」の循環が制度化されています。
行政主導の観光税とは異なる、民間が自律的に資金を回す仕組みとして参考になります。
事業者・訪問者が担う役割
訪問者はウェブサイトや地区内の拠点から直接寄付できます。事業者は「インパクトパートナー」として自社活動に寄付の仕組みを組み込むことが可能です。住民はボランティアや植樹に参加できます。このモデルが示しているのは、観光が「害を減らす」段階から「積極的に環境を再生する」段階へ進化できるということ 。
寄付ネットワークと事業者パートナーシップの拡大で、今後さらなるインパクトの拡大が見込まれています。
カイ・タフの価値観が計画を支える理由

この地域は、ワイタハ族が西暦850年頃に到達して以来、100世代以上にわたりカイ・タフが暮らしてきた土地です。湖や山々にはすべてマウリ(生命力)が宿ると考えられています。計画の策定段階からカイ・タフは主要なステークホルダーとして参加し、その世界観がビジョン、目的、行動指針に反映されました。土地と人の深いつながりが、この計画のビジョンそのものを支えています。
7つの価値観フレームワーク
フレームワークは次の7つの要素で構成されています 。
- Whanaukataka ファナウカタカ(コミュニティ重視)
- Manaakitaka マナアキタカ(おもてなし)
- Rakatirataka ラカティラタカ(リーダーシップ)
- Haere whakamua ハエレ・ファカムア(未来志向)
- Tikaka ティカカ(適切な行動)
- Kaitiakitaka カイティアキタカ(守護責任)
- Mauri マウリ(生命力)
Kaitiakitaka カイティアキタカは将来世代のために人々・環境・文化を守る責任を指します。マウリは土地や水に宿る生命力を認め、高い注意義務を求める考え方。各価値観は「適用方法」まで計画文書で定義されています。
価値観を”制度化”した点が革新的
この計画が革新的なのは、先住民の価値観を理念として掲げるだけでなく、ガバナンスの判断基準に組み込んだ点にあります。
カイ・タフの価値観フレームワークは、Grow Well | Whaiora Spatial Planの意思決定を方向づけ、さらに地域観光マネジメント計画(DMP)の方針にも直接反映されています。最も重要視する価値観として定められた、マナアキタカ(おもてなし)、ファナウカタカ(コミュニティ重視)、カイティアキタカ(守護責任)は、すべてカイ・タフの価値観に由来するものです。
先住民の知恵が「精神的な前文」にとどまらず、日々の意思決定を導く実務的なツールになっているところに、この計画の独自性があります。
計画を実行するガバナンス構造

計画を実行に移すには、明確なガバナンスが不可欠です。この計画では、独立したガバナンスグループが監督・優先順位の設定・資金配分を行い、DMG(デスティネーションマネジメントグループ)*がタスクフォースを編成して進捗を管理する二層構造を採用しています。
さらに、2023年9月にはDestination Southern Lakes(DSL)が設立されました。マーケティングとマネジメントの機能を明確に分離し、マネジメントに独立した責任をもたせた設計です。[14]
※DMG:一般的に「デスティネーション・マネジメント(観光地経営)」を行う組織群やその手法を指し、主にDMO(観光地域づくり法人)とDMC(デスティネーション・マネジメント・カンパニー)の2つの側面がある。これらは地域の観光資源を最大化し、マーケティングや実行を通じて地域経済を活性化する組織
Destination Southern Lakesの役割
Destination Southern Lakes(DSL)は、ニュージーランド初のデスティネーション・マネジメント専門DMOです。 DQとLWTの2つのRTOを束ねる上位組織として地区全体のDMP推進を監督し、各プロジェクトには「7-30-90モデル」を適用。7日以内にリーダーを任命、30日以内にリソースを確保、90日以内に計画とKPIを策定するサイクルで、計画の「棚上げ」を構造的に防いでいます。
官民・コミュニティの協働モデル
この計画のガバナンスは、行政だけでも、民間だけでも成立しない協働型モデルです。DMGにはDQ、LWT、QLDCに加え、カイ・タフや自然保全局も参加。タスクフォースには事業者や住民も加わり、各プロジェクトの実行を担います。計画文書は「どの単一組織も、単独ではこのビジョンを達成できない」と明記し、情報とリソースのオープンな共有を原則としています。住民・訪問者・事業者・部族がそれぞれ異なる形でガバナンスに関わる全方位型の構造です。
なぜクイーンズタウンは実行段階に入れたのか?

DMPを「計画書」にとどめず実行段階に進められている理由は、5つの構造的要因に整理できます。
- 住民参加:24か月にわたるフォーラムやインタビューで、計画が住民の「自分ごと」に
- 明確な数値目標:「カーボンゼロ by 2030」というキーストーンで、曖昧さのない方向性を示す
- 資金循環:Love Queenstown / Love Wānakaにより、寄付が環境保全に直接流れる仕組みが稼働中
- 価値観の明文化:カイ・タフの7つの価値観をガバナンスの判断基準として制度化
- 実行主体の明確化:専門DMOのDSLが7-30-90モデルで迅速に実装を促進
この5つが揃ったことが、構造的な強さの源泉です。
まとめ
クイーンズタウン湖地方が掲げる「カーボンゼロ観光地」は、単なる環境施策ではありません。それは、経済・環境・コミュニティの課題を同時に立て直すための、地域再設計の戦略です。
「Travel to a Thriving Future」は理念と仕組みを結びつけた観光地経営の実践例といえるでしょう。 まずは、自地域の目標を問い直すことから始めてみてはいかがでしょうか。
参考文献
[1] Travel to a thriving future
[3] Item 2: Destination Management Plan update
[4] Travel to a Thriving Future – Queenstown Lakes Regenerative Tourism Plan Summary
[5] The Plan | Regenerative Tourism NZ
[8] Case Study: The Queenstown Lakes Visitor Economy is Carbon Zero by 2030 | MT2030
[10] Item 2: Destination Management Plan update
[11] Carbon Zero by 2030 | Regenerative Tourism NZ
[12] Love Wānaka / Love Queenstown | Regenerative Tourism NZ
