アルプスに輝く「緑の宝石」メラーノ イタリア・南チロルが証明する、経済と環境が両立するサステナブル観光とは

メラーノ(Merano)[1] は、イタリア北部・南チロル地方にある、ヨーロッパ有数の保養地です。現在、同市が進める持続可能な観光モデルが注目されています。
取り組みの特徴は、環境保全・経済波及・住民の生活向上という3つの要素をすべて満たす点です。本記事では、日本での認知度は限定的であるものの、観光産業の理想形を体現するメラーノの事例から、持続可能な地域運営のヒントを探ります。
メラーノ(Merano)とは? アルプスと地中海の要素が共存する地域特性

メラーノを語るうえで重要なのは、その独自の立ち位置です。同地は、アルプス圏と地中海圏という異なる自然・文化が重なり合う、特徴的な地域に位置しています。
1.マイクロクライメイトが生み出す気候と景観
メラーノは、北側のアルプス山脈が寒気を遮り、南から暖かい空気が流れ込む地形です。このマイクロクライメイト(局地的気候)により、山岳地域でありながら比較的温暖な環境が維持されています。
周辺では標高の高いアルプスの景観が広がる一方、市街地で見られるのはヤシの木や地中海性の植生が中心です。オリーブや柑橘類の栽培も行われており、一般的な山岳リゾートとは異なる景観が形成されています。
また、冬季には近隣でウィンタースポーツが可能でありながら、市街地では比較的穏やかな気候が保たれます。このように、異なる季節性・環境要素が近接して存在する点が、同地の大きな特徴です。
2. 保養地としての歴史とブランド形成
19世紀には、オーストリア=ハンガリー帝国の皇后であるエリザベート(通称シシィ)が療養のために滞在したことで、メラーノは保養地として知られるようになりました。
現在も当時ゆかりの遊歩道「シシィの散歩道」などが整備されており、歴史資源として観光に活用されています。かつての王侯貴族が認めた「癒やしの力」が、現在のウェルネス志向の観光地として発展する基盤となっています。
3. 多文化共存が生む運営の特徴
メラーノでは、イタリア語とドイツ語の両方が公用語として使用されています。
食文化やライフスタイルにはイタリア的な要素が色濃く見られます。一方で、公共インフラや都市運営にはドイツ語圏に見られる効率性や規律性が反映されている点が特徴的です。
このような文化的背景の融合は、観光地としての魅力にとどまらず、持続可能な地域運営を支える基盤としても機能しています。
メラーノの主要観光スポット 景観価値と持続可能性を両立する設計

メラーノの街を歩くと、景観の統一感や清潔さが強く印象に残ります。しかし、その魅力は美観だけにとどまりません。各観光スポットには、環境負荷の低減や地域資源の保全を前提とした設計が取り入れられており、観光と持続可能性を両立する仕組みが実装されています。
1. トラウトマンスドルフ城植物園 生物多様性と観光体験を両立する展示型ランドスケープ

メラーノを代表する観光拠点の一つであり、2013年には国際的なガーデンアワードを受賞しています。
約12ヘクタールの敷地内には、アルプスの高山植物から地中海性植生、さらにはアジアをテーマにした景観まで、80以上の庭園が展開されています。来訪者は一つの園内で多様な生態系を横断的に体験可能です。[2]
運営面では、化学農薬の使用を抑え、益虫を活用した生物学的防除を採用しています。また、散水には湧水や雨水を再利用する仕組みが導入されており、水資源の効率的な利用が図られています。
さらに、園内に併設されている「トゥーリセウム(観光博物館)」では南チロルの観光200年の歴史を紹介。鑑賞にとどまらず、観光のあり方を考える教育的な機能も担っています。
2. テルメ・メラーノ 地域資源とエネルギー効率を両立した都市型スパ施設

街の中心に鎮座する巨大なガラスのキューブ。それが、メラーノが誇るスパ施設テルメ・メラーノ(Terme Merano)です。[3] 設計は世界的な建築家マッテオ・トゥーンが手がけました。
施設では、南チロル産の石材や木材を積極的に採用しており、輸送に伴う環境負荷の抑制と地域産業への貢献を両立しています。
また、テルメ(温泉)の運営には膨大なエネルギーを要しますが、ここでは最新の熱交換システムを導入。温泉水の余熱を館内の暖房やプールの温度維持に再利用することで、環境負荷を最小限に抑えています。
使用される水資源についても、地域の自然資源に由来するものを活用。モンテ・サン・ヴィジリオから引かれたラドンを含む水は、古くから心身の治癒に用いられてきました。自然の恵みを搾取するのではなく、その価値を最大限に高めて提供するウェルネス戦略の核心がここにあります。
3. シシィの散歩道とクアハウス 歩行者中心の都市設計と歴史資産の活用

メラーノの都市運営を特徴づける要素として、歩行者を優先した空間設計が挙げられます。
シシィの散歩道は、市街地からトラウトマンスドルフ城まで続く小径で、車を一切気にすることなく、アルプスの風を感じながら散策できる緑の回廊です。かつて皇后シシィが愛したこの道は、現在では「ソフト・モビリティ(排ガスを出さない移動)」の象徴となっています。
また、歴史的建造物である「クアハウス」は19世紀末に建てられたアール・ヌーヴォー様式の美建築で、今もコンサートやイベントの拠点です。保存にあたっては現代の環境基準に適合するよう改修・維持管理が行われており、歴史資産の継承と機能的活用が両立されています。
メラーノのサステナブル観光戦略3つの柱

メラーノがサステナブル観光の先進事例として評価されている背景には、理念ではなく、認証制度やインフラ整備といった実務レベルでの取り組みがあります。
1.「南チロル・サステナビリティ・ラベル」による可視化と標準化
メラーノを含む南チロル地方では、2023年より「Sustainability Label South Tyrol(南チロル・サステナビリティ・ラベル)」[5] という独自の認証制度が本格的に運用されています。メラーノにおいても同年以降、宿泊施設や観光関連事業者による認証取得を段階的に推進。
同認証制度は、世界サステナブルツーリズム協議会(GSTC)の国際基準に準拠しており、観光における持続可能性を客観的に評価する仕組みとなっています。
2. ソフト・モビリティの実装:公共交通と観光の統合
メラーノでは、観光と交通政策を一体化させた「ソフト・モビリティ」の推進が進められています。環境負荷の低い移動手段を前提とした観光体験の設計が特徴です。[6]
中核となるのが、宿泊者に提供される「メラーノ・パス」で、南チロル全域のバスや鉄道、一部ロープウェイを追加料金なしで利用できます。観光客が自家用車に依存する必要性が低減され、地域全体での交通負荷の抑制につながっています。
さらに、駅や主要拠点にはレンタサイクルや電動モビリティの拠点を多数整備。いわゆる「ラストワンマイル」まで含めた移動環境が設計されています。「自動車を使わない方が利便性が高い」状況が実現されているのです。
3. 季節分散戦略(オールシーズン化)による需要の平準化
観光地における大きな課題の一つが、特定時期への需要集中です。メラーノではこれに対し、年間を通じて来訪動機を分散させる「オールシーズン戦略」を採用しています。
例えば、春は花をテーマとしたイベント、秋は収穫やワイン関連の催し、冬はクリスマスマーケットなど、季節ごとに異なる魅力を提供。代表的なイベントとしては、メラーノ・ワインフェスティバルが挙げられます。
また、市当局は観光地の混雑状況を把握し、必要に応じて入場制限や来訪者の分散誘導の体制を整備。過度な混雑を抑制しながら、観光体験の質と地域住民の生活環境の両立を図っています。
なぜメラーノの取り組みは「成功」と言えるのか 環境配慮と収益性の両立という観点からの検証

「環境配慮を重視すると、利便性や収益性が損なわれるのではないか」という懸念は、観光産業において依然として根強い課題です。これに対しメラーノでは、環境価値そのものを観光体験として設計することで、付加価値と収益性の両立を実現しています。
【ケーススタディ1】ヴィギリウス・マウンテン・リゾート アクセス制限を価値に転換する宿泊モデル

メラーノ近郊に位置する同施設は、ロープウェイでのみアクセス可能な立地にあります。自動車によるアクセスを前提としない設計により、騒音や排気ガスから隔離された静かな環境が維持されています。[7]
「車で行けない」という制約が利便性の低下ではなく、静寂性や没入感といった体験価値として再定義されている点が特徴的です。設計は国際的に評価されている建築家・デザイナーのマッテオ・トゥーンが手がけており、「Eco, not Ego」という思想のもと、地域産の木材や自然素材を活用し、周囲の景観と調和する建築が採用されています。
また、エネルギー面では、間伐材を活用したバイオマスエネルギーを導入しており、化石燃料への依存を抑えた運営を長期にわたり継続。「環境制約をサービス価値へ転換する」ことで、高付加価値型の宿泊モデルを成立させています。
【ケーススタディ2】地産地消を基盤とした食のサプライチェーン 地域内循環を促進する“0km”モデル
メラーノを含む南チロル地域は、ヨーロッパ有数のリンゴ生産地として知られています。同地域では、農産物を域外へ出荷するだけでなく、地域内で消費する仕組みが体系化されています。
代表例が、農家ブランドであるRoter Hahnです。[8] 同ラベルは厳格な品質基準を満たした農家に与えられ、地域内のレストランとの直接取引を促進しています。いわゆる「0km(ゼロキロメートル)」の考え方に基づき、収穫された農産物が短時間で消費地に届けられるため、輸送コストおよびCO2排出の削減に効果的です。
さらに、地域機関の調査によれば、観光客による地元食材の消費は、観光収益の約30%を農業分野へ還元する効果があるとされています。これにより、観光と農業が相互に支え合う経済循環が形成されています。[9]
サステナビリティを「収益ドライバー」に転換する
メラーノの事例から読み取れるのは、環境配慮をコストとして扱うのではなく、体験価 値の源泉として再設計している点です。
- アクセス制限 → 静寂性という高付加価値
- 地元食材の限定性 → ストーリー性のある食体験
- 移動制約 → 滞在型観光への転換
このように、「制約」を差別化要因として活用することで、価格競争に依存しない観光 モデルが構築されています。結果として、環境負荷の低減と収益性の確保が両立されて おり、持続可能性を事業成長に結びつける一つの実践例といえます。
エビデンスで見るメラーノの現在地 データと地域の意思決定から読み解く実態

メラーノのサステナブル観光は、イメージ戦略やプロモーションに依存したものではありません。政策レベルでの意思決定と、定量データに基づく運営によって支えられています。
1. 宿泊キャパシティの上限設定
メラーノを含む南チロル地方では、2022年に宿泊施設の総ベッド数に上限を設ける方針が導入されました。[10]
同施策では、地域全体の宿泊可能人数を原則として2019年時点の水準に据え置くことが基本方針とされています。新規開発による受け入れ能力の拡大ではなく、既存ストックの質向上に重点を置く考え方です。
短期的には成長機会の抑制につながる可能性もありますが、過度な観光集中による住環境への影響を回避し、長期的な地域価値の維持を目的としています。
2. ComuneClimaゴールド取得 公共部門からの脱炭素推進
メラーノは、イタリア国内の環境認証制度である「Comune Clima(気候自治体)」において、ゴールド認証を取得しています。[11]
同制度では、自治体単位でのエネルギー政策や温室効果ガス排出削減の取り組みが評価されます。メラーノでは、公共建築物のエネルギー効率を継続的にモニタリングし、過去と比較して排出量の削減を推進。
重要なのは、こうした取り組みが観光分野に限定されていない点です。廃棄物分別やリサイクル、再生可能エネルギーの活用など、市民生活全体において環境配慮が実践されています。
メラーノはイタリア国内でも高い環境パフォーマンスを維持しており、観光地としての取り組みと都市運営が一体化している点が特徴です。
制約を受け入れる意思決定が持続性を担保する
これらの事例から読み取れるのは、メラーノが成長機会の一部を意図的に制限すること で、長期的な価値を維持している点です。
- 宿泊容量の制限 → 過度な観光集中の回避
- 公共部門の脱炭素 → 地域全体の信頼性向上
このような政策は短期的な収益最大化とは相反する側面もありますが、中長期的には地 域ブランドの毀損リスクを低減し、持続的な競争力の確保につながります。メラーノの 事例は、観光地経営において「成長を抑制する判断」が戦略となり得ることを示してい ます。
メラーノから学べること 「不便さ」を価値に転換する発想

日本には温泉や四季、山岳地形、豊かな農産物など、メラーノと共通する観光資源が多くあります。一方で、それらを持続可能な価値として提供する点には改善の余地があります。
1. 不便さを体験価値に変える
メラーノでは、アクセス制約を「静寂」や「没入感」といった価値に転換しています。日本でも、不便さを解消するのではなく、「そこでしか得られない体験」として再定義することが重要です。
2. 「観光・農業・交通」の統合による価値最大化
メラーノでは、観光、農業、交通といった複数の領域が個別に最適化されるのではなく、相互に連携した仕組みとして設計されています。
日本においては、これらの領域が組織や制度の違いにより分断されているケースが少なくありません。今後は、個別最適ではなく、システム全体としての設計が求められます。
3. サステナビリティを「選ばれる条件」として位置づける
メラーノでは、サステナブルであることをコストや制約としてではなく、ブランド価値の一部として組み込んでいます。その結果、環境配慮と高付加価値化が両立されています。
日本でもサステナビリティを「対応」ではなく「選ばれる理由」として位置づけることが重要です。
まとめ
メラーノの事例は、観光の価値が利便性だけではなく、自然や文化を守りながら体験を丁寧に設計することにあると教えてくれます。
そこで生まれるのは、安心して今という時間を楽しめる、質の高いひとときです。サステナビリティも制約としてではなく、体験の価値をより深める要素として機能しています。
イタリア北部の都市で実践されているこのモデルは、日本各地にも応用できる考え方です。観光を一過性の消費として終わらせるのか、それとも地域に根ざした文化として育てていくのか。その分かれ道を示しているといえるでしょう。
参考文献
[1]https://www.merano-suedtirol.it/en/merano.html
[2]https://www.trauttmansdorff.it/en/
[3]https://www.termemerano.it/en/
[5]Sustainability certification
[6]Südtirol Alto Adige Guest Pass
[7]https://vigilius.it/en/vigilius-mountain-resort-boutique-hotel-with-dolomite-view-in-south-tyrol/
[8]The quality criteria of the Roter Hahn brand
[10]Another Italian Destination Adds Visitor Restrictions to Curb Overtourism | TravelPulse
[11]10 anni di ComuneClima: l’Alto Adige verso la neutralità climatica
