観光地の混雑といえば、これまで「客数の過剰さ」を指す、「オーバーツーリズム」が問題視されてきました。しかし、EUが発表した最新の報告書「T4T(Transition Pathway for Tourism)」は、より本質的な視点を提示しています。それが「アンバランス・ツーリズム」という考え方です。
真の課題は観光客の数そのものではなく、特定の場所や時期に極端に人が「偏る」ことにあります。この偏りが、人気スポットをパンクさせる一方で、周辺地域の衰退を招くという負の連鎖を生んでいます。
本記事では、まず「アンバランス・ツーリズム」とはどういった考え方なのかを紹介します。その後、なぜ「偏り」は発生するのか、「偏り」に対する対策、そして日本で生じている「アンバランス・ツーリズム」にも触れ、新しい観光の形を探ります。
「オーバーツーリズム」から「アンバランス・ツーリズム」へ|EUが提示する新しい問題のとらえ方

これまで、観光地での混雑やトラブルは主に、「オーバーツーリズム」という言葉で議論されてきました。この言葉は、2010年代半ばからメディアや学術機関を中心に広まり、主に「客数の過剰さ」による弊害を指します。これに対し、多くの地域では入域制限や課金といった「数を抑える対策」が優先されてきました。
しかし、EU(欧州連合)が2025年に発表した最新の報告書「T4T(Together for Tourism) Unbalanced Tourism 最終報告書」は成功の指標を「宿泊数」から、「地域への付加価値」や「住民の幸福度」へシフトすべきだと明記されています。
問題の本質は「観光客の数」ではなく、観光客が特定の場所や時期に集中することです。人気スポットは人の集中によりインフラがパンクし、騒音や混雑によって住民がその地域に住み続けづらくなります。
一方で、客足が届かない近隣エリアでは、観光の恩恵を受けられません。結果、伝統文化や自然を守るための資金や担い手が不足し、地域そのものが消滅の危機にさらされてしまいます。
この極端な二極化によって地域全体の活力が失われていく状態こそが、アンバランス・ツーリズムの正体です。


なぜ観光では「偏り」が起きやすいのか

なぜ放っておくと一部の場所だけが混雑し、他が空いてしまうのでしょうか。EUの報告書では、観光が持つ「構造的な弱点」が原因だと指摘されています。
観光資源の多くは「公共のスペース」だから
観光地の魅力は有名スポットや体験施設などだけではありません。寺院が有名な町であれば、そこへ続く風景や道も大切な資源です。
これらは誰でも無料で自由に歩ける「公共のスペース」です。お店が入場規制をかけるようなブレーキをかけにくいため、限界を超えても人が押し寄せてしまいます。その結果、街の雰囲気や住民の生活が壊れるまで人が訪れてしまうのです。人気がさらに人気を呼ぶ仕組み
「市場の原理」とは、みんなが欲しがるものにさらに人が集まるという自然な流れを指します。今はSNSを中心に「映え」スポットの情報がすぐに広まります。すると、便利な場所や有名な場所だけに予約や訪問が集中し、それ以外の魅力的な場所は見過ごされてしまいます。
自由競争に任せると、どうしても「有名な場所」と「誰にも知られないその他」という極端な差が生まれてしまうのです。
「自然な流れ」から「意図的な管理」へ
こうした構造的な理由があるため、混んでいる場所だけ入場規制をしたり、通行料を取ったりするその場しのぎ対策では、根本的な解決にはなりません。一部を規制しても、あふれた観光客が隣の静かなエリアへ移動し、そこでまた新たなトラブルを引き起こすためです。
このように、観光を「自然な流れ」に任せきりにすると、一部はパンクし、他は衰退するという二極化がどうしても起きてしまいます。
だからこそ、地域や国という広い範囲で「人の流れ」を予測し、「どこに・いつ・だれに来てもらうか」を意図的にコントロールする管理が不可欠です。
アンバランス・ツーリズムが示す「新しい観光」とは

EUが提唱する戦略の本質は、観光を「自由競争」から「公共インフラの管理」へと転換することにあります。これまでは各施設が個別に集客し、混雑は仕方のないこととされてきました。
しかしこれからは、地域全体で観光の「流れ」をコントロールします。具体的には「何人来たか」という数への依存をせず、データに基づき、地域のキャパシティに合わせて「いつ・どこに・誰を」案内するかを最適化します。
この管理の目的は、単なる混雑緩和ではありません。一部のスポットに偏っていた利益や関心を地域全体に循環させること。そして、担い手不足だった伝統文化や自然に新たな資金と活力を送り込むことにあります。
観光を「消費」で終わらせず、地域を元気にし続けるための新しい土台へと育てていく。それが、アンバランス・ツーリズムが目指す姿です。
EUが整理した観光の管理を行う5つの観点

アンバランスを解消し、地域を健やかに保つために、EUは以下の5つの柱を「管理の指針」として示しています。
1.観光データの把握(モニタリング)
勘や経験に頼るのではなく、客観的な「数字」で現状を知ることから始めます。具体的には、観光客の数や移動ルート、さらにはごみの量や騒音、住民の満足度などを継続的に記録します。これらの数値をもとに、地域に無理のない計画を立てていきます。
2.観光の分散
特定のスポットに集中している人の流れを、時間や場所をずらして「ならす」工夫です。混雑する時間帯を避けた予約制の導入や、まだ知られていない周辺エリアの魅力を発信します。一箇所への負荷を抑えることで、地域全体に観光の恩恵を広げます。
3.観光の受け入れ許容量の調整
その地域が「壊れずに受け入れられる限界」を決めておくことも重要です。自然環境や住民の生活が守られるラインを引き、予約制の導入や車両の進入制限など、必要に応じて物理的なブレーキをかけます。これは制限ではなく、観光の質を守るためのルール作りです。
4.地域住民との関係性
観光客だけでなく、その土地で暮らす人々を主役に据える視点です。観光が原因で生活が不便になっていないか、地域住民の声に耳を傾ける仕組みを作ります。住民が「観光客が来てくれてよかった」と思えるメリットを実感できる状態を目指します。
5.観光産業における責任
ホテルや飲食店などの事業者が、単に利益を追うだけでなく「地域を守る担い手」としての自覚を持つことです。環境への配慮はもちろん、地域の文化を尊重したサービスを提供します。また、地元の人を適正な条件で雇用するなど、ビジネスを通じて地域をより良くする役割を担います。
EUが実践している観光管理の事例
EUの戦略は、すでに具体的なアクションとして各都市で動き始めています。
クロアチア・ドゥブロヴニク|クルーズ船規制と旧市街の入域管理

「アドリア海の真珠」と呼ばれるドゥブロヴニクでは、巨大なクルーズ船による大量流入が深刻な問題でした。短時間に多くの人が押し寄せ、住民の生活や歴史的な景観を脅かしていたのです。
そこで市は、1日に寄港できる船の数と乗客数を厳格に制限しました。さらに、旧市街の入り口にカメラを設置して人数をリアルタイムでカウントしています。混雑が一定を超えそうな時は入場を制限し、街の質を維持する「ブレーキ」をかけています。[1]
イタリア・フィレンツェ|観光客の分散と郊外エリアの活用

フィレンツェでは、有名なウフィツィ美術館周辺に観光客が集中しすぎていました。その一方で、郊外の魅力的なエリアは十分に活用されないという「偏り」が課題でした。
この解決策として、市は主要な美術品を市内の別会場や郊外へ貸し出し、展示するプロジェクトを進めています。あえて美術品を分散させることで、観光客も分散させるのが狙いです。
中心部の混雑を和らげつつ、これまで恩恵を受けていなかった周辺地域の経済も潤す分散モデルを実現しています。[2]
オーストリア・ウィーン|観光データを活用した来訪者管理

音楽の都ウィーンは、徹底した「データの把握(見える化)」で管理を行っています。公式の観光アプリを通じて、現在のスポットごとの混雑状況を観光客にリアルタイムで提示。さらに、空いているエリアへ向かうと特典が得られる仕組みを導入するなど、デジタル技術を活用して観光客を「空いている場所や時間」へと賢く導いています。
規制や禁止ではなく、データとインセンティブ(動機付け)を用いて人の流れをコントロールすることで、快適さと地域への配慮を両立させています。[3]
日本の観光地における「アンバランス・ツーリズム」

海外の事例は、決して遠い国の話ではありません。現在の日本でも、特定のエリアへの集中と、それ以外の地域の停滞という「二極化」が鮮明になっています。訪日外国人の数はかつての水準を取り戻しつつありますが、訪問先は依然として主要都市に集中しています。[4]
人気スポットでは、公共交通機関の混雑やマナー問題など、住民の生活に支障が出るレベルの摩擦が起きています。[5]一方で、そこから少し離れた地方や農村部には観光の恩恵が届いていません。少子高齢化による担い手不足で、伝統行事や景観の維持が困難になるという、正反対の危機に直面しています。
こうした課題の背景には、一箇所だけを見て帰ってしまう「点の観光」になりがちな傾向があげられます。例えば、有名な寺院だけを訪れて、その門前町や隣の駅にある魅力的な工芸品の産地には立ち寄らないといったケースです。この「偏り」が、一部のパンクと周辺の衰退を同時に引き起こしています。
今、日本に求められているのは、点と点をつなぎ、地域全体に心地よく人の流れを広げていく「バランスの再構築」です。
日本の観光資源の多くは、古くからの街並みや豊かな自然、そして地域の人々の「暮らし」そのものです。これらは地域の共有財産であり、一度壊れてしまえば二度と元には戻りません。観光を「自然な流れ」に任せきりにするのではなく、地域が主体となって守るべきラインを引き、適切にコントロールする時期に来ています。
まとめ
EUが提示した「アンバランス・ツーリズム」という視点は、日本が「観光の質」を高めていくための大きなヒントになります。これまでの観光は、いかに多くの人を呼び込むかという「数」が成功の物差しでした。しかしこれからは、地域が主体となり、自分たちの受け入れ能力に合わせて「いつ、どこに、誰に来てほしいか」を計画することが求められています。
単に混雑を制限するのではなく、データに基づき、地域全体のバランスを整えていく。この取り組みは、一部のスポットに集中していた負荷を抑えることにつながります。それと同時に、これまで隠れていた地域の魅力を引き出し、その土地の文化や環境を長期的に守る土台となります。
「数」への依存から抜け出し、地域全体が心地よく潤う形を模索すること。そして、その土地本来の豊かさを維持しながら、観光を地域の未来に役立てていく。そんな「新しい観光」の形が、今まさに日本でも始まろうとしています。



参考文献
[1]クロアチアの世界遺産都市、急増する観光客に苦慮し人数を制限
[2]60以上の場所にコレクションを分散展示。ウフィツィ美術館の「Uffizi Diffusi」プロジェクトとは?
