おそらく多くの人にとって「旅行」といえば「観光名所を回る」「レストランや市場でおいしい食べ物を堪能する」といった、名所を訪れるスタイルを連想するのではないでしょうか。
さまざまな観光地や町をいくつも訪れ、消費を促すことで自国の経済活性化を狙う動きは、観光産業において変わらず活発である一方、近年のスウェーデンはあえて、「何もしない旅(Slow, Quiet & Mindful Travel)」というコンセプトを打ち出しています。
一見ユニークなこの旅の提案について、スウェーデンはなぜそのようなコンセプトを掲げているのでしょうか。国のさまざまな特徴や実際のキャンペーンを踏まえながら、その理由を見ていきましょう。
スウェーデンが掲げる「退屈さで自分を癒す」旅

近年、スウェーデン観光局は「boredom(退屈さ)」をひとつのキーワードに掲げ、自然に囲まれた滞在、静寂を楽しむ滞在を推奨しています。
スウェーデンはEU内で2番目に人口比率の低い国であり、国土の実に97%が、人の住んでいない自然地帯とされています。
さらに都市からでも自然へのアクセスがしやすいことから、スウェーデン国民にとってはもちろん、旅行者にも気軽に自然スポットに滞在しやすい点が特徴です。
そもそも「退屈さ」が推奨される理由

スウェーデン観光局が提案する「退屈さ」は、身体・精神の健康効果に貢献することの根拠を示しています。
実際に、過去のさまざまな研究を見ると、退屈さは多くのメリットをもたらしてくれることが明らかになっています。
- 脳を回復させてくれる
- 自身を見つめ直したり、深い思考へ導いてくれたりする
- 年齢に関係なく、退屈な時間は感情の調節を促してくれる
- 創造性と問題解決能力を高める
自然に身を置くことで得られる健康効果にも言及し、森林浴はストレスホルモンの一種・コルチゾールの賛成を減少させてくれる。
スウェーデンは世界で最も空気のきれいな国のひとつであり、国民の健康とも関連している。
定期的なウォーキングやサイクリングは、循環器系の病気(Ⅱ型糖尿病や特定のがんなど)の発症リスクを抑えてくれる。
上記のような効果を、スウェーデン国内にあふれる森や湖といった自然資源で実証できることをアピールしています。
もちろん、退屈な時間の作り過ぎが運動不足や不摂生に繋がる場合はかえってよくありませんが、忙しない日常の喧騒から離れ、余白の時間を作ることは現代社会に暮らすわたしたちにとって大切です。
スウェーデン政府は、そうした「退屈さ」を、豊かな自然や人混みの少ない町での滞在を満喫することによって、旅の価値として提案しているのです。
また「退屈な時間」を十分に確保するために、最低でも2泊はするように推奨されています。
スウェーデンの文化から見る「何もしない時間」との相性の良さ

スウェーデンには、伝統的に「退屈な時間を楽しむ」文化や習慣が根付いているといえます。
とりわけ、以下の2つの言葉はスウェーデンの国民性をよくあらわしており、「何もしない時間」を満喫するための極意が詰まっていると言っても過言ではありません。
- Fika
- Lagom
この2つの言葉について、順番に見ていきましょう。
スウェーデンの文化①Fika

スウェーデンの代表的かつ国民的な習慣といえば、Fika(フィーカ)でしょう。
Fikaとは、主にコーヒーと甘いおやつをお供に、家族や友人、仕事場の同僚とくつろぎながらお喋りをする時間です。もちろんひとりで過ごす時間もFikaと呼びます。
スウェーデンの多くの会社でも、少なくとも1回、または2回ほどFikaの時間を設けているほど、スウェーデン人にとっては欠かせない習慣です。
Fikaのやり方はとても簡単です。まずは心地よくくつろげる場所を見つけます。職場や自宅だけでなく、お気に入りのカフェや自然の中でもFikaは出来ます。
その後は、コーヒー(ほかの飲み物でもOK)と甘い焼き菓子を用意し、ただのんびりとくつろぐだけ。
その場にいる人とのおしゃべりを楽しんだり、ひとりで読書や編み物、景色をぼーっと眺めて楽しんだりすればよいのです。
Fikaに時間の制限はありませんが、ちょっとした休憩という感覚で取り入れてみましょう。忙しい日々の隙間にほっと一息つく習慣が、旅の退屈な時間をもっと豊かにしてくれます。
スウェーデンの文化②Lagom
もうひとつ、スウェーデンでの旅や暮らしを楽しむためのヒントとなりそうな言葉が、Lagom(ラーゴム)です。
直訳すると、”just the right amount(ちょうどよい)”という意味になるLagomですが、現代の生活の中では「多すぎず少なすぎず、ちょうどよい量やポイントを選ぶことで、最も心地よくいられる状態」を指します。
たとえば、
・おやつのシナモンロールを、(2個ではなく)1個だけ食べる。→ シナモンロールをちょうどよく楽しめる量の選択によって、「おいしかったな」と思える。
・仕事をやりすぎず、ある程度のところで辞める。→ 過労で疲れてしまうと翌日以降のパフォーマンスに影響が出るため、程よく働くのが「ちょうどよい」という感覚。
・家具やインテリアを選ぶときは、シンプルさと機能性に着目する。→ 家を心地よい空間にするため、落ち着かない色味や派手なデザイン・使いにくいアイテムを避ける。
旅においても、行きたいところややりたいことでスケジュールを詰めすぎるのではなく、数日間はゆっくりする時間を設けたり、自然に身を置いてのんびり過ごしたりすることで、心身ともにちょうどよいバランスを保ち、旅だけでなくその後の日常をも楽しむことができるのではないでしょうか。
スウェーデン観光局が打ち出している「何もしない旅」とは

ここまで、スウェーデンが「何もしない時間」や「自然の中に身を置くこと」を大切にしていることを明らかにしてきましたが、実際にスウェーデン観光局はどのような提案をしているのでしょうか。
今回は、ただ旅行者に「退屈さを楽しんでほしい」と呼びかけるのではない、ちょっと変わったキャンペーンを通して、スウェーデンの「何もしない旅」の提案を味わってみましょう。
旅の提案①スウェーデン式「処方箋」

スウェーデン観光局のウェブサイト・Visit Swedenには、「The Swedish Prescription(スウェーデン式の処方箋)」というページが存在し、実際にPDFファイルでカルテを入手できるようになっています。
このユニークなカルテには、「あなたの医者にこの書類を持っていき、スウェーデンへの滞在を処方してくださいと頼んでみましょう」という一文にはじまり、実際に身体・精神的な健康効果が認められている自然でのアクティビティの例や、スウェーデンの自然や土地の文化がもたらす科学的な健康への効果についての情報が書かれています。
豊かな自然と伝統的な文化・都市でも混雑の少ない人口比率といったスウェーデン独自のメリットを武器に、スウェーデンへの旅を「ケアの時間」とする発想から、ユーモアを含んだ独自のアプローチで旅行者を魅了しています。
旅の提案②森の中のキャビンで静かに過ごす「Stay Quiet」

2025年秋、スウェーデンのスコーネ地方では、森の中のキャビンで静寂な時間を過ごす旅を推奨するキャンペーン「Stay Quiet」を打ち出しました。
数組の旅行者を招待したこの企画では、ただひとつの条件が求められます。
それは、「自然に囲まれて、ただ静かに過ごすこと」。
実際に招待された旅行者たちは、大きな声で話したり、音楽や動画を楽しんだりする代わりに、自然の中から聞こえてくる鳥のさえずりや動物の鳴き声、草木が擦れる音などに耳を澄ますことになります。
この「Stay Quiet(静かに過ごすこと)」は、日常にあふれる喧騒や情報から距離を置き、静寂を通して自然と一体になることで、心身の回復に繋がるという感覚を旅行者に体験させたのです。
現在、当キャンペーン自体はクローズしていますが、森や湖に囲まれたキャビンはスウェーデン各地にあり、滞在が可能となっています。
一度この「静寂」を味わってみたい方は、ぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。
おわりに
今回は、スウェーデンが提案する「何もしない旅」について、提案の理由や実際のキャンペーンについてお伝えしました。
都市ではフィーカを楽しみながらのんびり過ごせ、街を一歩出れば豊かな自然に出会えるスウェーデンは、「何もしない時間」や「静寂」を過ごすのに適しており、ただ「旅をする」だけではない、新たな価値を見出しています。
ユニークな発想によって自国の強みをアピールするスウェーデンの「退屈さを満喫する」旅のあり方は、今後さらに旅行者の注目を集めることになりそうです。
