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漆器の「循環」が地域を耕す。さぬきうるし Sinra が語る、100年先を見据えた産業の再生

2026 2/02
リジェネラティブツーリズム
伝統文化 取材 持続可能な観光 讃岐漆芸 香川県
2026-2-9
提供:さぬきうるし Sinra

工房に籠もり、一振りの筆に魂を込めて、ミリ単位の美しさを追求する。多くの人が「漆芸家」や「伝統工芸の職人」と聞いて思い浮かべるのは、そんな孤高の姿ではないだろうか。

もちろん、技術へのこだわりは職人の命だ。しかし、香川県高松市で漆芸工房「さぬきうるし Sinra 」を立ち上げた松本 光太さんは、その視線をさらに遠く、100年先の「産業」の姿へと向けている。

松本さんが挑んでいるのは、単なる美しい器作りではない。地元の産業廃棄物である「石の粉」を漆と融合させて新たな価値を吹き込み、母校の給食へ漆器を届けることで子供たちの感性を育む。彼が目指しているのは、そうした活動の先にある、地域経済の「循環」をデザインすることだ。

「産業があるからこそ、芸術があるんです」

伝統という言葉に守られた“こだわり”の枠を飛び出し、Made in Kagawaの漆工芸を「自立した産業」へと再生させようとする松本さんの挑戦。そこには、観光が単なる消費で終わらず、地域をより豊かに耕していく「リジェネラティブ(再生)」な旅のヒントが隠されていた。

松本 光太さん
さぬきうるし Sinra 代表 / 日本工芸会 正会員
1997年、人間国宝・磯井正美氏に師事。2006年日本伝統工芸展奨励賞、香川県文化芸術新人賞など受賞多数。2012年に工房を設立。伝統技法を継承しつつ、現代の暮らしに調和する作品を制作。タイ、フランスなど海外展覧会も精力的に行い、香川漆芸を世界へ発信している。

捨てられるはずの「石の粉」が、「ザ・香川」の価値に変わるまで

その漆器は、私たちが抱く「漆=黒や赤の艶やかな光沢」というイメージを、軽やかに裏切る。木の温もりを残しつつ、石の粉が織りなすマットな質感と、淡く優しい色合い。それが「石粉塗り」を特徴とする、Ishikoシリーズだ。

画像出展:さぬきうるし Sinra

このシリーズの最大の特徴は、他産地には決して真似できない、香川独自の素材にある。香川県が世界に誇る名石「庵治石(あじいし)」を切削する際に出る、膨大な量の「石粉」を漆に混ぜ込んでいるのだ。

これまで産業廃棄物として、年間数十トン単位で捨てられていた庵治石の石粉。松本さんは「もったいない」という直感から、この廃材を香川県に欠けていた「地の粉」に代わる、新たな素材として再定義した。

この石粉塗りの漆器が、高松にある一棟貸しのプライベートホテルに収められたことが、大きな転換点となる。漆器が持つ背景や物語が宿泊客に伝わり、やがて大きな注目を集めることとなったのだ。その実績が評価され、2025年3月には地域産品部門における「せとうちDMOアワード」を受賞している。

単に「伝統的だから」という理由だけで評価されたのではない。地域の廃棄物を宝に変え、地元の職人が手を動かす。その徹底した「地域内循環」のモデルこそが、持続可能な地域産品として支持された理由だ。

「この器、実は庵治石が入ってるんです」。その一言を入り口に、会話は地域の歴史へとリンクしていく。国会議事堂や大阪城の石垣にも使われる、香川が誇る銘石。この器は、使い手を産地の奥深いストーリーへと導く「案内人」でもあるのだ。

そして、この循環は経済にも血を通わせる。地元の木地師(きじし)に仕事を依頼し続けることで、減少する職人の現場に活気が戻る。松本さんが描くのは自分たちだけでなく、地域全体が手を取り合って豊かになる未来図だ。

漆の産地ではない香川が選んだ道

讃岐漆器が独自の発展を遂げ、その名を全国に轟かせたのは江戸時代末期のこと。だが、その華やかな歴史とは裏腹に、そもそも香川県は、漆の樹液も、下地に必要な良質な土(地の粉)も採れない「持たざる産地」だ。

素材の優位性を持たないこの地が、なぜハンデを乗り越え、日本の漆芸界を席巻できたのか。その中心にいたのが、玉楮象谷(たまかじぞうこく)という一人の名工だ。彼は素材の不足を、東南アジアや中国由来の多彩な「加飾技法」を取り入れることで克服。実用性重視だった日本の漆器に、アートの風を吹き込んだのだ。

提供:さぬきうるし Sinra

松本さん:香川は素材を持たないからこそ、先人たちは他産地とは一線を画す創意工夫を凝らしました。蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)といった独自の技法は、まさにその結晶です。「何もない」という逆境を、圧倒的な技巧とデザイン力でカバーし、唯一無二の価値に変えてきた歴史が、香川にはあるんです。

他の地域から木地を取り寄せて塗るだけなら、どこでもできる。せっかく「香川漆器」という看板を掲げるなら、香川独自の素材を使い、香川の職人が塗り上げ、この土地のポテンシャルをすべて詰め込まなければ、意味がないと思うんです。

アワードでも高く評価された「石粉塗り」は、まさにその現代版の回答だ。かつての巨匠たちがそうであったように、現代のライフスタイルにそぐわない伝統の殻をあえて破り、地域の廃材(石粉)という新しいエッセンスを漆に混ぜ込む。

それは伝統の破壊ではなく、香川漆器が生き残るために選んできた「創意工夫という伝統」の正統な継承なのである。

一度でも触れたことがあるか。100年後の文化を耕す「食育」

松本さんが「再生」を語る上で、避けては通れないテーマがある。それは「教育」だ。伝統工芸の未来を語るとき、多くの人は「後継者(作り手)不足」を嘆く。しかし、松本さんの視点はその奥にある。真に不足しているのは、作り手ではなく、その価値を理解できる「使い手」の原体験なのだ。

提供:さぬきうるし Sinra

松本さん:最も大切なのは、幼い頃の記憶に「漆の手触り」があるかどうかなんです。その原風景がないまま大人になれば、生活道具に漆器を選ぶという選択肢自体が生まれません。

便利で手軽な量産品だけで、生活が完結してしまう。それが悪いわけではなく、単に本物の心地よさを「知らない」まま歳を重ねてしまうことが、工芸にとって一番の壁なんです。

松本さん自身、代々続く職人の家系に生まれたわけでもなく、かつてはプラモデル作りに熱中するような一般的な少年だったという。しかし、食卓には当たり前のように、母が選んだ漆の椀があった。日常の中で「自然素材」に触れ続けていたその記憶が、知らず知らずのうちに彼の感性を耕し、現在の活動の根っこになっているのである。

提供:さぬきうるし Sinra

幼い頃の原体験こそが、未来の産業を支える。その確信を行動に移すべく、松本さんは母校の小学校へ漆器を届けるプロジェクトを始動させた。単に「良い物を使ってほしい」という善意だけではない。そこには、一過性の活動で終わらせず、産業として根付かせるための未来への設計図が描かれていた。

松本さん:必要なのは、一時的な支援ではなく、継続的に仕事が生まれる仕組みへの投資だと考えています。例えば、学校給食に漆器を導入し、そのメンテナンス予算を組む。漆器はプラスチックのようにメンテナンスフリーではありませんが、修理すれば新品同様に蘇ります。毎年「修理」という仕事が必ず発生するようになれば、地元の職人は安心して技術を磨き続けられるし、経済も回る。

そして何より、毎日漆器に触れて育った子どもたちは、地元の産業に誇りを持つようになるでしょう。「香川にはこんなにも素晴らしい文化がある」という誇りこそが、将来彼らが故郷に戻ってくる一番の理由になり、過疎化を食い止める鍵になると信じています。

漆器を使い、修理して長く使う。そのサイクルを学校給食に組み込むことは、地元の職人に継続的な仕事を生み出す、確かな経済システムとなる。

そして、その想いは確実に届き始めており、松本さんの元には、器を使った子供たちから感謝を伝える、元気な声や手紙が届いているという。

金属やプラスチックの器が放つカチャカチャという音ではなく、木と漆の温もりに触れて育つこと。その体験から生まれた純粋な感謝の言葉こそが、100年後の香川の文化、そして地場産業を支える、最もリジェネラティブな投資となるに違いない。

金継ぎが繋ぐ、旅人と地域の精神性。

松本さんが描く循環の輪は、地元の子どもたちだけでなく、海を越えてやってくる旅人にも広がっている。いま、高松を訪れる欧米の旅行者から、熱烈な視線を集めているのが「金継ぎ」だ。

松本さん:金継ぎには、人間の生き方に通じる魅力があるんだと思います。欠点を隠すのではなく、あえて美に変えて、もう一度輝かせる。捨てられるはずだったものが、世界に一つだけの芸術作品になるんです。

松本さんが主催するワークショップには、オーストラリアやイタリア、アメリカなどから多くの人々が訪れる。彼らは単に「器の修理」を学びに来たのではない。形あるものが壊れ、それを慈しみながら再生させるという日本独自の精神性を、肌身で体験しようとしているのだ 。

提供:さぬきうるし Sinra

ここでも松本さんの視線は、極めて現実的で開かれている。技術を自らの中に留めるのではなく、訪れる人々に惜しみなく伝えていく。

松本さん:自分が食べていくことだけを考えるのではなく、文化を広めることを中心に考えなければいけない。多くの人が漆に触れ、面白いと感じる「余白」を作ることが、結果として産業を守る熱量になるんです。

産業という「糧」の先に、アートが宿る。

松本さんは30代後半で、伝統的な工芸界のしきたりから距離を置き、「さぬきうるし Sinra (森羅)」を立ち上げた。その根底にあるのは、「食べていけない芸術家」を生み出し続ける構造への強烈な危機感だ。

松本さん:産業という糧があってこそ、その先にアートがあると考えています。日々の職人仕事を積み重ねるからこそ、アイデアが活きる。若者が「こういう生き方(食い方)もあるのか」と思えるモデルになりたい。

僕は、自分の名前や作品が後世に残らなくても構わないんです。自分が生きている間に面白いと思うことをやり遂げ、脈々と続く歴史の中で一瞬の輝きを持てれば、それで十分だと思っています。

かつての人間国宝たちも、その時代においては「当たり前」から逸脱した新しい技術を世に問い、風を起こしてきた。松本さんの挑戦もまた、その「創意工夫」という香川漆器の本流を継承しているに過ぎない。

100年後の土壌を豊かに耕す「旅」

「漆器を一度でも使ったことがあるか」という問いから始まった松本さんの挑戦は、石粉という廃材を価値に変え、給食という日常に本物を届け、金継ぎという体験を通じて旅人と哲学を共有するまでになった。

それは、地域の資源を消費して終わる観光ではない。旅人がその土地の循環の一部となり、職人の思想に触れることで、自身の価値観をもアップデートしていく「再生」のプロセスだ。

松本さんが耕しているのは、目先の利益ではない。100年後の香川に、漆器の温もりを知る使い手がいて、誇りを持って筆を握る職人がいる――、 そんな「当たり前の景色」だ。

私たちが香川の漆器を手に取り、その重みと温もりを感じるとき。そこには、過去から未来へと繋がる、力強い循環の鼓動が宿っている。

取材協力:さぬきうるし Sinra




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