バラマキ観光からの脱却。サステナブルな観光を作るインセンティブ設計

観光地の混雑や環境負荷が深刻化したことにより、これまでの観光施策が見直され始めています。
かつては、観光客を増やすことに焦点を当てたインセンティブを活用する施策が中心でした。割引やクーポンといったインセンティブは、観光客増加には効果的です。しかし、同時に価格競争や消費喚起による負の連鎖も招いてきました。
インセンティブの本来の役割は、人々の行動を望ましい方向へ誘導することです。明確な目的を持って設計すれば、オーバーツーリズムや環境負荷といった課題を解決できる可能性があります。
本記事では、観光におけるインセンティブの活用方法を見直し、持続可能な観光を実現するための設計例や先進事例を詳しく解説します。
なぜ今、観光インセンティブの見直しが必要なのか
近年は観光客を増やすこと自体が、必ずしも地域や事業者に価値をもたらさなくなっています。その結果、観光における「成功」とは何かが見直され始めています。同時に、インセンティブの設計も見直され始めている状況です。
観光客の増加は、一見すると地域経済にポジティブな影響を与えるように思えます。しかし、実際には事業者や地域に大きな負担を生んでいるのが現状です。
こうした問題の本質は、観光客の人数ではなく行動にあります。たとえば、観光客数が同じでも、時間や場所を分散できれば、地域や事業者への影響は大きく変わります。
だからこそ、消費をうながすだけでなく持続可能な観光につながるように、インセンティブの活用が見直されているのです。
「バラマキ型」の観光施策が抱える問題
観光産業では長年、割引やクーポン配布といった消費喚起型のインセンティブが主流でした。こうした施策は短期的には集客効果がありますが、中長期的には観光の価値を低下させる原因になりえます。
価格を下げる施策は、一時的に観光客数を増やすと同時に「安さ」を求める層を集めてしまうからです。観光地や事業者は差別化のために価格を下げ続けることになり、結果として収益性が悪化してしまうのです。
価格競争が激しくなると、観光地が本来持つ文化的価値や、体験の質が軽視されがちです。事業者は価格を下げるためにサービスの質を落とさざるを得なくなり、地域の魅力や独自性が損なわれてしまいます。
インセンティブは「行動を変えるツール」になり得る
この考え方を観光に応用すれば、オーバーツーリズムや環境負荷といった課題を解決することも可能です。
たとえば、混雑時間帯以外の施設利用料を低くしたり、公共交通機関の利用者に特典を提供したりするといった方法が考えられます。インセンティブを「行動を変えるツール」として活用することで、観光客は自然と地域にとって望ましい行動を選ぶようになります。
禁止ではなく「選びたくなる」ことの重要性
観光客の行動を変えるには、禁止や規制よりも、望ましい行動を「選びたくなる」仕組みが効果的です。
規制や罰則による強制的なアプローチは、観光客に不快感や反発を生み、観光体験の満足度を低下させてしまいます。
一方、インセンティブを活用した行動誘導は、観光客に選択の自由を残しながら望ましい行動へとうながせます。「禁止されたから仕方なく」ではなく「お得だから選んだ」という納得感があるため、満足度を損なわずに観光客の行動を変えることが可能です。
持続可能な観光につながるインセンティブの設計例
観光客の行動は時間・場所・移動手段の選択、消費行動、地域との関わり方など多岐にわたります。望ましい行動をうながすためには、それぞれの場面に応じたインセンティブを設計することが重要です。
持続可能な観光につながるインセンティブの活用方法としては、以下のようなものが考えられます。
- 時間・場所をずらすインセンティブ
- 環境に配慮した行動をうながすインセンティブ
- 地域貢献や学びをうながすインセンティブ
- 地域住民・資源との触れ合いをうながすインセンティブ
時間・場所をずらすインセンティブ
時間や場所の分散をうながすインセンティブは、オーバーツーリズム対策として効果的な手法です。混雑する時間帯や場所を避けた観光客に特典を提供することで、観光客の流れを自然にコントロールできます。
具体的には、以下のようなインセンティブの設計が考えられます。
- 混雑する時間帯を避けて施設を利用した観光客に割引を適用する
- 繁忙期ではなく閑散期に訪れた宿泊客に地域通貨やポイントを付与する
- 人気観光地ではなく、地域の知られざるスポットを訪れた観光客に特典を提供する
上記のようなインセンティブを活用すれば、観光客に「お得に楽しめた」というメリットを感じさせながら、自然と混雑を緩和することが可能です。
環境に配慮した行動をうながすインセンティブ
インセンティブを活用して、環境に配慮した行動を選んだ観光客にメリットを与えることで、地域の持続可能性を高められます。
たとえば、以下のようなインセンティブの活用方法が考えられます。
- 公共交通機関を利用した観光客に地域の飲食店や土産物店で使えるポイントを付与
- タオルやシーツの交換頻度を減らした宿泊客に割引クーポンを提供
- マイボトルを持参した観光客にドリンクサービスを提供
環境に配慮した行動が「損をする選択」ではなく「得をする選択」になることで、観光客は無理なく持続可能な行動を選びやすくなります。
地域貢献や学びをうながすインセンティブ
地域の課題解決や文化理解とインセンティブを結びつけることで、観光を通じた地域貢献や学びをうながせます。
たとえば、農業体験や伝統工芸のワークショップなどに参加した観光客へ、特典を提供する方法が考えられます。特典には、地元の特産品や地元ショップで使える割引券などが効果的です。
こうした取り組みにより、観光が単なる消費活動ではなく、地域との関わりを深める体験となる点が特徴です。観光客が地域への愛着や理解を深めるきっかけとなり関係人口の増加も期待できます。
地域住民・資源との触れ合いをうながすインセンティブ
地域住民や地域資源との交流をうながすインセンティブは、観光客に本質的な地域体験を提供すると同時に、地域経済の活性化にもつながります。
たとえば、以下のようなインセンティブの設計が効果的です。
- 地元の個人経営飲食店や商店を利用した観光客にポイントを付与
- 地元農家の直売所で買い物をした観光客や、地域の伝統行事に参加した観光客に特典を提供
- 地域を巡るスタンプラリープログラムを設計し、達成者に記念品や限定体験を提供
上記のような取り組みは、観光客にとって、定番スポット以外の地域ならではの体験を楽しむ機会となります。同時に、地域にとってはまだ知られていない地域資源を広めたり、観光消費を地元事業者に還元したりする効果が期待できます。
効果的なインセンティブの活用事例4選
すでに日本国内には、インセンティブを効果的に活用している地域や、そうした取り組みを後押しする制度が存在します。
時間や場所の分散をうながす施策、環境学習とポイント付与を組み合わせた仕組み、地域貢献をコインに変える取り組みなど、具体的な設計方法はさまざまです。事例をもとに、自身の地域に合ったインセンティブの活用方法を考えましょう。
夜間イベントとチケット配布で分散促進 | 埼玉県秩父市

埼玉県秩父市では、オーバーツーリズムによって特定の地域と時間に観光客が集中していました。とくに三峯神社周辺で混雑が発生。10時から14時までに訪問が集中することで駐車場が混雑し、渋滞が発生していました。[2]
秩父市では、観光客の分散を目的に、インセンティブを活用した施策を実施。三峯神社以外のエリアと夕方の移動を誘導するため、秩父駅周辺にて夜間イベントを開催しました。さらに、14時以降に駐車場に入った観光客には、夜間イベントで利用できるチケットも提供しています。
取り組みの結果、観光客の移動時間帯が分散され、渋滞も大幅に解消されました。インセンティブを活用することで、規制や制限を設けることなく、観光客の行動変容をうながした好事例といえます。
「グリーンコイン」で環境への貢献を実感 | 東急ホテルズ

グリーンコイン制度は、宿泊客が対象となるアメニティを使用しなかった場合、その分の金額を環境保全活動へ寄付する制度です。[3]
ホテルで日々使われている歯ブラシやカミソリなどの使用量を削減し、身近なところから地球環境への負荷を軽減。宿泊客は、備え付けの木製「グリーンコイン」をフロントに提出することで参加できます。
グリーンコイン制度は2001年に始まり、20年以上継続されています。
グリーンコイン制度は、参加者に持続可能な環境に貢献したという実感や、地球との一体感をもたらす点が特徴的です。
旅行者が得るのは、割引やポイントなどの明確なメリットではなく「関われた」「役に立った」という静かな喜びです。旅行者はグリーンコインを手に取り、木の温もりを感じながらポジティブな気持ちで環境保全活動に参加できます。
地域貢献でコイン獲得 | まちのコイン

まちのコインは、デジタルコミュニティや地域通貨の活用を広めるプラットフォームです。
地域で使えるコインをインセンティブとして付与し、観光客や住民の行動変容をうながしています。
まちのコインに参加している地域で、以下のような地域貢献や環境保全につながる活動を行うと、コインを獲得できます。[5]
- 渋滞緩和のためのモノレールの利用
- ごみ拾い
- 地域のコミュニティセンターの来訪
- お店の手伝い
- 地域イベントへの参加
獲得したコインは、地域ショップの限定メニューや限定商品の購入、限定体験などに利用可能。観光客は、地域に貢献しながら、ここでしか得られない体験を楽しめます。
また、獲得したコインが地域で消費されることで、地域経済の活性化にもつながっています。
まちのコインは、2026年1月時点で神奈川県鎌倉市や大阪府八尾市、沖縄県石垣島など17の地域で導入されています。
スタンプとコインで地域の魅力発見 | 国立公園めぐりスタンプラリー

日本の国立公園めぐりスタンプラリーは、環境省が行うデジタルスタンプラリープロジェクトです。スタンプラリーという仕組みと記念品というインセンティブを組み合わせることで、まだ知られていない地域の魅力を発信しています。
本プロジェクトでは、公園ごとに設定されたコースを達成すると、コインや認定証といった特典が与えられます。獲得したコインを利用することで、先着で限定の記念品を受け取れる仕組みです。
また、国立公園ごとにスタンプのデザインが異なるため、スタンプを集める楽しさも回遊のインセンティブとして機能しています。
観光客が楽しみながら参加できる設計とインセンティブにより、まだ知られていない地域資源の周知に貢献しています。
効果的なインセンティブを設計するポイント
インセンティブを活用した観光施策を成功させるには、単に特典やメリットを用意するだけでは不十分です。目的の明確化や効果の測定、地域全体での連携といった視点が欠かせません。
「何を変えたいか」から考える
効果的なインセンティブを設計するには、まず「何を変えたいか」という目的を明確にすることが重要です。目的によって、設計すべきインセンティブの内容も異なるからです。
たとえば、オーバーツーリズムを解消したいのであれば、観光客の時間的・場所的分散が目的となります。環境負荷を減らしたいのであれば、公共交通機関の利用促進やごみの削減が目的です。
目的を明確にすることで、観光客にうながすべき行動や、インセンティブを提供するタイミング、インセンティブの内容などが設計しやすくなります。
成果を測る仕組みづくりを行う
インセンティブの効果を高めるには、成果を測る仕組みが不可欠です。効果測定なしでは、施策が本当に機能しているのか、改善すべき点はどこかが判断できません。
たとえば、観光客の時間分散を目的とする場合は、時間帯別の来訪者数や混雑度の変化を測定しましょう。
デジタルツールを活用すれば、インセンティブの利用状況や観光客の行動パターンをリアルタイムで把握できます。データに基づいて施策を評価し、必要に応じてインセンティブの内容や提供方法を調整することで、取り組みの精度が上がります。
地域全体の視点で設計する
観光客の行動は宿泊、移動、観光、食事、買い物など多岐にわたります。そのため、単独の施策にせず、地域全体が関わる設計にすることで、より効果的な施策になります。
たとえば、何らかのポイントを付与しても、そのポイントが一部の飲食店でしか使えなければ、観光客にとっての魅力は限定的です。一方、宿泊施設、観光施設、飲食店など地域全体でポイントや割引が使えれば、観光客の行動変容に対する動機が高まります。
地域通貨やデジタルプラットフォームを活用し、複数の事業者や自治体が連携できる仕組みを整えましょう。
インセンティブの設計から考える持続可能な観光
観光におけるインセンティブは、消費をうながすだけではなく、観光客の行動を望ましい方向へ導く効果的な手段です。時間や場所の分散、環境に配慮した行動の促進、地域への貢献といった明確な目的を持って設計することで、さまざまな課題の解決につながります。
インセンティブの再設計は、観光産業が量から質へと転換し、持続可能性を高めるための重要な鍵となります。本記事を参考にインセンティブの活用方法を見直し、持続可能な観光地づくりに活かしましょう。
参考文献
[2]埼玉県秩父市 | オーバーツーリズムの未然防止・抑制による持続可能な観光地域づくり(先駆モデル地域) | 事例集・支援ツール | 観光庁
[4]宿泊時に緑化活動支援ができるグリーンコイン制度を10年継続中(東急ホテルズ)|WE DO ECO.|広告|東急グループサイト
