画像提供:一般社団法人 海峡都市関門DMO
山口県下関市と福岡県北九州市門司区。本州と九州が最短約650メートルの海峡で向かい合うこの二都市を、ひとつの観光エリアとして束ねようとしている組織がある。一般社団法人 海峡都市関門DMO(以下、関門DMO)だ。(*1)
その関門DMOが、オランダに本部を置き、観光地の持続可能性を国際基準で評価する国際組織「グリーンデスティネーションズ」のGreen Destinations Top100(以下、GD Top100)に選出され、さらにデスティネーション・マネジメント部門で世界3位に選ばれた。環境保全、地域経済への貢献、文化の継承、ガバナンスなど100項目にわたる基準で評価されるこの選出において、同部門トップ3入りは日本初の快挙だ。

その報せを聞いたとき、筆者の第一印象は「関門エリアにどんな観光資源があるのだろう」という素朴な疑問だった。関門海峡を通る関門トンネルないし関門橋は、本州へと向かう途中に通り過ぎるものであり、それ自体を目的に訪れるという発想が福岡在住の筆者にはなかった。
おそらく、北九州市や下関市を訪れる多くの人が、同じ感覚を持っているのではないだろうか。しかし、関門DMOへの取材を通して、その感覚はひっくり返ることになる。二つの都市を隔てていたはずの海峡が、実は両者をつなぐ唯一の資源だったのである。

なぜ、世界基準に挑んだのか
関門エリアには、源平合戦の壇ノ浦をはじめ、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を繰り広げた巌流島など、歴史的なエピソードが豊富にある。しかし、観光資源として現在に残るものを見渡すと、明治期の洋風建築が立ち並ぶ門司港レトロのように、その多くは明治以降に集中している。歴史的な遺産や景観を中心に評価される国内のアワードの文脈では、関門エリアの強みが伝わりにくいといった課題を抱えていた。

一方で、下関と門司港という二つのエリアが、海峡を挟んで向かい合うという地理的な特性は、周遊という観点から見ると大きな可能性を秘めている。片方を訪れた人がもう一方へと渡る。その往来が生まれるとき、関門エリアはひとつの観光地として機能し始め、二つの都市が互いの魅力を高め合う循環が生まれる。しかしその可能性を引き出すためには、国内の土俵ではなく、別の評価軸が必要だった。
だからこそ関門DMOが向いたのが、世界という舞台だった。転機になったのは、観光庁の事業を通じてGSTC*の研修を受ける機会を得たことにある。持続可能な観光とは何か、観光地はどのような基準で評価されるべきか。その問いに体系的に向き合ったことで、関門エリアを世界の文脈で捉え直す視点が生まれた。
*GSTC(Global Sustainable Tourism Council):持続可能な観光の国際基準を策定・普及する国際機関。DMOや観光地の持続可能性を評価する際の世界的な指標として参照されている。
観光地は、訪れてもらい続けることで初めて成立する。しかし実際には、かつての賑わいを失い、静かに衰退していく観光地が日本各地に存在する。研修を通じて関門DMOが得たのは、持続可能な観光とは単に環境に配慮することではなく、地域が観光地として生き続けるための構造そのものをつくることだという視点だった。その視点を得たとき、関門DMOにとってGD Top100への挑戦は、自分たちの取り組みを「世界の基準で問い直す」ための一歩として浮かび上がった。

観光客に「ひとつの街」として認識されることの難しさ
世界基準への挑戦という動機を持ちながら、関門DMOが直面してきた最大の課題は、そもそも「関門エリア」というひとつの観光地を成立させること自体が、構造的に難しいという問題だ。
関門エリアを構成するのは、下関と門司港である。それぞれの文字を取り「関門」とされているが、下関市は山口県に、門司港のある門司区は福岡県北九州市に属する。県も市も異なる二つの都市をまたいで動く関門DMOは、地域連携DMOならではの難しさがそこにある。

さらに難しいのが、地域のアイデンティティの問題だ。北九州市は、1963年に門司市・小倉市・若松市・八幡市・戸畑市の5市が合併して誕生した都市である。しかしこの合併は行政上の統合であり、それぞれの街が長年かけて育んできた文化や歴史までが統合されたわけではない。半世紀以上が経った今も、市民に出身地を尋ねると「北九州」とは答えず、「門司」「小倉」「八幡」と、合併前の旧市名で答える人も多い。
関門DMOディレクターの末吉春香さんはその土地柄を、「地域愛の強さの表れ」だと感じている。細かな地名単位で強いアイデンティティを持つことは、見方を変えれば、豊かな地域性の証でもある。しかし「関門」というより大きな括りでひとつの観光地を作ろうとする時、その地域愛の強さは時に壁になる。北九州側の取り組みを下関側に提案すれば「それは向こうの話では」となり、その逆もまた然りだ。

その難しさは、GD Top100への応募プロセスにも具体的な形で現れた。申請にあたっては、関門エリアとしての独自のビジョンが必要だった。両市それぞれの観光ビジョンを参照しながら「関門」という単位に落とし込む作業は、単独の自治体が申請するよりも確実に手間がかかる。県も市も違う二つの都市が「ひとつのエリア」として世界の舞台に立つことの難しさを、関門DMOは応募の過程で改めて実感することになった。
しかし、末吉さんはその難しさを諦めではなく、工夫の余地として捉えている。ベースとなる考え方は共有しながらも、それぞれの地域の個性を活かした形で実践する。一方でうまくいけば、もう一方にも応用できる。「地域愛が強いからこそ生まれる壁は、その地域愛を尊重することでしか乗り越えられない」と、末吉さんは指摘する。「関門エリア」という括りは、二つの地域の個性を単にまとめるのではなく、それぞれの個性が輝く舞台をつくるためにあるのだ。
関門の海底を歩き、列車の風を感じる
そもそもGD Top100は、DMOという組織ではなく、地域名に対して与えられる評価だ。つまりこの挑戦は、関門DMOだけが頑張ればよいという話でもない。地域に暮らす人々と一緒に観光地をつくっていくことへの意志と実績が問われる。二つの都市をひとつのエリアとして束ねるためには、どちらかだけの都市に属さず、地域全体が等しく共有できる資源が必要だった。
設立から約5年、関門DMOは関門エリアならではのコンテンツを模索し続けてきた。巌流島でのなりきり撮影体験、抜刀術・剣術のツアー、関門海峡の潮流に流される体験。しかしこれらには共通の限界があった。どれも下関か門司港か、一方の都市に帰属するものであり、「関門エリア」としての共通の体験にはなりにくかった。
では、どちらの都市にも属さない共通の資源とは何か。その答えは、意外なほど身近なところにあった。関門橋、関門トンネル、そして関門海峡そのものだ。

景色や食を観光資源とすると、どちらかの都市に帰属してしまうが、関門橋とトンネルは、二つの都市の「間」に存在する。下関だけの物でもなければ、門司港だけの物でもない。この場所にしか存在しない共通の資源が、あまりにも当たり前すぎて、長い間、誰も観光の文脈で語ろうとしなかった。
ならば、この関門海峡というインフラそのものを観光資源にできないか。そこから生まれたのが、橋やトンネルといった社会インフラを観光の舞台として活用する「インフラツーリズム」という打ち出しだった。日本では黒部ダムや明石海峡大橋など、大型インフラの見学ツアーが一定の人気を集めており、国土交通省もその普及を後押ししている。
しかし、関門DMOが目指したのは、単なる構造物の見学を超えた体験だ。関門橋とトンネルを入口に、地域の歴史や技術、そこで働く人々の姿を伝えることで、二つの都市をつなぐ共通の物語を生み出そうとした。
具体的には、関門鉄道トンネルと関門国道トンネルの二つのバックヤードツアーを企画・実施した。関門鉄道トンネルのツアーは、博多から特別列車で門司港駅へと向かうところから始まる。門司港駅は1891年の開業以来、九州の鉄道の起点として機能してきた歴史的な駅舎だ。

そしてこの関門鉄道トンネルは、1942年の開通当時、世界で初めて海底を通る鉄道トンネルとして建設された。当時の技術の粋を集めて掘られたこのトンネルは、その事実だけでも世界に誇れる資源である。
関門鉄道トンネルのツアーでは、本坑を掘る前に試掘された小さなトンネルへと案内される。現役の線路を走る列車が視界に入り、通過する瞬間、轟音とともに強い風圧を全身で受け止める。その一瞬、海底という非日常の空間に、地上から続く現実の時間が刻まれる。
ツアーの締めくくりには、駅長と共に駅構内を巡る体験も組み込まれた。門司港駅は九州で唯一、今も駅員による生アナウンスが行われており、駅員の制服も他の駅とは異なる特別なものだ。その制服を実際に着て、駅長室で記念撮影をするという体験は、鉄道ファンならずとも心が動く瞬間だろう。

一方、関門国道トンネルのツアーでは、トロッコ列車で和布刈まで移動し、そこから人道トンネルを歩いて対岸へと渡るところから始まる。関門海峡の海底には、車道トンネルと並んで二つの都市を結ぶ歩行者・自転車専用の人道トンネルが通っており、徒歩で本州と九州を行き来することができる。

橋の下からトンネルに入り、対岸へと渡った後、車道トンネルのバックヤードへと案内される。現在も1日に約2万5千台の車両が通行する現役の幹線インフラの、普段は見えない部分に足を踏み入れる体験だ。(*2)

このツアーが参加者から特に支持を集めた理由のひとつが、ガイドの存在だ。案内を担ったのは観光のプロではなく、そのトンネルを日常的にメンテナンスしている現場の担当者たちである。構造物の歴史や技術的な背景を、現場で働く人間の言葉で語る。
その情報の密度と熱量は、マニュアルに沿った案内とは質が異なる。現場を知る人間が語ることで、関門橋とトンネルはただの構造物から、この場所の歴史と技術と人をつなぐ物語へと変わる。

末吉さんによると、ツアー参加者の顔ぶれは、関門DMOの想定を超えていたそうだ。名古屋や新潟、徳島、広島など遠方から足を運ぶ参加者が相次ぎ、韓国の鉄道ファングループまでもが参加した。韓国の参加者たちからは、「バックツアー第2弾をやってくれないか」という声が今も届いているという。インフラツーリズムという切り口に、インバウンド需要の新たな可能性を見出せる。
道路をはじめ水道、電気、通信網などのインフラは、そこに暮らす人々の日常を支えるために存在するものだ。あまりにも当たり前すぎて、地元の人々がその存在を意識するのは難しいだろう。しかし日本のインフラは、安全性・精度・維持管理の水準において世界的に見ても高い評価を受けている。日本人にとっての「当たり前」が、海外からの旅行者にとっては「わざわざ見に来る価値のあるもの」にだってなり得る。

その土地の日常を支えてきたものが、訪問者の目には「この場所ならではの営み」として映る。日常と非日常が反転する瞬間に、観光の力が生まれる。そして関門橋とトンネルは、二つの都市の日常をつなぐために存在してきた。関門DMOが探していた「分断を超える答え」が、最初から二つの都市をつなぐ場所にあったというのは、振り返ってみれば必然だったのかもしれない。
観光地は、地域全体でつくるもの
インフラツーリズムという切り口を得たことで、体験コンテンツをつくることができた関門DMOの取り組みは、次のステージへと向かう。観光地が本当に豊かになるためには、訪れる人々を迎える「地域」の方にも変化が必要だ。二つの都市に暮らす人々が「自分たちの観光地」として関門エリアを感じられる状態を、どうつくるか。
その問いに対して関門DMOが取り組んできたことのひとつが、地域の子どもたちへの「夢授業」だ。下関と門司港、それぞれ地元の小中学校に出向き、観光産業で今取り組んでいることや、この地域にとって観光がなぜ必要なのかを伝える。観光は旅行会社やホテルだけの話ではなく、自分たちが暮らすこの場所に関わる話だということを、次世代に届けようとしている。


小学生目線でつくったインバウンド向けの関門観光マップ
また、データの面でも、関門DMOは動いている。「対岸が見えていない」という構造的な課題、つまり下関の来訪者が門司を訪れず、門司の来訪者が下関を訪れないという分断を解消するために、関門DMOは「かんもんPAY」という地域共通券を開発した。どこで何を買い、消費額がどう動いているかをデータとして可視化することで、二都市の周遊を促すための戦略を立てる基盤をつくろうとしている。

末吉さんによると、関門エリアは依然として「日帰り・昼」のイメージが強いそうだ。しかし実際には、朝から夜まで楽しめる時間の奥行きがある。門司港側から見れば、下関の奥に沈んでいく夕日を眺めることができ、逆に下関側からは、門司港方面から昇る朝日を見ることができる。
その景色を体験として設計したのが、地元の事業者と共に開発したトワイライトツアーだ。和布刈(めかり)の第2展望台から夕日が沈む30分を楽しみ、山を下りていく。元々ある景色を、いかに観光コンテンツとして磨くか。関門DMOは事業者とブレインストーミングを重ねながら、「もう少し滞在が伸びるには何が必要か」を一緒に考え続けている。

こうした取り組みの根底にあるのは、「観光地は観光事業者だけがつくるものではない」という思想だ。インフラ事業者も、工場で働く人も、飲食店の常連客も、地域に関わるすべての人が観光資源としての価値を持っている。たとえ観光事業に携わっていなくとも、食堂で隣り合った旅行者に「あの展望台からの夕日は格別だよ」と一言伝えるだけで、その人の旅の記憶は変わるだろう。
関門DMOが目指しているのは、地域に暮らすすべての人が、意識するかしないかにかかわらず、観光地をつくる一員になっている状態だ。それは特別なことではない。自分たちの生活する場所を愛し、誰かに伝えたいと思う気持ちが、観光地の豊かさの源になる。
取材を終えて、筆者の中に残ったのは「通過点」という言葉だった。渡るためだけにあると思っていた橋とトンネルが、目的地になり得る。分散型観光が推奨される今、局地的な観光地から周辺エリアへと人を流すことが課題とされている。しかし考えてみれば、どこかに必ず「通過点」はできる。問題は「通過点の存在」そのものではなく、通過点を「通過点のままにしておくこと」ではないだろうか。
旅をしているとき、何気ない街灯や道路標識でさえ、日常とは違う輝きを帯びて見えることがある。それは旅人の目が、その土地の日常を新鮮に受け取っているからだ。地元の人が意識しないものほど、訪問者にとっては、その土地でしか出会えない素晴らしい景色になる。
関門DMOが示したのは、観光地と通過点の境界線を溶かすことの可能性だ。目的地と目的地の「間」にあるものが、旅の文脈の中でグラデーションのようにつながっていく。その連続の中に、旅の本来の豊かさがあるのではないか。足元にあるものを見直すための問いかけは、関門エリアだけのものではない。日本中の地域に、当たり前すぎて誰も観光の文脈で語ろうとしなかった資源が、まだ眠っているはずだ。

末吉 春香さん
海峡都市関門DMOディレクター
北九州・下関エリアにおける観光コンテンツの造成、イベント企画実施、広報・プロモーション・マーケティング業務を担当。大学時代から観光を専攻しており、その知見を活かした観光活性化事業を推進する。これまで観光パンフレット作成や地域事業者とタイアップした商品開発、首都圏でのPR業務、インフラツーリズム、夜間観光(ナイトタイムツーリズム)の実施などに取り組む。
取材協力:一般社団法人 海峡都市関門DMO
