北海道・中標津町。地平線まで牧草地が広がる俣落(またおち)地区に、佐伯農場はある。100頭を超える牛たちがのんびりと草を食み、敷地の中を荒川がゆったりと流れる、道東らしいおおらかな風景だ。

その中にたたずむ、元は牛舎だった建物を手作業でていねいにリノベーションした宿「マンサード」。扉を開けると、壁一面に並んだ本やCD、どこか懐かしい映画の看板が静かに出迎えてくれる。
まるで、本やアートを愛する人の大切な書斎に「どうぞ」と招かれたような、心地よくて落ち着いた空間が広がっている。

一歩外へ出れば、川のせせらぎとともに、自由に焚き火を楽しめる薪が薪置き場にたくさん並び、手作りの橋を渡った先には、緑豊かなキャンプサイトが広がっている。

この広大で、どこか遊び心と美意識を感じさせる空間を育んできたのが、佐伯 雅視さんだ。酪農家であり、40年近く続くレストラン「牧舎」の経営者、そして自らも彫刻を手がける作り手という顔をもつ。

そんな佐伯さんのもとには、全国から多様な人々が訪れる。面白いのは、やってくるのがアーティストばかりではない点だ。東京など都市部で、大企業に勤めるビジネスパーソンたちの姿も多く見られる。
「流行りを追った瞬間に、それはビリ」。そう穏やかに笑う佐伯さんの言葉には、都市の流行や目まぐるしい経済のモノサシに振り回されず、中標津の地に根ざして暮らしを手作りしてきた人ならではの、確かな説得力がにじんでいる。

牧場に佇む、秘密基地
佐伯農場を訪れてまず心を動かされるのは、手作りの空間がまとう温かな質感だ。現在、一棟貸しの宿として親しまれている「マンサード」は、10名ほどでゆったりと過ごせる広さがあり、どこを見渡しても手仕事のぬくもりが静かに息づいている。

基本的には、そこにある材料を使うという考え方でやってきたんです。
ヨーロッパでは、何百年も前の建物が、大切に残されているでしょう?日本のように、すぐ壊して新しくするのではなく、古い木造の建物を慈しみながら生かしていく。そんなサイクルが大切だと思っています。

そう語る佐伯さんのセンスが息づく館内は、古いものの味わいを大切に残した、心地よい空間に生まれ変わっている。快適に過ごせる設備が整っている一方で、訪れる人をとりわけ魅了しているのが、敷地内に作られた手作りのサウナと水風呂だ。
荒川の清らかな水を引き込んだ水風呂と、薪の香りがやさしく広がるサウナ。都市の喧騒から離れてやってきた人々は、スマホを置いて薪を割り、汗を流し、ただ静かに流れる時間に身を委ねていく。

「2泊3日で遊びに来て、僕らと一緒に薪割りをしたり、道を整えて歩いたり、サウナに入ったりする。最高の遊び場ですよ」と笑う佐伯さん。その表情には、自然との暮らしを無心で楽しむ、少年の雰囲気がどこか漂っている。
佐伯さんの肩書は、酪農家、レストランオーナー、彫刻家、さらには美術館やギャラリーの創設者と、驚くほど多才だ。
僕は「天邪鬼(あまのじゃく)協会」の会長ですから。世の中の流行に、そのまま乗っかるのは面白くない。常に「みんなとはちょっと違う方向を見てみよう」と思ってやってきました。
天邪鬼と言われても、「あれ、これって少し変じゃない?」と立ち止まって考えることが、いまの時代には大切なんじゃないかな。
効率や成果ばかりが求められる日常の中で、「少し立ち止まって生きたい」と願いながらも、どこか焦りを拭えずにいた筆者の心に、この言葉はしんみりと響いた。そんな想いに静かに耳を傾けながら、佐伯さんは豊かさの本質について語ってくれた。

お金じゃないと思うんです。大切なのは生活の「質」。どう生きるか、どんなふうに暮らすかというところにこそ、本当の豊かさが宿るんじゃないかな。
生活していけるだけのお金があればいい。「たくさん持っていなきゃダメ」という思い込みは、手放してもいいのかもしれません。
芸術家って、貧しくても心が豊かな人が多いでしょう? 売れることばかりを追いかけると、自分らしさから離れていってしまうことを知っているからです。
だからこそ、ものごとの基準を「自分の内側」に置くことが大切なんですよね。
自分の内側に、基準を置く。それは、周囲の評価や他人の目といった「外側の基準」に揺さぶられ、疲れ気味な私たちにとって、そっと心をほぐしてくれるような言葉だ。
なぜ「変人」と「一流の表現者」が集うのか?
佐伯農場は、単なる農場や宿という枠を超えて、全国から個性豊かな人々が集う「小さな文化の拠点」のような場所になっている。
ここを訪れる人々の顔ぶれは、驚くほど多彩だ。IT企業の経営者や大手企業の社員、さらには環境省の職員まで、実にさまざまな人が中標津の佐伯さんを訪ねてやってくる。過去には、詩人の谷川俊太郎さんもこの地に足を運んだという。
谷川俊太郎さんが来てくれたときは、居心地が良すぎて帰りたくなくなってしまったみたいでね。
秘書の方が「先生、もう飛行機の時間です!」とあせっているのを、僕が慌てて空港まで車でお送りしたんですよ。
さらに、敷地内のクラブハウスには、山岳雑誌『アルプ』や『岳人』の表紙画で知られる版画家・大谷 一良氏の蔵書を集めた「大谷一良文庫」があり、心地よい知的な空気を醸し出している。

なぜ、これほどの一流の表現者や、ビジネスの第一線で活躍する人々が佐伯さんのもとに集まるのだろうか。
「ここに来る芸術家たちも、いい意味でみんな『変人』だから本当に楽しくて」と笑う佐伯さん自身、ここで若い人たちと交流することに大きな喜びを感じている。
僕は今、30代から45歳くらいの若い人たちと付き合っているんです。今の30代には本当に優秀な人が多くて、僕の方が教えてもらうことばかり。
一方で、僕がこの75年で経験してきたことで伝えるべきことがあれば、彼らに手渡していく。そうやって対等に学び合える関係が、たまらなく楽しいんですよ。
人生の先輩でありながら、若い世代に対して「教えてもらうことがいっぱいある」とフラットな目線で語る佐伯さん。その開かれた姿勢としなやかさこそが、自分の表現や生き方を大切にしたい人々を引き寄せ、この場所を特別なものにしているのだろう。
ネパールで見つけた「生きる力」
佐伯農場の取り組みの根っこには、都市と地方のあり方に対する静かな問いかけと、「この土地で生きていく」という確かな自立の想いがある。
かつて36歳のときに独学でレストラン「牧舎」を始めた佐伯さんは、東京の大手百貨店で開かれる物産展にも参加していた。しかし、あるときハッと気づくことがあり、参加をすっぱりとやめたのだという。

結局、地方からどんなに良いものを持っていっても、東京の物産展の中ではどこか「引き立て役」で終わってしまうんだと気づいたんです。
だから、こちらから東京へ売りに行くのはやめました。そうではなくて、「東京の人がどうしても来たくなるような場所」を、この土地で作ればいい。その想いは、いまも全く変わりません。

地方と都市の関係は、どちらが上ということもなく、対等な「フィフティ・フィフティ」が一番いいと思うんです。東京で働く人がここへ来て楽しく過ごし、エネルギーを蓄えて、また都市での日常に戻っていく。そうやって、お互いに助け合える関係になれたらいいですよね。
実は、キャンプ場の名前である「むそう村」は、かつて佐伯農場で50年近く続いていた伝説的なサマーキャンプ「東京都むそう村」に由来している。始まりは、1971年の毎日新聞に掲載された、佐伯農場の写真だった。

そこに写る大らかな風景を目にした東京の会社社長が、「子どもたちにこの自然を体験させたい」と熱望。当時の農場主であり、雅視さんの父である佐伯 柾次(まさじ)さんが快く応じ、農場の一角を開放したのがすべてのきっかけだ。
小中高生たち、およそ40名が毎年夏休みに訪れるようになった。子どもたちはテントを張り、薪を集め、焚き火でご飯を作る。そんな野外生活を中心に、ハイキングや創作活動に夢中になったという。


やがて時代の変化とともにサマーキャンプは幕を閉じたが、佐伯さんは「あの温かな面影を残し、自然の中で生きる力を育む場をもう一度」と、2020年に一般向けのキャンプ場として「むそう村」を自らスタートさせた。

その想いを確かなものにしたのが、2019年に佐伯さんがネパールを訪れたときの体験だ。現地の友人と山奥のトレイルを歩いていた際、友人が川にいたサクラマスを、自分の上着を網代わりにして、その場で見事に捕まえてみせたという。
その場で知恵を絞って動く「生きる力」のすごさに、ハッとさせられました。
そこで目にした人々の暮らしは、かつて僕の父親世代が、北海道を開拓していた頃の姿とすっかり重なったんです。
辺りの薪を集めて火を熾し、ご飯を炊き、沢から水を引いて暮らす。そこには、何でも手に入る便利な時代の中で、私たちがいつの間にか手放してしまった、しなやかな「生活の自立」があった。
だからこそ、むそう村のキャンプ場では、ガスコンロなどのガスの使用を禁止している。不便さの中にこそ、人間本来の「生きる力」が宿っているからだ。

これからは、万が一のときに自分がどうやって生きていくかを、もっと考えておいた方がいいのかもしれないね。うちは牛舎も家も自家発電機があるし、お米も小麦もある。
だから、たとえ途中で電気が止まっても、何があってもこの場所で生きていける。家族を守る準備は、ちゃんとしてあるからね。
歩くことは、考えること。
人間が知恵を鈍らせないために、そして豊かなアイデアを育むために、佐伯さんが大切にしていること。それが「歩くこと」だ。
そして、その想いを道東の広大な土地にひとつの「道」として形にしたのが、佐伯さんたちが手を入れ整備してきた、ロングトレイル「北根室ランチウェイ」である。
「ランチウェイ(Ranch Way)」とは、「大牧場の中を歩く道」という意味をもつ。中標津の街なかから弟子屈(てしかが)町のJR美留和(びるわ)駅まで、見渡す限りの酪農地帯や摩周湖の外輪山を越えて続いていく、全長71.4kmの特別な道だ。
残念ながら、北根室ランチウェイは2020年4月に惜しまれつつ閉鎖し、いまも再開には至っていない。

歩かないと人間ってどんどん鈍ってしまうし、歩いているときこそ、いろんなアイデアが浮かぶんです。自分の人生のことも、これからの町づくりのことも。
歩くことと考えることは、自分の中ではまったく同じことなんですよね。
佐伯さん自身、いちばん良いアイデアが浮かんできたのは、65歳くらいまで毎日1時間半から2時間、100頭もの牛たちと向き合いながら、搾乳というシンプルな作業を重ねていた時間だったという。
搾乳という無心になれる作業のあとに、手作りの道を、あるいは広大な牧草地を自分の足で「歩く」。そうしてふっと浮かんできた思考の欠片を、歩きながらじっくりと味わい、噛み砕き、考えを深めていったのだ。
シンプルな作業を繰り返しているうちに、ふっとアイデアが浮かんでは消えていく。それを忘れないように、すぐに紙に書き留めておくんです。
あとで見返すと、10個のうち8個は思わず笑ってしまうような変なことばかりだけど、その中にひとつかふたつ、すごく面白いものが混ざっている。
牧舎も、美術館も、すべてはそんなメモから生まれたアイデアなんですよ。

そして佐伯さんは、浮かんだアイデアを形にするときに大切にしている、もうひとつの重要なアドバイスを教えてくれた。
“アイデアが浮かんだ瞬間は、自分でも「これはすごい!」と舞い上がってしまう。けれど、それをそのまま形にしようとすると失敗しやすいんです。
だから一回、頭の隅に置いておいて、少し離れた目線で見つめ直してみる。そうすると、違う景色が見えてくる。
そして、やるからには「10年」は続けてみる。10年続けてみて、はじめてそれが本当に良かったかどうかが分かるんです。”
レストラン「牧舎」は40年近く、トレイルは15年、美術館は20年以上。佐伯さんが手がけてきたものはどれも、時代の波に揉まれながらも、本質的な部分を守りながら10年、20年という年月を重ね、中標津の地にしっかり根づいている。
AIをはじめ、あらゆる変化が目まぐるしく加速していく現代。身の回りのものがどれほど便利になっても、私たちの暮らしが本当に豊かになったと、胸を張って言えるだろうか。一体どうすれば、私たちは「心から満たされる暮らし」を取り戻せるのだろう。
物質的には満ち足りていても、なぜか精神的な焦りや不安を感じてしまう現代人。今、私たちに必要なのは、効率やスピードの先にある「童心」、そして「遊ぶ心」なのかもしれない。

佐伯農場のマンサードは、そんな眠っていた「遊ぶ心」を呼び覚まし、私たちをもう一度、童心へと返らせてくれる場所だ。子どもの頃、誰もが憧れた秘密基地のように、建物のなかも外も、どこを見渡しても手作りのワクワクする仕掛けが待っている。

中標津のどこまでも広がる牧草地に包まれて過ごす、静かで自由な時間。何にも邪魔されず、ただ「身の回りにあるもので、どう楽しむか」を考えていたあの頃の、無邪気で自発的な遊び心が、ここには変わらず息づいている。
こうした「秘密基地で過ごすような時間」こそ、日々の忙しさに追われる今の大人たちに、なにより必要なものなのかもしれない。
