気候変動の最前線に立つ酒蔵が問いかける、「自然と共に生きる」未来

日本酒は、米、水、麹、そして気候という自然の恵みから生まれる、日本の風土を映す存在である。しかし近年、その土台となる気候環境は大きく変化し、日本酒づくりの現場にも影響が現れ始めている。猛暑や降雨パターンの変化は酒米の品質に影響を及ぼし、酒蔵はこれまでにない対応を迫られている。一方で、日本酒は世界的な日本食ブームを背景に海外での人気が高まり、訪日外国人にとっても日本文化を象徴する体験の一つとなっている。
こうした中、2026年2月19日、持続社会連携推進機構アース・シェルパとジャパン・クライメート・アライアンス(JCA)の共催により、東京・大手町の『0 Club』にて、酒蔵、農家、研究者、エネルギー関係者が集うイベント「酒蔵・専門家から学ぶ『気候変動に立ち向かう日本酒を知ろう・飲もう!』」が開催された。
本イベントは、日本酒を味わいながら、その背景にある自然環境や農業、エネルギー、そして地域社会の未来について考える場となった。日本酒を通じて見えてきたのは、一つの産業の課題にとどまらず、私たちの暮らしと自然との関係そのものを見つめ直す必要性である。

気候変動によって酒造りはどのように変化しているのか
「日本の平均気温は確実に上昇している。同時に、大雨の日数が増える一方で、雨が降らない日も増えている」
この変化は、単なる“温暖化”ではなく、“気候の不安定化”といえるものだ。近年の日本では、記録的な猛暑、豪雨災害の増加、そして寒波の頻発といった極端な気象が同時に起きている。北極の気流の変化の影響により、これまで10年に一度程度だった寒波が、より頻繁に日本を襲うようになっている。
こうした気候の変化は、日本酒の原料である酒米にも大きな影響を与えている。岡山県を代表する酒米「雄町」は、日本最古の酒米の一つであり、岡山の風土の中で育まれてきた特別な品種である。しかし近年、その性質に変化が見られるようになっている。酒蔵からは、「最近の雄町は、割れやすい一方で溶けにくく、酒粕が多くなる傾向があり、これまでと同じ酒造りが難しくなっている」という声が聞かれる。これは単なる品質のばらつきではなく、気温や降雨など、生育環境そのものの変化による影響である。
実際に、酒米の生産地は徐々に北へと広がっている。また、高温の影響を避けるため、田植えの時期を遅らせたり、収穫時期を11月末頃まで遅らせたりするなど、栽培方法の見直しも進んでいる。
気候変動は、日本酒の味や品質、そして酒造りのあり方そのものを変え始めている。酒蔵は今、受け継いできた伝統を守りながら、変化する気候に適応するという新たな課題に向き合っている。

酒造りは、地域を守るための産業でもある
酒蔵にとって、日本酒づくりは単なる「ものづくり」ではない。それは、地域の自然や農業とともに生き、その恵みを未来へとつないでいく営みである。日本酒は、土地の水、米、気候、そして人の営みが重なり合って生まれるものであり、その土地そのものを映す存在でもある。
酒米を育てる田んぼもまた、大切な役割を果たしている。田んぼは米を育てるだけでなく、雨水を蓄えて洪水を防ぎ、地下水を育み、カエルやトンボ、微生物など多くの生き物のすみかとなっている。また、四季とともに変化する田園の風景は、その地域ならではの美しさを形づくり、人々の暮らしや文化を支えてきた。農業は単なる食料生産ではなく、地域の自然環境や暮らしを守る「基盤」そのものなのである。
しかし今、気候変動がその基盤を静かに揺るがしている。気温の上昇や雨の降り方の変化は、酒米の品質や収穫量に影響を与え始めている。それは日本酒の味わいの変化だけでなく、田んぼを中心とした地域の自然や農業のあり方にも影響を及ぼす。酒蔵は今、日本酒を守ることを通じて、地域の自然や農業を未来へつないでいくという大きな役割に向き合っている。
5人のリーダーが語る、新たな酒造りの挑戦
本イベントでは、日本酒造りの最前線で気候変動と向き合いながら、新たな挑戦を続けている5人のリーダーが登壇した。酒蔵の蔵元、農業者、そして地域循環を支える関係者など、それぞれ異なる立場から、日本酒を取り巻く環境の変化と、その中でどのように未来の酒づくりを守り、進化させていくのかについて語り合った。
気温の上昇や異常気象によって酒米の品質が変化し、酒づくりの現場はこれまでにない課題に直面している。一方で、再生可能エネルギーの導入や有機・再生型農業への転換、地域資源の循環を活かした取り組みなど、新しい酒づくりの可能性も広がっている。登壇者たちは、こうした変化を単なる危機として捉えるのではなく、地域の自然や農業と共に未来を再構築する機会として捉えていた。
彼らの言葉から浮かび上がってきたのは、日本酒が単なる伝統産業ではなく、地域の自然、農業、エネルギー、そして社会の未来と深く結びついた存在であるということだった。
【御前酒】株式会社辻本店 代表取締役 七代目蔵元 辻 総一郎氏

岡山県の酒蔵「御前酒」を率いる七代目蔵元、辻氏は、日本最古の酒米の一つである「雄町」とともに酒づくりを続けている。雄町は岡山の気候の中で育まれてきた特別な酒米であり、現在では全国の酒蔵の約85%が使用するほど重要な存在となっている。食用米の倍以上の価格で取引されることも多く、日本酒の味わいや個性を支える貴重な原料である。
しかし近年、その雄町に変化が起きている。「最近の雄町は、米が割れやすいのに溶けにくく、酒粕が多くなる傾向がある。以前は酒粕が3割程度だったが、昨年は6割近くになった」と辻氏は語る。この背景には、気候変動による気温上昇の影響があると考えられており、酒米の生産地も少しずつ北へと移動している。辻氏の蔵では、こうした変化に対応するため、契約農家とともに田植えの時期を6月下旬まで遅らせ、収穫も11月までずらすことで、猛暑の影響を避ける工夫を続けている。
また辻氏は、約600年前から伝わる伝統的な醸造法「菩提酛(ぼだいもと)」を取り入れている。天然の乳酸菌の力を活かすこの製法は、環境の変化にも強く、気候が変わる時代においても安定した酒づくりを可能にする方法の一つである。
辻氏は、日本酒づくりは単なる製造業ではなく、地域の農業や自然を守る営みでもあると語る。「一升瓶一本の日本酒を造るには、畳二畳分の田んぼが必要。日本酒を飲むことは、日本の田んぼを守ることにもつながる」。日本酒の背景にある自然や農業、そして蔵人の想いを知ることが、日本酒の新しい価値につながっていくのである。
【手取川】株式会社吉田酒造店 代表取締役 七代目蔵元 吉田泰之氏

石川県白山市で酒蔵「手取川」を率いる七代目蔵元、吉田氏は、伝統を守りながらも新しい時代に合わせた酒づくりに取り組んでいる。社長就任後に立ち上げたブランド「吉田蔵u」では、「自然を表現する酒」をテーマに、自然の力を活かした山廃(やまはい)づくりなどのナチュラルな製法を採用している。一方で、現代の酒造りは品質管理のために冷蔵設備など多くの電力を必要とするようになっており、エネルギーとの向き合い方が重要な課題となっている。
吉田氏は、この課題に対し、再生可能エネルギーの活用を進めている。電力会社を再生可能エネルギー中心の「みんな電力」に切り替えるだけでなく、自ら発電にも取り組んでいる。特に注目されるのが、水田に設置した世界初の「垂直型ソーラーパネル」だ。雪が積もりにくく、反射光も活用できるこの仕組みは、田んぼを守りながら電気を生み出す、雪国ならではの新しい取り組みであり、年間約10万kWhの発電を実現している。
また吉田氏は、気候変動への理解を広げる活動にも力を入れている。地元自治体やジオパークと連携し、子どもたちを対象にしたクイズイベントなどを通じて、気候変動の現状を伝えている。「日本は自然が豊かだからこそ、その変化に気づきにくい。しかし確実に自然は変わっている」と吉田氏は語る。
吉田氏は、日本酒を選ぶ際には味だけでなく、その酒蔵がどのような姿勢で自然と向き合っているかにも目を向けてほしいと呼びかける。酒づくりを通じて自然を守り、地域の未来につなげていく。その取り組みは、日本酒の新しい価値を示している。
【仁井田本家】有限会社仁井田本家 十八代蔵元兼杜氏 仁井田 穏彦 氏

福島県郡山市にある酒蔵「仁井田本家」の十八代蔵元兼杜氏である仁井田氏は、「ふるさとを守るために酒を造る」という強い想いのもと、環境再生型の酒づくりを実践している。1711年創業の同蔵は、2011年の東日本大震災を契機に、酒蔵の電力を100%太陽光エネルギーへと転換。自然と共生する酒づくりへと大きく舵を切った。
仁井田氏は早くから有機農業に取り組み、酒米の有機JAS認証を取得してきたが、近年はさらに一歩進み、「リジェネラティブ・オーガニック認証(ROC)」を世界で初めて酒と水田の両方で取得した。これは単に環境負荷を減らすだけでなく、土壌の回復や生態系の再生を目指す農業を評価する認証である。仁井田氏は、自社の山の木を使って木桶を作り、森林を適切に手入れすることで水源を守り、その水で米を育て、酒を造るという循環を大切にしている。「300年先も酒づくりを続けるためには、自然そのものを守る必要がある」と語る。
こうした取り組みは、アウトドアブランド「パタゴニア」との協働を通じて世界的にも注目され、海外からの訪問者や引き合いも増えている。一方で、有機や再生型農業は手間とコストがかかるため、仁井田氏は「こうした取り組みを続けるためには、それを理解し、選んでくれる消費者の存在が不可欠」と話す。実際に同蔵では「田んぼの学校」と呼ばれる体験プログラムを開催し、消費者が田植えや稲刈りを通じて農業の現場に触れる機会を提供している。
仁井田氏は、日本酒は単なる嗜好品ではなく、日本の田んぼと自然を守る存在であると強調する。どのような環境で米が育てられ、どのような想いで酒が造られているのか。その背景に目を向けて酒を選ぶことが、地域の自然と未来を支える力になるのである。
合同会社小田原かなごてファーム 代表 小山田大和氏

神奈川県小田原市で「小田原かなごてファーム」を営む小山田氏は、米づくりと再生可能エネルギーの両立に取り組む農業者である。小山田氏が実践しているのが、田んぼの上に太陽光パネルを設置し、農業と発電を同時に行う「ソーラーシェアリング」だ。日本の食料自給率はカロリーベースで約38%、神奈川県ではわずか2%にとどまり、多くを輸入に依存している。小山田氏は、食料とエネルギーの両方を地域で生み出す仕組みをつくることが、これからの持続可能な社会に不可欠だと語る。
近年の猛暑は、米づくりにも大きな影響を与えている。強すぎる日差しは稲にストレスを与え、品質の低下を招くことがある。ソーラーシェアリングは発電だけでなく、適度な日陰をつくることで稲の生育環境を整え、結果的に品質の向上につながる可能性があるという。気候変動時代において、農業とエネルギーを両立させる新しい農業の形として注目されている。
小山田氏が大切にしているのは、「推譲(すいじょう)」の精神だ。これは、自分だけでなく、他者や次世代のために利益を分かち合うという日本の伝統的な価値観である。小山田氏は、「今の社会は目の前の利益を優先しがちですが、次の世代のために何を残せるかを考えることが大切」と語る。
食料とエネルギーは、私たちの暮らしを支える基盤である。その基盤を守るために、農業者は気候変動という大きな課題に向き合いながら、新しい挑戦を続けている。小山田氏の取り組みは、農業が未来の環境と社会を支える重要な役割を担っていることを示している。
株式会社神戸新聞社「環プロジェクト」辻本 一好氏

神戸新聞社の編集委員である辻本氏は、新聞社という立場から、日本酒と農業、そしてエネルギーをつなぐ新しい地域循環の仕組みづくりに取り組んでいる。辻本氏が中心となって進める「環(めぐる)プロジェクト」は、酒米農家、酪農家、酒蔵を結び、地域の資源を循環させることを目指した取り組みである。現在は兵庫県内の7つの酒蔵と7つの農家が連携し、地域の中でエネルギーと農業を結びつけた酒造りを進めている。
このプロジェクトの特徴は、バイオガス発電の副産物である「消化液」を酒米の肥料として活用している点にある。消化液は、家畜の糞尿などを発酵させてエネルギーを生み出した後に残る液体で、土壌の栄養を豊かにする有機肥料として活用できる。これまで廃棄されることも多かった資源を農業に活かすことで、エネルギーと農業の循環を地域の中で実現している。
辻本氏は、「すべてをエネルギーの視点で捉えることが重要」と語る。もともと農業は、太陽の光、水、微生物の働きによって成り立つ循環型の営みであり、日本酒づくりもまた自然の力を活かした文化である。発酵の過程では微生物が重要な役割を果たし、そこから新たなエネルギーも生まれる。こうした循環の仕組みを現代の技術と組み合わせることで、地域の持続可能な未来につながる可能性がある。
辻本氏は、消費者にもその循環の一部を担ってほしいと呼びかける。資源循環の中で生まれた日本酒を選び、味わうことは、地域の農業とエネルギーを支えることにつながる。日本酒は単なる嗜好品ではなく、地域の資源を未来へつなぐ存在なのである。
消費者の選択が、未来を変える
気候変動に向き合う酒蔵の取り組みは、決して簡単なものではない。有機認証の取得や再生可能エネルギーの導入には、多くの時間とコスト、そして覚悟が必要となる。それでも、多くの蔵元が挑戦を続けている。それは単なるビジネスのためではなく、地域の自然や農業、そして未来を守るための行動だからである。
ある蔵元はこう語る。「お酒を選ぶとき、その酒蔵がどのような想いで、どのような取り組みをしているのかにも関心を持ってほしい」。私たち消費者がどの酒を選ぶか。その小さな選択が、持続可能な酒造りを支える大きな力となる。
今回のイベントを通じて見えてきたのは、気候変動の問題が日本酒だけの課題ではないという事実である。それは、酒米を育てる農業、酒造りを支えるエネルギー、地域社会の持続可能性、そして私たち一人ひとりの消費行動に深く関わっている。同時に、日本酒はその解決のヒントも示している。自然と共に生きること、そして資源を循環させながら未来へつないでいくという思想が、日本酒の背景には息づいている。
イベントの最後に投げかけられたのは、「地方創生と気候変動対策を同時に実現することはできないのか」という問いだった。酒蔵の取り組みは、その可能性を具体的に示している。地域の田んぼを守りながら酒米を育て、再生可能エネルギーを活用し、新たな価値を生み出していく。それは、自然を一方的に消費するのではなく、自然と共に再生していく社会の姿である。
日本酒は、単なる伝統文化ではない。それは、自然、地域、そして未来をつなぐ存在である。私たちがどの一本を選ぶか。その選択が、これからの社会のあり方を静かに形づくっていく。
