地方の衰退が叫ばれる中、愛媛県大洲市が進める「城下町の再生」は、地域創生のトップランナーとして数多くのメディアで取り上げられている。歴史的な邸宅が「分散型ホテル」として美しく蘇り、国内外から多くの旅行者を惹きつけるその姿は、全国の自治体が思い描く理想の成功事例そのものだ。

しかし、その整えられた景観の裏側にあるプロセスは、決して「綺麗事」だけでは進まない。日本中の地域が直面する「人口減少」と「空き家問題」。静かに、しかし確実に進行する社会課題に対し、大洲市はいかにして立ち向かい、新たな循環を創り上げたのか。

全3回にわたる本連載では、大洲市のまちづくりを実務面から牽引する、一般社団法人キタ・マネジメントの井上さんにお話を伺った。空き家再生の根底にある地道な事業構造と、複雑な現実を解きほぐす「思考のプロセス」にフォーカスする。前編となる本記事で向き合うのは、空き家再生におけるリアリティだ。

井上 陽祐さん
一般社団法人キタ・マネジメント 企画課係長・CMO / 株式会社KITA代表
愛媛県大洲市出身。双日(株)を経て大洲市へUターン。地域DMO設立に携わり、2018年に(株)KITAを創業。現在は日本最大級の分散型ホテル「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」のオーナーとして古民家再生に取り組む。
世界と繋がっていた「川港」。愛媛県大洲市の栄華と衰退

愛媛県大洲市にある城下町は、鎌倉時代から続く町割りをベースに、藤堂高虎らによって碁盤の目状に整備された歴史を持つ。この町の発展を決定づけたのは、市内を流れる「肱川(ひじかわ)」の存在だ。河口まで約20キロありながら、高低差がわずか200メートルという極めて緩やかな流れは、大雨による水害をもたらす一方で、瀬戸内海から内陸へと物資を運ぶ「川港」としての役割を果たしてきた。

かつての大洲は、神戸や横浜のように、多種多様な物資が集まり決済が行われる、経済の中心地だった。現在も残る「塩屋町(現:志保町)」といった地名は、塩の商いを行っていた名残である。
中でも、この町に莫大な富をもたらしたのが「木蝋(もくろう)」の生産だ。大洲で確立された、蝋を真っ白に漂白する技術。それは1800年代後半、産業革命に沸くイギリスやドイツの紡績工場で「綿花を黄色く汚さない機械油」として重宝され、世界中へと輸出された。明治時代の大洲はその恩恵を受け、極めて豊かな町であった。

しかし、時代とともに産業構造は変化し、現代になると、人口減少の波がこの町にも容赦なく押し寄せる。2004年頃に景観条例を制定し、外壁整備に補助金を出すなど町並みを守る努力がなされたものの、住む人自体がいなくなってしまえば、立派な蔵や邸宅も「空き家」として朽ちていくほかない。
かつての賑わいを失い、静かに崩れゆく歴史的な町並み。このままでは故郷の風景が失われてしまうという強い危機感から、空き家を再生し、再び町に人の血を通わせようと立ち上がったのが、現在のキタ・マネジメントをはじめとする「大洲のまちづくり」の出発点である。
空き家再生の最前線にある、生々しい現実。
地方の人口減少が進む中、「空き家再生」は地域創生の有効な手段として語られることが多い。メディアでは、リノベーション後の洗練された空間が注目されやすいが、愛媛県大洲市の城下町で実践されている事業の裏側には、途方もなく地道な「実務の積み重ね」が存在する。
空き家をホテルへと改修する過程には、根気強い対話と、複雑な権利調整が不可欠だ。現場で直面する代表的な課題の一つが「予期せぬ相続」である。
都市部で暮らす人が、ある日突然、地方の古民家を相続する。手放したくても買い手がつかず、毎年の固定資産税や維持費が重くのしかかる。地域資源の保護という理念を語る前に、まずはこうした「負動産」に悩む個人の切実な事情を受け止めることが、事業の第一歩となる。

事態がさらに複雑化しているケースもある。名義が変更されないまま放置された空き家は、権利関係を辿ると、全国に多数の相続人が散らばっていることがある。一人ひとりに事情を説明し、全員の同意を取り付ける作業には、膨大な手間と時間を要する。
また、大洲特有の構造として、建物が繋がっている「長屋」の権利調整もある。キタ・マネジメントでは、長屋のうち1室だけ所有者が異なるため、室内に新たに境界壁を設けて、残りの物件を借り受けるといった物理的な対応をとることもあった。

さらに実務上の高いハードルとなるのが、所有者の「認知症」問題だ。過去には、所有者から「建物を活かしてほしい」と相談を受けていたものの、数年後にようやく資金の目処が立ち、訪ねた際には認知症を患っていたという事例があった。
法的な意思能力がないと見なされると、不動産の契約は行えない。成年後見人を選任するには費用と時間がかかり、事実上、建物の活用が凍結されてしまうこともある。

空き家問題は、こうした個人の事情と密接に絡み合っている。事情を整理するには時間がかかるが、主を失った家屋は劣化が進む。交渉が長引く間に建物の状態が悪化すれば、改修コストは数百万円、数千万円単位で増加していく。空き家再生において、「時間」は最大のコスト要因なのだ。
居住用の不動産として見れば価値はゼロ、解体費用を考えればマイナス資産。ところが、そこに「観光」という視点を持ち込むことで、評価は一変する。歴史的な空間の趣は、遠方から宿泊客を惹きつける独自のコンテンツとなり、そこが「確固たる人の流れがある土地」へと変わることで、新たな事業価値が見出されるのである。

もっとも、倒壊寸前まで傷んだ空き家は、たとえ歴史的に価値があったとしても、そのままの状態で文化庁の「登録有形文化財」として認められることは難しい。
そこでキタ・マネジメントは、まず自ら事業リスクを取り、建物をホテルとして適法に再生させる。息を吹き返した空間によって歴史的な価値を証明してから、文化財の申請を行うという手順を踏んでいるのだ。見放された空き家を、事業の力で地域の文化財へと引き上げていく。これは現場の最前線に立つ民間だからこそできる、極めて実務的なアプローチである。

「歴史ある建物を守る」という理念を実現するには、刻一刻と進む建物の劣化や、複雑な法制度・権利関係に対処する「現実的な対応力」が不可欠となる。大洲市の事業が着実に前進しているのは、こうした現場の厳しい実態から目を逸らさず、一つひとつの課題と誠実に向き合い続けてきたからに他ならない。
なぜ「民間主体」でなければならないのか?
地域創生の現場で「官民連携」という言葉はよく耳にする。しかし、実際の空き家再生において、行政主導や補助金頼みの枠組みでは「事業スピード」と「制度の壁」という実務的な課題が生じやすい。
大洲の現場で突きつけられるのは、放置された家屋が抱える厳しい経済的現実だ。市内のとある空き家の買い取り価格は、わずか10万円。しかし、これを「安い」と喜ぶ事業者はほとんどいない。解体して更地にしようとすると、解体費用が買い取り価格を大きく上回り、結果として多額の自己負担が発生してしまうからだ。

さらに立ちはだかるのが、現行の建築基準法や建ぺい率といった「制度の壁」である。奥行きが狭い土地の場合、更地にして新しく家を建てようとすると、さまざまな法規制の影響を強く受けることになる。特に、建ぺい率が基準に満たない場合には「道路からの後退(セットバック)」をして建物を建て、敷地の一部を庭や野外の通路として扱う必要がある。
その結果、もともと限られている敷地面積がさらに削られ、実際に建物を建てられるスペースは想定以上に小さくなってしまう。加えて、建ぺい率や容積率といった制限も重なることで、設計の自由度が大きく制約される。こうした条件が重なることで、最終的には極端に小さな家しか建てられないケースも多く、建て替えのハードルが高くなってしまうのが実情だ。

建築における道路からの後退(セットバック)は、幅員4m未満の「2項道路」に接する土地で新築する際、中心線から2m(対岸が崖等の場合は4m)まで敷地を後退させる法42条の義務。後退部分は道路とみなされ、建築物や塀は造れず、容積率の計算にも算入されない。
隣の土地と合わせて売却できれば理想だが、境界線が複雑に重なり合い、所有者それぞれの事情が絡み合う中で、足並みを揃えるのは極めて困難だ。つまり、「壊して新築する」という選択肢は、制度上ほぼ閉ざされているに等しい。
結果として残された道は「リノベーション(改修)」となる。しかし、ここでも行政主導の難しさが見えてくる。昔ながらの「石場建て」などの伝統工法は、現在の耐震基準と照らし合わせるのが難しく、空き家をホテルへと「用途変更」するには多大な手間とコストを要する。
もし、行政の補助金を活用して進めようとすると、厳格な確認申請のプロセスを経る必要があり、手続きの間に工事が数ヶ月ストップしてしまうこともある。その間にも、建物の劣化は待ったなしで進んでいくのだ。

さらに、建物の「主要構造部(壁、柱、床、はり、屋根、階段)」のいずれか1種以上について、過半数を超える割合の改修を行うと「大規模改修扱い」となり、現行の厳しい法規が遡及適用されてしまうというジレンマもある。
これを乗り越えるためには、法規制を正確に理解し、適法に進めながらも、事業スピードを落とさない民間ならではの「実務的な知恵」が求められる。
象徴的なのが「階段」の扱いだ。古い町家に残る昔の階段は幅が狭く、現行の消防法がホテルの避難経路として求める基準を満たさないことが多い。だからといって、既存の階段を取り壊して作り直せば「過半数以上の改変」に該当し、膨大な時間とコストがかかってしまう。

そこでキタ・マネジメントは、既存の階段には手をつけず、全く別の場所に基準を満たす「新しい階段」を新設するというアプローチをとった。
結果として、階段が2つになることで「改変割合を50%」に抑え、建築基準法と消防法の双方をクリアしつつ、工期の大幅な短縮を実現したのだ。実際に、古民家を再生したホテルには階段が2つあることも多いという。古くから備わっている階段はあえて使用せず、新しく建て付けた階段を用いるのだ。

法令の趣旨を正確に理解した上で、いかに適正にコストと時間を抑え、事業を成立させるかという、実務的な知恵の賜物といえる。
大洲市において、KITA(キタ・マネジメントの関連会社)という「民間主体」が自らリスクを背負って事業を進める理由はここにある。公平性や原則的なルール適用が求められる行政のペースに合わせていては、建物の寿命にも、事業のタイミングにも間に合わない。
民間が自ら責任を取ることで、法令遵守を徹底しながらも柔軟に判断し、事業を前に進める「速度」を手に入れることができるのだ。
空き家をホテルにする。その言葉の裏にあるのは、現行法と伝統工法の狭間で知恵を絞り、「時間」という最大のコストと向き合い続ける、地道でシビアな実務の連続なのである。
金融機関と伴走する、透明な事業体制
民間主体で空き家再生をスピーディーに進める。そのロジックは明確だが、最大の壁となるのが「資金」である。
多額の改修費用を工務店へ支払った後、ホテルとして開業し、家賃収益が発生するまでには年単位のタイムラグが存在する。この資金繰りの隙間を、単年度主義の行政予算や時間のかかる補助金で繋ぐことは極めて難しい。
大洲市で事業のエンジンを担うKITA(キタ・マネジメントの関連会社)は、空き家再生事業の出発において13億円という巨額の投資を実行している。この多大なリスクを伴う資金調達を「無担保・無保証」で地元金融機関と交渉し、勝ち取り、事業スピードを維持しているのだ。
これを可能にしているのが、「徹底した組織の透明性」である。出納役には銀行からの出向者が就き、日々の支払いに至るまでモニタリングを行う。
さらに四半期に一度、公認会計士の監査が入る。決裁ルートから資金の使途に至るまで、金融機関が完全に把握できる「ガラス張りの経営体制」を自ら構築することで、リスクの高い古民家再生への融資を現実のものとしているのである。
「民間がリスクを取る」という言葉の裏には、こうした金融機関を納得させるだけの、強固で誠実なガバナンスが存在している。

崩れゆく空き家の前で問われる、まちづくりの第一歩
空き家再生の先行投資が実を結び、大洲市には今、インバウンドの来訪者が年間約6万人(*1)も訪れるようになった。しかし、その数字の裏側に広がる現実は、華やかな成果とはかけ離れている。
草木に侵食された中庭、崩れ落ちた屋根、立ち込めるカビと土埃の匂い。手付かずのまま放置された空き家を前にしたとき、「再生する」という言葉の重さが、初めて腹の底に落ちてくる。
物件価値と解体費用が逆転するジレンマ、最大のコストとしての「時間」、現行法と伝統工法の狭間で絞り出す知恵。空き家再生の現場とは、そうしたシビアな実務の連続だ。
人の声が戻りはじめた大洲の町を歩いていると、どこか懐かしい気持ちが芽生える。住んだことも、訪れたこともない町なのに。
石畳の路地、格子戸の連なり、軒先から差し込む午後の光。明治の豪商が富を注ぎ込んだ「梁の太さ」や、職人が丁寧に施した「欄間の細工」など至る所に、町を慈しみながら、次の世代へと手渡してきた人々の意志を感じる。
その「時代の息吹」を、私もまた静かに感じ取っている。令和を生きる私と、明治の街並みは、決して遠いものではない。幾重にも積み重なった時代の上に、今の私たちは立っている。
そう気づいたとき、大洲は急に、遠い町ではなくなった。豪邸でなくとも、各地にあるような日本家屋でも同じだ。先人たちが “生活を刻み込んだ空間” には、その時代の精神が宿っている。それを「誰も使わない負動産」として解体し、管理しやすいマンションや駐車場へと塗り替えていく。その選択が積み重なるとき、私たちは何を失っているのだろう。
「空き家再生は、挫けそうになる場面ばかりですね」と率直に伝えると、井上さんは「想像以上に心が折れます。でも、地元だからやるしかない」と笑った。生まれ育った場所への想いと、その未来を背負う誇り。それこそが、崩れゆく空き家を「地域の文化財」へと引き上げる原動力なのだと思う。
キタ・マネジメントが提供する企業研修は、大洲の現場そのものが教室だ。崩れゆく空き家の前に立ち、その重さを「私たち自身の問い」として受け止めるとき、この場所はきっと応えてくれる。
取材協力:キタ・マネジメント
