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花々が消えた原生花園を、「火」の力で再生させる。北海道 小清水町が守り続ける景色

2026 8/18
環境(水、森林、海洋、エネルギー資源)
取材 気候変動 火入れ 生物多様性 草原 野焼き
2026-8-26
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画像提供:津田智さん

「ファイアーエコロジー」、火の生態学と呼ばれる学問分野は、アメリカ(特にカリフォルニア)、オーストラリア、地中海沿岸、南アフリカ、チリといった、地中海性気候をはじめとする火災の多い乾燥・半乾燥地域で確立されてきた。

提供:津田智さん

日本でも、草原の姿を保つための「野焼き」という知見や技術の積み重ねが存在する。その分野における第一人者として知られるのが、かつて岐阜大学流域圏科学研究センターで准教授を務めていた津田智さんである。

そんな津田さんが30年以上にわたって関わり続けてきたのが、北海道東部・網走地方にある小清水町の小清水原生花園だ。

小清水原生花園は、オホーツク海と濤沸湖(とうふつこ)に挟まれた約7kmの砂丘に広がり、6月から8月にかけて、エゾスカシユリやハマナスなど約40種の花々が咲き誇る。1958年に網走国定公園の一部として指定され、北海道遺産にも選定された、道東を代表する景観地である。

提供:津田智さん

しかし1980年代、「原生花園」という名とは裏腹に、花々は一度その姿を消してしまう。かつての美しい風景を再び取り戻すために必要だったのは、自然のまま放置することではなく、「野焼き」のように人が火を入れ続けることであった。

適度な刺激が、原生花園の美しさを保つ

オホーツク海に面した砂丘に広がる小清水原生花園は、人の営みが始まる遥か前から、この地に根づいていた自然の草原だと考えられている。濤沸湖と海を隔てる砂州の上に、海岸特有の植物が茂り、それが原生花園の原型になったとされる。

この海岸草原は、「原生花園」の名が表すように、北海道を代表するエゾスカシユリやハマナスなどの鮮やかな花々が咲き誇る景勝地であった。

1958年には網走国定公園へ指定されたことで、観光地としても大きな人気を博すようになる。当時は特に特別な管理をせずとも、その美しい景観が保たれていたのである。

ところが1980年ごろになると、小清水原生花園の全域でケンタッキーブルーグラスやチモシーなどの外来牧草が繁茂し始め、かつての美しい景観が損なわれていった。

その結果、1990年代に入ると、鮮やかな花々はほぼ姿を消し、訪れた観光客が「どこにも花が咲いていない」と落胆して立ち去る事態が常態化してしまう。

小清水町にとって、原生花園は地域を象徴する観光資源であり、花々の消失は、町経済の根幹を揺るがす死活問題であった。

提供:津田智さん

そうした危機意識の高まりから、小清水町では行政や議会の場で、原生花園の再生に向けた議論が度々重ねられるようになった。

1983年、小清水町は北海道大学の教授に相談を持ちかけ、まずは濤沸湖側の湿地で「野焼き」の実験に乗り出した。1987年まで、原生花園の植生回復に向けた研究が続けられたものの、この段階ではまだ、オホーツク海に面した砂丘側まで手が回っていなかったのである。

その後、この「野焼き」の試みを受け継ぐ形で、北海道庁から委託を受けた北海道大学の教授が、道東各地の自然公園を対象とした本格的な調査に乗り出す。そして、この調査・研究を引き継いだのが、当時、山火事を研究する津田さんを中心とした研究者グループだった。

提供:津田智さん

津田さんら研究グループによる調査の結果、名勝や国定公園に指定される以前と、花々が姿を消した1980年代の状況を比較すると、幾つかの違いがあることがわかった。

指定前には、漁船を陸に引き揚げるための馬が、番屋の周りで放牧されていたほか、食用として牛も放牧されていた。

牛や馬が日常的に草を食べると、背の高い草が短く刈り込まれる。すると、背の低い花々にも陽の光がしっかりと届くようになり、特定の草ばかりが伸び放題になるのを防いで、草原の健やかな環境が保たれていたのである。

また、これらの家畜は放牧されていない時期、牛舎などで外来種の牧草を食べて過ごしている。その牛たちが再び原生花園へ放たれると、フンとともに牧草の種子が撒き散らされてしまう。その結果、原生花園のあちこちで外来の牧草が生い茂る原因となってしまったのである。

さらに、原生花園の中を走る現在のJR釧網本線では、かつて蒸気機関車が運行していた。その機関車からこぼれる火の粉が草原へと飛び散り、年に何度も、自然発生的な野火を引き起こしていたのである。

小清水原生花園は、もともとは海岸草原である。かつては周辺の川から、たくさんの砂が砂州へ運ばれていたが、河川の改修工事が進んだことで、砂州へ流れ込む砂の量も減ってきていた。

野火や家畜の放牧、さらには飛砂といった、一見すると草原を痛めつけているように思える要素。これらがその時期を境に次々と姿を消したことが、かえって原生花園の衰退を招いたのではないかと考えられたのである。

津田さんらの研究グループは、かつての小清水原生花園が美しかった背景には、野火や放牧といった適度な「攪乱(かくらん)」が存在していたことを突き止めた。

提供:津田智さん

攪乱とは、自然の生態系に刺激を与えて変化を起こし、特定の植物だけが生い茂るのを抑える物理的な作用を指す。

この知見を踏まえ、原生花園の豊かな生態系を呼び戻し、その美しさを次世代へ繋ぐためのアプローチとして、人工的な「攪乱」の導入が検討され始めた。

人工的な攪乱には草刈り、放牧などが挙げられるが、最も手軽に大面積を処理できるのが「野焼き」である。

まずは実験的な試みとして、かつて景観を支えていた「野火」を人工的に再現し、その後の植生にどのような変化が生まれるかを詳しく調べることになった。

ところが、津田さんら研究グループは「野焼き」実験に向けて小清水町に足を運び、調査への協力を申し出たものの、すぐには受け入れ体制が整わなかった。宿泊先の確保といった実務面の調整に、予想以上の時間がかかったためである。

周辺の自治体で調査地を探す案も浮上したが、粘り強い話し合いを重ねた末、最終的に小清水町で本格的な調査を進めることで合意に至った。

花々を守るための、計画的な火入れ

1990年、津田さんらの研究グループは、浜小清水駅近くの一角に10メートル四方の実験区を設け、ついに「火入れ」を試みた。

翌1991年には、調査区を20メートル × 60メートルに拡大し、枯れ草がどれだけ積もっているか、地表の温度がどう変化するかを継続的に計測していった。

提供:津田智さん

外来種の牧草が生い茂ると、原生花園に自生する野草の成長は、著しく阻害されてしまう。野草は成長が遅く、ゆっくりと時間をかけて花を咲かせるのに対し、牧草は非常に発育が早く生産量も桁違いだからだ。

その結果、季節が過ぎると大量の枯れ草、いわゆる「リター」が地表を覆い尽くしてしまうことになる。分厚い枯れ草の層が光を遮ると、足元から新たな芽が顔を出すことができず、種がこぼれても発芽すらままならない。

そこで、火入れによってこのリターが確実に減少し、環境がどう変化するのかを科学的に確かめる必要があったのだ。

実験の結果は、明白だった。火を入れた区画では、それまで草原を覆い尽くしていたイネ科の牧草類は目に見えて減少した。

一方で、原生花園の景観を象徴する花木・ハマナスの新芽(シュート)の数は、着実に増加していったのである。火入れによる再生の兆しが、確かなデータとして表れた瞬間だった。

提供:津田智さん

また、火入れによる温度上昇は地表付近にとどまり、土壌内部の温度にはほとんど影響しないことも判明した。

小清水原生花園には、全国的にもこの周辺にしか生息していない希少な「カラフトキリギリス」が暮らしている。火入れによる土中の温度変化がほぼ生じないということは、土の中に産み落とされた卵にも影響が及ばないことを意味しており、その安全性がしっかり確かめられたのである。

提供:津田智さん

この成果を受け、1993年には網走支庁、小清水町、そして網走南部森林管理署が連携。この取り組みは、単なる研究者の調査にとどまらず、行政が継続的に予算と人員を投じる正式な事業として、原生花園での本格的な「火入れ」が動き出したのである。

この火入れは、阿蘇(熊本県)や秋吉台(山口県)に広がる草原のように、何世代にもわたって受け継がれてきた伝統的な「野焼き」とは、性質がまったく異なる。

荒廃という危機に直面した近年になってから、科学的な実験と検証を積み重ね、手法そのものを一から作り上げてきたという点で、日本でも数少ない画期的なケースとなったのである。

小清水原生花園インフォメーションセンターHANAで見られる、原生花園の花々

持続可能な「火入れ」で、生態系を守る

火入れは、一人の研究者の熱意だけで続けられる営みではない。国定公園の管理者である北海道、土地を所有する森林管理署、そして地元の小清水町。

複数の立場が関わる土地だからこそ、誰かの一存で火をつけることはできず、関係者全員が同じ方針を共有して実行し続けるための「仕組み」が必要だった。

1994年11月、その受け皿となる「網走国定公園小清水原生花園風景回復対策協議会」が発足する。行政・研究者・関係機関が一堂に会し、火入れの計画や結果を共有する公式な場である。

津田さんら研究者は、「学識経験者」としてこの協議会に加わった。実験や調査のデータを持ち寄り、その取り組みが本当に草原の再生に役立っているのか、行政の視点だけでは見落としがちな科学的な検証を行う役割である。関係者は年に2度会議を開き、情報をすり合わせてきた。

しかし、協議会という枠組みができたからといって、すぐに強固な信頼関係が生まれるわけではない。当時の津田さんは愛知県の大学に籍を置き、名古屋から北海道の現場へと通う立場だった。

地元に生活の基盤があるわけでも、行政と日常的な接点があるわけでもない、いわば外部から来た「よそ者」の研究者である。

そうした立場で、行政側から自然に相談を持ちかけられるようになるまで、およそ10年の歳月がかかったと津田さんは振り返る。最初は担当者との距離を感じることもあったが、年月を重ねて根気よく対話を続ける中で、少しずつ関係性が変わっていったのだ。

この経験から、津田さんは学生たちに「自分のフィールドを見つけたら、最低でも10年は続けなさい」と指導しているという。研究資金が尽きればすぐに撤退してしまうような姿勢では、決して現場の信頼は得られないからだ。

そう語る津田さん自身、小清水にとどまらず長野の軽井沢や秋田の男鹿など、さまざまな土地に深く寄り添い続け、2022年、ついには小清水町に移り住んだ。

現在行われている火入れは、原生花園の全長約7kmのうち、およそ6kmに及ぶエリアを対象としている。しかし、これほど広大な範囲を一度に作業するのは、確保できる人員や日程の都合からも現実的ではない。

さらに、阿蘇や秋吉台のようなススキ中心の草原であれば、全域を一気に焼くことも可能だが、小清水原生花園では事情が異なる。ここで主役となるハマナスは、草ではなく幹や枝を伸ばして育つ「木本植物(樹木)」だからだ。

提供:津田智さん

ススキのような草本植物であれば、地上の部分が焼けても、地下の根さえ生きていれば翌年には再び芽を吹き出す。

だが、木本植物であるハマナスは、地上に伸びた枝そのものが年月をかけて成長した証であり、焼けてしまえばまたゼロから育て直さなければならない。

もし毎年同じ場所を焼いてしまうと、ハマナスが十分に育ちきる前に繰り返しダメージを受けることになり、株自体が縮んで花付きも悪くなってしまう。

だからこそ、小清水原生花園では景観の象徴であるハマナスを守るため、火入れエリアを4つの大きなブロックに分け、さらに150mごとの計10区画へと細かく分散する。数年のインターバル(間隔)を置きながら、ローテーションで計画的に実施しているのだ。

1つの区画に火が入るのを数年に一度にとどめることで、ハマナスがしっかりと枝を伸ばし、再び鮮やかな花を咲かせるための「準備期間」を確保しているのである。

提供:津田智さん

また、火入れの範囲を限定し、地表を覆う枯れ草(リター)をすべて焼き尽くさないように配慮することで、渡り鳥たちの貴重な営巣地を守ることができる。

植生、ひいては生態系全体をより良い状態で維持していく取り組みは、巡り巡って、そこに暮らす野生動物たちの生息地を守り抜くことにも繋がっているのだ。

提供:津田智さん

火入れは、区画ごとの担当も決まっており、土地を管理する森林管理署が3区画、国定公園を管理するオホーツク振興局が3区画、小清水町が4区画を受け持つ。津田さんによると、直近では約150人が参加し、約8haにわたって火入れが実施されたそう。

こうした体制も、一度整えばすべてが解決したわけではなかった。ある時期、火をつける時刻や安全確保をめぐって、鉄道事業者との調整が難航したことがある。

提供:津田智さん

原生花園のすぐそばに線路がある以上、列車の運行への配慮は欠かせない。しかしながら、この時は双方の折り合いがつかず、火入れの実施そのものが危ぶまれる事態となった。

鉄道だけでなく、周辺で暮らす住民の生活への影響にも目を配らなければならず、こうした関係者すべての事情を一つひとつ調整していく作業は、決して容易なものではなかっただろう。

守るべきは、景観ではなく生態系そのもの

津田さんは、観光客の「歩き方」そのものが草原に与える影響にも目を向けている。草原に刺激を与えて景観を保つ方法には、いくつかの強さの違いがある。

もっとも強い刺激のひとつが「放牧」だ。ヤギなどを放すと、草を根元近くから根こそぎ引き抜いてしまうこともある。

もし観光客が園内をまんべんなく歩いてくれるなら、それは草木への「ほどよい優しい刺激」となり、むしろ草原にとってプラスに働く可能性がある。

提供:津田智さん

しかし同時に、写真映えする特定スポットだけに人が集中し、同じ場所を繰り返し踏みつけてしまうことには注意が必要である。そこだけが「踏み分け道」のようにすり減り、刺激が過剰になってしまうのである。

津田さんらの研究グループには、過去に火入れよりも、さらに強い刺激を試した実験がある。1994年から1995年にかけて、火入れと放牧を組み合わせたり、2年連続で放牧を行ったりする試みがなされた。

提供:津田智さん

しかし、その結果は、期待とは裏腹なものとなった。

牧草類はかえって増え、シロツメクサなど、原生花園にはもともと生えていなかった外来種までもが繁茂してしまったのだ。

さらに2004年には、重機を使って地表そのものを掘り返す(かき起こす)大規模な実験も行われた。この手法によって外来のイネ科牧草は減ったものの、今度はシロツメクサやシロザ、オオヨモギといった、これまた原生花園の本来の姿とは異なる植物が急速に増えてしまったのである。

「強く攪乱すればするほど、良い結果が出る」というわけではなく、強すぎる刺激は、むしろかえって望ましくない植物を呼び込んでしまう。

立ち上がる炎だけを見れば、火入れは最も過激な手段のように映るかもしれない。しかし、植物に与えるインパクトの度合いで見れば、放牧や重機による攪乱よりもずっと穏やかで、自然に適した「程よい刺激」なのである。

生態系を守るとは、そこに生きる動植物ひとつひとつの営みを丸ごと守ることである。

この地で行われている「火入れ」が、慎重な検証を重ねて形作られてきた背景には、華やかな景観だけでなく、この土地に息づく生物多様性さえも守り抜くという視点があった。

牧草だけを減らせばいい、花さえ咲けばいいという単純な話ではなく、昆虫や野鳥、そこに生きるあらゆる動植物への影響、そのすべてを包括的に見据えなければならない。

これから全国各地で、人の手を添えながら自然を再生させる取り組みは広がっていくはずだ。そのとき、行政と民間だけで進めるのではなく、専門的な知見を持つ「大学や研究機関(学)」がどう歩みを合わせ続けられるかが、取り組みの成否を分ける鍵になるだろう。

小清水原生花園に花々が咲き渡るのは、1年のうちわずか1ヶ月ばかり。その限られた季節にしか出会えない奇跡のような時間が、この場所をいっそう特別な存在にしている。

花は誰かの役に立つため、咲いているわけではない。木材として使えるわけでも、お腹を満たせるわけでもない。それでも人は、遠方から時間をかけ、この原生花園に咲き誇る花々を見に訪れる。

お見舞いには花を添え、旅立ちには花を手向けるように、花を「美しい」と愛でる心は、人が誰かを想う優しさと深く結びついている。

この草原を守り継いできた原動力も、突き詰めれば、そうした人間らしいあたたかな感性そのものではないだろうか。

次の世代を生きる人々もまた、色とりどりの花を見つめ、同じように心を揺さぶられる未来が続いてほしい。

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