2026年7月14日・15日の2日間、熊本市の「熊本城ホール」にて「グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット(GNPS)2026」が開催されました。
本サミットは、Nature Positive Initiative(NPI)と国際自然保護連合日本委員会(IUCN-J)の共催による国際会議であり、主に民間の視点からネイチャーポジティブの実現に向けた議論を行いました。
会場にはビジネス、金融、行政、NGOのリーダーたちが世界中から集結し、参加登録者は2,725名、2日間の延べ参加者数は約5,000名に達し、その約3分の2を企業や金融機関の関係者が占めています。

本サミットは、2026年11月にアルメニアで開催される「国連生物多様性条約第17回締約国会議(CBD COP17)」への重要な足がかりです。会議では、ネイチャーポジティブをいかに経済活動の現場へ「実装」していくかが最大の焦点となりました。
サミットの冒頭、Nature Positive Initiative(NPI)代表のマルコ・ランベルティーニ氏が登壇しました。同氏は、これまでの経済発展が自然の損失の上に成り立っていたことを指摘した上で、「ネイチャーポジティブは単なるスローガンではなく、測定可能な目標である」と強調しました。

ネイチャーポジティブの実現に向けた、ビジネスの役割
国連生物多様性条約(CBD)事務局長のアストリッド・ショーメーカー氏が登壇し、ネイチャー・ポジティブの実現に向けた取り組みについて、以下のように語りました。
「生物多様性と『自然に根ざした解決策(NbS)』への投資は、2030年までに最大3,200万人の雇用を創出する可能性を秘めています。ビジネスは事業活動において自然に大きく依存していると同時に、持続可能な未来に向けた “変化をもたらす主体” でもあります」

特に金融セクターなどを通じて、事業活動が自然にとってプラスとなる「ネイチャー・ポジティブ」を促進する環境を整備することが重要であると示されました。
さらに、長年にわたり、世界の生物多様性への取り組みをリードしてきた日本について、社会目標と環境保全の整合を進める上で重要な役割を果たしていると評価しました。
その上で、国際目標を達成し、次期COPに向けて弾みを付けるためには、政府の取り組みにとどまらず、産業界、地方自治体、学術界、NGO、市民社会といった社会全体が連携して挑む「全社会型アプローチ」が不可欠であると呼びかけました。
「測定」という共通言語、見えない自然を可視化する
ネイチャーポジティブの実装に向けた最大のハードルは、「自然の状態や影響をどう測るか」という点にあります。気候変動における「温室効果ガス排出量」のような単一の共通指標が存在しない中で、サミットでは「何を測定し、どう比較評価するか」という標準化の議論が加速しました。

この「測定」の波は、企業にとっても無関係ではありません。鍵を握るのが「TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)」と「テクノロジー」の活用です。
新たな基準「TNFD」の浸透
日本は、TNFDの提言に沿った情報開示を行う企業(TNFDアダプター)の数が世界最多であり、企業が自社の事業活動における「自然への依存度」や「与える影響」を可視化する動きが急速に広がっています。
企業にとって、地域自然との関係性をデータで示せるようになることは、環境意識の高い投資家や顧客からの高い信頼につながります。

サステナビリティの「数値化」
サミットと並行して開催された展示会「NATURE TECH!」では、リモートセンシング(衛生などによる遠隔探査)、AI、環境DNA生物多様性観測ネットワーク*といった先進テクノロジーが披露されました。

例えば「環境DNA」技術を活用して、特定の観光地域における生物多様性の回復傾向を数値化できれば、「環境配慮型ツアー」や「サステナブルツーリズム」が本当にもたらした成果を客観的に証明する、きわめて強力なツールとなります。
*環境DNA(eDNA):土壌や水中などに存在する生き物のフンや皮膚片などのDNAを採取・分析することで、姿を見せにくい希少種も含め「その場所にどんな生物がどれくらい棲んでいるか」を網羅的に特定する技術。従来の捕獲調査に比べ、環境を壊さず低コスト・短時間で正確な評価ができるため、ネイチャーテックの代表格として注目されています。
世界一の地下水都市、熊本に学ぶ流域単位の協働
開催地となった熊本市は、73万人もの市民の飲料水を100%地下水で賄う、世界でも類を見ない「地下水都市」です。本サミットが熊本で開催された真の意義は、同市が長年実践してきた「ランドスケープ・レベル(流域単位)」での地域協働にあります。

熊本では行政区域の枠組みを越え、周辺自治体、企業、地域住民が一体となって地下水資源を守り続けています。例えば、上流地域の水田に水を張って、地下水を育む取り組み(地下水涵養:かんよう)は、下流の都市機能や半導体産業をはじめ、江津湖(えづこ)に代表される豊かな観光資源の基盤となっています。

観光産業が「持続可能性(サステナビリティ)」を追求する際、自社施設内だけの省エネやリサイクルに留まるようでは限界があります。熊本の事例が示すように、地域全体や「流域」という自然の広がりの中で生態系のつながりを捉え、他業種とも手を取り合う「コレクティブアクション(多主体による協働)」の視点が、これからの観光経営には不可欠です。
サステナブルツーリズムをアップデートする実装ツール
サミットでは、観光の実務者や経営層が自社の施策に組み込める具体的な国の制度・戦略も紹介されました。特に注目すべきは、以下の2つです。
自然共生サイト(OECM)
今回のサミットでは、国際目標である「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」への貢献が大きなテーマとなりました。これは、2030年までに陸と海の少なくとも30%を保全・保護しようという世界的な目標のこと。この目標達成の切り札として注目されているのが、日本が推進する「自然共生サイト」制度です。
自然共生サイトとは、民間の知恵や努力によって生物多様性が保全されているエリアを、環境省が正式に認定する制度です。2026年7月時点で、全国610箇所が認定されています。
宿泊施設やアウトドア事業者などが、自社で管理・所有する森や水源地で認定を取得すれば、これまで目に見えにくかったCSR・保全活動の実績が「客観的な価値」として証明されます。企業のブランディング向上はもちろん、新たな体験型エコツアーなどの「独自コンテンツ(観光資源)」として再定義できる仕組みが整いつつあります。
グリーンインフラ推進戦略2030
国土交通省が進める、自然が持つ多角的な機能を社会資本整備(インフラ開発)に活用する戦略です。従来の「コンクリートで固めて守る・保護する」という発想から脱却し、「自然の力を活かして防災・減災力を高めながら、美しい景観や癒やしの空間を創出する」アプローチを取ります。
これは、気候変動リスクへの対応と魅力的な地域空間づくりを両立させ、旅行者から「選ばれる観光地」をデザインする上での強力な実践フレームワークとなります。
人間は「自然の一部」という覚悟
サミットには、長年にわたり環境保全NPOや国際機関で、生物多様性の保護活動を支援してきた高円宮妃殿下が登壇。「人間は自然の一部であり、自然から離れているわけでも、ましてや自然より上位にあるわけでもありません。私たちこそが、この地球生態系の一部であり続けたいと願っています」と力強く語られました。

持続可能な企業経営とは、事業を自然や社会から切り離された存在として捉えるのではなく、自然資本・人的資本・社会資本に依存して成り立つシステムの一部として認識し、その基盤を強化することで、長期的な企業価値を創出していくことです。妃殿下はさらに、次のように呼びかけられました。
私たち一人ひとりが、利便性、快適さ、そして物質的な利益の追求をほんの少し抑えることさえできれば、地球の繊細な生態系バランスを守り抜くための理由は、まだ十分に存在しています。
効率や利便性の限界を意識し、自然への深い敬意を持って「旅のあり方」そのものを再定義する。こうした意識・マインドセットの変革こそが、ネイチャーポジティブな未来を切り拓くための最も本質的な「実装」の一歩となるはずです。
熊本宣言とCOP17への展望
閉幕に際して採択された成果文書「熊本宣言(Kumamoto Declaration)」には、国内外85の企業・団体が賛同を表明しました。宣言では、国際目標である「昆明・モントリオール生物多様性枠組*」の達成に向け、科学的な評価手法(データ化・可視化)を確立し、官民が一体となってネイチャーポジティブへの移行を加速させることが誓われました。
本サミットで醸成された議論の熱量は、2026年11月にアルメニアで開催される「国連生物多様性条約第17回締約国会議(CBD COP17)」へと引き継がれます。COP17では、各国の目標達成に向けた具体的な進捗が、厳しく問われる局面を迎えます。
そうした中、日本・熊本の地で示された民間企業の当事者意識と、実効性のある解決策(ネイチャーテックや広域連携)は、国際社会全体の取り組みを牽引する強力なエンジンとなるはずです。
自然環境という「経営基盤」を守り、育みながら、いかに経済的価値を生み出していくか。ネイチャーポジティブの視点を取り入れた「新たな観光経営」の実践が、今まさに求められています。
*昆明・モントリオール生物多様性枠組:2022年のCOP15で採択された、2030年までの生物多様性に関する世界共通の国際目標。「2030年までに陸と海の30%以上を保全する(30by30)」や「自然の損失を止め、回復軌道に乗せる(ネイチャーポジティブ)」など、23の具体的な行動目標が設定されています。
