私たちが日々楽しむ「食事」の背景には、豊かな海とそこに生きる人々の営みがあります。しかし今、過剰漁獲や環境変化によって、世界の海洋生態系や伝統的な食文化はかつてない危機に瀕しています。
この地球規模の課題に対し、世界遺産を守るUNESCOと、美食のプロ集団Relais & Châteaux(ルレ・エ・シャトー)が提携し、4つのプロジェクトを始動させました。その舞台の一つが世界自然遺産にも登録された、日本の奄美・沖縄の海です。
失われつつある「藻場(もば)」を再生させる地道な努力や、伝統を守る漁師と未来を創る料理人による新しい協働の形。「食べる」という日常の選択が、どのようにして豊かな海を次世代へ繋ぐ力となるのかを、事例を交えて解説します。
UNESCOとRelais & Châteauxによる生物多様性保護の取り組み

世界遺産を守る活動で知られるUNESCOと、世界中の素晴らしいホテルやレストランが集まるRelais & Châteaux 。この二組織が提携を組み、生物多様性を守るためのプロジェクトが動き出しています。[1]
一見UNESCOとRelais & Châteauxは無関係に見えるかもしれません。しかし、両者を結びつけているのは「ガストロノミー」という深い哲学です。
ここでいうガストロノミーとは、単においしいものを食べることだけではありません。一皿の背景にある歴史や文化、それらを支える豊かな自然環境まで大切にしようとする学問であり、芸術の一形態を指します。
Relais & Châteauxに加盟するシェフたちは料理のプロであると同時に、地域の自然を守る立場でもあります。UNESCOの科学的データとシェフがもつ食材への知見によって、絶滅危惧種をメニューから外したり、地元の伝統的な食材を復活させたりしています。
食事から地球の未来を変えていく。このパートナーシップは私たちが日々行う「食べる」という選択こそが、実は生物多様性を守ることにつながっていると教えてくれているのです。
海洋生態系と漁業が直面する課題

現在、世界の海では水産資源が急激に減少しています。国連食糧農業機関(FAO)によると、魚が自然に増える量には限界がありますが、その回復できる範囲を超えて漁獲されている資源は、すでに35.5%に達しているとのことです。[2]
特に、大きな網で一度に多種多様な魚を大量に獲るような非持続的な漁法は、海の中のバランスを壊してしまいます。海の生物は「食べる・食べられる関係」によってつながっているためです。これを「生態系のピラミッド」と呼びます。
生態系ピラミッドが成り立っている環境で特定の魚が急激に減少すると、その魚に食べられていた生物が増えすぎてしまいます。逆に、それらを餌としていた生物は減少してしまいます。この連鎖によって、生態系全体のバランスが崩れてしまうのです。
一度失われた生態系を元に戻すには、膨大な時間が必要となります。
さらに、地球温暖化による海水温の上昇や、プラスチックごみによる汚染も海に深刻なダメージを与えています。環境汚染によって海の状態が変わると、これまでその地域で獲れていた魚の種類や量にも変化が生じます。魚の動きや生息場所が変われば、従来のやり方では安定して漁を行うことが難しくなります。
そうした変化が積み重なることで、長年培われてきた知識や技術は次第に活かされなくなっていきます。その結果、先祖代々受け継がれてきた漁の技術や、それに支えられてきた地域独自の食文化も失われていくのです。
海の豊かさを守ることは、単に魚という資源を守るだけではありません。海から恩恵を受けてきた私たちの「食の伝統」を守ることでもあるのです。
奄美・沖縄の海で進む持続可能な漁業の取り組み

日本が世界に誇る奄美・沖縄の海。世界でも類を見ないほど豊かな生命が息づく場所です。しかし、その美しさを維持するためには、目に見えない場所での地道な保護活動が欠かせません。
ここでは、世界自然遺産として登録された奄美・沖縄の海の価値と、失われつつある藻場を再生するための最新の取り組みについて紹介します。
世界自然遺産に登録された奄美・沖縄の海の生態系とその危機
奄美大島や沖縄本島北部などは、固有種の多さが特徴です。島という隔離された環境の中で、独自の進化を遂げてきた生態系が評価され、2021年に世界自然遺産へ登録されました。[3]この海域は、色とりどりのサンゴ礁が広がる「生物多様性の宝庫」です。黒潮が運ぶ温かな海水のおかげで、ウミガメやジュゴンなど、世界的にも珍しい生き物たちが生息しています。
しかし、この楽園の足元では今、生態系の根幹を揺るがす「静かな異変」が着実に進行しています。
海の生態系を支える藻場の再生プロジェクト
奄美・沖縄の豊かな海を豊かな海を陰ながら支えているのが「藻場」と呼ばれる海藻です。海藻が茂るこの場所は、魚類が卵を産んだり、小さな稚魚が敵から身を隠したりする役割を果たします。
しかし今、海水の温度上昇を主な原因とし、藻場が消えてしまう「磯焼け」が問題になっています。そこで奄美・沖縄では、以下のようなプロジェクトによって藻場の保護に努めています。
囲い網で魚の食害を防ぐ
海水温の上昇は、海に予期せぬ変化をもたらします。その一つが、アイゴやイスズミといった魚の活性化です。それらの魚は生えてきたばかりの海藻を食べ尽くしてしまいます。そこで、海中に大きな網「囲い網」を設置することによって、海藻が十分に成長するまで魚から守る対策を図っています。
瀬戸内町の試験では、網で囲った場所では海藻が回復することが確認されています。
海藻によるCO2吸収と気候変動対策
こうして回復した海藻は、生態系を支えるだけでなく、新たな価値も生み出します。海藻は光合成によって二酸化炭素を吸収・蓄積する力を持っています。これは「ブルーカーボン」と呼ばれます。藻場を再生することは、海の生態系の回復と同時に、気候変動対策にもつながるのです。
環境省もブルーカーボンの重要性を指摘しており、気候変動対策として重要な役割を持つとしています。[4]現在では自治体や民間企業が協力して再生資金を募る仕組みを始めました。こうした取り組みは地道な作業ですが、将来の豊かな海をつくる一歩になります。
奄美・沖縄の海を守る漁師と料理人の協働プロジェクト

美しい海を守るためには、海を活用して生きるプロたちの連携が欠かせません。奄美・沖縄では、伝統を守る「漁師」と、食の未来を創る「料理人」が手を取り合い、新しい海洋保全の形を築いています。
漁師と料理人が協働する海洋保全の取り組み
かつて、漁師と料理人は「売る側」と「買う側」というだけの関係に過ぎませんでした。しかし今は、海の状態を共有し合う「パートナー」へと進化しています。
たとえば海温の変化で獲れる魚が変わった際、漁師がそれを料理人に伝えることで、料理人はその魚をおいしく提供する工夫を凝らします。現場のリアルな情報を食事へ繋げる関係性が生まれているのです。
シェフの食材選びが支える持続可能な漁業
Relais & Châteauxの理念に共感するシェフたちは、独自の基準で食材を選んでいます。たとえば、これまで使われてこなかった魚の活用が一例です。味は良いのに形が不揃いだったり、知名度が低かったりして捨てられていた魚をメニューに取り入れることで、特定の魚種への負担を減らします。
漁法の尊重も基準のひとつです。環境へのダメージが少ない「一本釣り」や、地域の伝統的な漁法で獲られた魚を優先的に購入します。これにより、漁師の生活と海の環境を同時に守ることに貢献しています。
消費者としての持続可能な食材選び
奄美・沖縄の海では、藻場を守る取り組みや、漁師と料理人が連携した新しい挑戦が進んでいます。しかし、こうした現場の努力だけでは海の未来を守り切ることはできません。
海洋保護には私たち消費者の働きかけも必要です。
近年では、個人の消費行動が海に与える影響への理解が広がっています。奄美・沖縄の現場で起きている変化を自分の食卓へとつなげるために、今日からできることは多数あります。
【情報の透明性を重視する】
手に取った魚類が「いつ・どこで・誰が・どのような方法で」獲ったものかに関心をもつことです。食卓に届くまでの生産・流通の過程がはっきりとした食材選びは、責任ある漁業を直接的に応援します。
【認証制度や地産地消を心がける】
水産資源や環境に配慮した証である「MSC認証」や「ASC認証」を受けた商品を手に取ることも持続可能な漁業の支えとなります。[5][6]輸送による環境負荷が低いため、その土地の旬を味わえる地産地消の選択は、海への負担も減らせる賢い方法です。
【今まで市場に並ばなかった魚類への理解を深める】
市場価値が低く、これまで廃棄されていた魚種をあえて受け入れることも消費者ができる選択の一つです。私たち消費者が魚類への理解を深めることは、特定の魚種への過度な漁獲を抑え、生態系のバランス維持に寄与します。

まとめ
世界遺産の保護を担うUNESCOと、美食のプロフェッショナルであるRelais & Châteaux。両者の提携が示しているのは、ガストロノミーの本質です。、食の豊かさは、料理の質だけで成り立つものではありません。それを支える自然環境や生態系と相互に依存しあう関係にあります。
奄美・沖縄の海で始まっている「漁師と料理人の協働」や「藻場の再生」は、その理想を形にするための具体的な取り組みです。
持続可能な漁法を支え、地域の伝統や自然を壊さずに次世代へ引き継いでいく。現場で積み重ねられるこうした努力を、一過性のものにせず循環させていくためには、私たち消費者の主体的な関わりが欠かせません。私たち消費者が「適切な選択」を行うことも、海と食の豊かさを継承するための重要な取り組みです。
美しい海を守りながら、豊かな食文化を未来へ繋いでいくのは、日々の食材選びという身近なところから始まっています。

参考文献
[1] Biodiversity starts on our plates
[2] The State of World Fisheries and Aquaculture 2024 Blue Transformation in action
