画像提供:Destination Canada
観光を通じて、地域をより良い状態へと再生させるリジェネラティブツーリズム。その実践において、世界から注目を集めるカナダでは、ハイエンゲージド・ゲストという独自のターゲット定義、出発前から始まる体験設計、先住民主導の観光など、「リジェネラティブ(再生可能な)」の理念と実践が深く結びついた観光のあり方が根付いている。
しかし取材を重ねるうち、問いはさらに深まってゆく。なぜカナダの人々は、これほど迷いなくリジェネラティブツーリズムを実行できるのだろうか。そのヒントは、理念を支える「仕組み」の中に見つかった。データに裏付けられた意思決定、地域への投資を導く明確な論理、そして成功を測る新しい尺度。
インタビュー後編では引き続き、カナダ観光局の半藤将代さんにお話を伺い、DMOや自治体など現場の実践者が「確信して動ける」状態を生み出す、カナダ観光局の仕組みに迫る。

半藤将代さん
カナダ観光局 日本地区代表
早稲田大学第一文学部卒業後、トラベルライターやイベント・コーディネーターとして約20カ国を訪問。その後、アメリカに本社を置くグローバル企業で日本におけるマーケティング・コミュニケーションの責任者を務める。1999年カナダ観光局入局、2015年より日本地区代表に就任。通年でのカナダ観光の促進や新たなデスティネーションの商品開発を推進するとともに、リジェネラティブツーリズムの視点から新しい観光のあり方を模索し続けている。著書に『観光の力 世界から愛される国、カナダ流のおもてなし』(日経ナショナル ジオグラフィック)がある。

観光局は、単なるプロモーターではなく投資家でもある
観光局とは何をする組織か。多くの人が「観光地のプロモーション機関」と答えるかもしれない。旅行者を呼び込むための情報発信、キャンペーンの企画、メディアへの露出。その役割は長らく、観光地の「広報担当」として定義されてきた。
しかし、カナダ観光局は今、従来のプロモーション機関から、セクターへの「投資家・戦略的助言者」へと役割を拡大している。単に情報を発信するのではなく、地域の観光が自立して機能するための条件を整えているのだ。
プロモーションは「来てもらう」ための活動だが、投資は「自走できる地域を育てる」ための活動である。目的が変わることで、観光局が向き合う課題そのものが変わる。カナダ観光局は「チーム・カナダ」というアプローチを軸に、連邦・州・準州政府、先住民族とその組織、業界団体、多様な観光事業者など、あらゆる関係者が一つのチームとして動いている。

データ駆動型マーケティングと高度な調査研究を組み合わせることで、毎年数百万人のハイエンゲージド・ビジターを惹きつける国際的なキャンペーンの展開を可能にした。
カナダ観光局は、整合された調査やマーケティング、流通プログラムを観光事業者やDMOなどの実践者たちと共有する。地域と全国のニーズへの理解が深まることで、取り組みの重複が減り、各市場での効果の最大化が期待されるのだ。
個別の取り組みが束になることで、カナダの観光セクターは、世界の舞台でその規模以上の存在感を発揮できる。縦割りを超えて一体となって動く仕組みがあるからこそ、リジェネラティブという理念は実践に変わる。
さらにカナダ観光局は、デスティネーション開発の「イネーブラー(実現支援者)」としての役割も担っている。複数の地域をつなぐ観光ルートを戦略的に開発・整備する「Tourism Corridor Strategy Program」を通じて、レジェンダリーな旅の創出と投資誘致を推進している。

イネーブラーとは、自らが主役になるのではなく、地域や事業者が自走できるための条件を整える存在だ。観光局が前面に出てプロモーションするのではなく、地域が自らの力で動き出せるよう、思考の枠組みや投資環境を整備することに徹する。
また、米国・英国・フランス・メキシコ・ドイツ・中国・オーストラリア・韓国・日本の9つの優先市場に現地事務所を持ち、海外主要都市からの安定した訪問者数を確保することで、投資家にとっても信頼できる基盤を提供している。

では、カナダ観光局は何を基準に、投資先を選ぶのか。投資対象として重視しているのは、主に4つの観点だ。
- 長期的な事業継続性
- 強い地域リーダーシップの存在
- コミュニティの価値との整合性
- 経済・社会・環境の各面での継続的な便益創出能力
さらに、リジェネラティブな性質を持ち、将来的に自立運営が可能なプロジェクトを優先するという。この基準を眺めると、一つの共通点が見えてくる。いずれも「今どれだけ集客できるか」ではなく、「この地域は自分たちの力で持続し、再生し続けられるか」を問うている。短期的な数字ではなく、地域が自走するための内発的な力を見ているのだ。
特に注目したいのが「強い地域リーダーシップ」という基準。観光局がいくら支援しても、地域の中に引っ張る人間がいなければ、支援は根付かない。そして、もう一つ特筆すべきが「コミュニティの価値との整合性」である。前編で見てきた合意形成の作法(例えば、48回ものミーティングを経て生まれた、オカナガンの10年計画)は、まさにこの基準を満たすためのプロセスだったとも言える。

障壁を取り除き、投資環境を整える
自走できる地域に、投資は集まる。しかし、意志と仕組みを持つ地域であっても、投資が動かない場面もある。なぜなら、障壁が取り除かれていないからだ。
カナダの観光投資環境は、複数の管轄と多様なセクターにまたがっている。規制の複雑さ、インフラ整備のタイムライン、コスト圧力、季節性。これらが組み合わさることで、投資判断は難しくなる。地域に意志があっても、環境が整っていなければ資本は動かない。
カナダ観光局はこの課題に対して、政府と業界を跨ぎ、関係者をつなぐ「調整役」として機能している。
観光を「国家の戦略的な経済優先事項」として位置づける働きかけを行うほか、政府・自治体に対して、各市場の旅行者動向だけでなく、世界的な旅行需要の分析データを提供。証拠に基づいた政策立案と、明確な投資機会の形成を支援している。

さらに地域コミュニティに対しての取り組みは、投資を受け入れられる状態にあるかどうかの準備支援だけではない。投資の仕組みを理解し、自ら判断できる力を育てることで、コミュニティが自信を持って投資に向き合える環境を整えている。
その姿勢を体現する場の一つがMIPIM(不動産プロフェッショナル国際マーケット会議)だ。世界中から不動産・インフラ・観光分野の投資家が集まるこの国際見本市で、カナダ観光局はカナダとして一体となった発信をリードし、有望なプロジェクトをグローバルな投資家と直接つなぐ役割を担う。
観光地の魅力を発信するだけでなく、投資家が判断に必要とするデータや収益見通しの言葉で語りかける。それがアドバイザーとしての役割だ。資金だけが障壁ではない。知識もまた、地域の動きを止める壁になる。カナダ観光局はナレッジハブを通じて、こうした現場の課題に応えている。
計画立案の手法、関係者との協力体制の構築、投資受入のための準備。デスティネーション開発に必要なこれらの専門知識を、DMOや自治体が実践に使える形で届ける。資金を投じる前に、動ける状態を整える。その支援があるからこそ、地域は自走への第一歩を踏み出せるのだ。
データが変えた、意思決定の解像度
感覚値に基づく判断は、時に大きく外れる。ターゲットの選定、クリエイティブの方向性、投資すべき市場。これらを「こうだろう」という経験則だけで決めることには、限界がある。
カナダ観光局はこの課題に対して、データを戦略の中核に据えることで応えてきた。「Canadian Tourism Data Collective」の構築を皮切りに、データとAIは今や、カナダ観光局の意思決定に不可欠なインフラとなっている。

かつては、過去のデータをまとめたレポートが判断の拠り所だった。しかし今は、リアルタイムで問いかけ、答えを引き出せる「対話型の分析システム」へと進化している。事後の振り返りから、先を読んで動く判断へ。この転換によって、カナダ観光局は「こうだろう」という推測から、「確信して動ける」状態へと変わった。
その変化を象徴するのが「Traveller Twin」というAIツールだ。複雑なデータを実践的な知見へと変換するこのツールは、旅行者のペルソナをAIが生成し、クリエイティブ戦略の裏付けをリアルタイムで得られる仕組みだ。

DMOはターゲットに対して「このクリエイティブはどう響くか」をTraveller Twinに問いかけ、その答えをもとに意思決定できる。
この効果を具体的に示す事例がある。カナダ・エドモントンの観光局「Explore Edmonton」は、Traveller Twinを活用してクリエイティブ戦略を検証した。ウォーターパークのビジュアルをカルチャー・シーカー(Culture Seeker:文化体験や地域との深い関わりを求める旅行者層)と呼ばれる旅行者セグメントに向けて投入し、Traveller Twinに反響を問い合わせたところ、「注意を引き、興味・意向を喚起した」という評価が返ってきた。
その後、すでに展開していた先住民観光コンテンツと連動させ、先住民族メイティの文化施設「メイティ・クロッシング」を舞台にしたオーロラのビジュアルに切り替えた。Traveller Twinは、このビジュアルが旅行者と高い親和性を持つと判断し、チームはキャンペーンを実施。世界最大級の旅行ガイドブックブランドであるLonely Planetが、エドモントンを2025年のベスト・デスティネーションの一つに選んだという追い風も重なり、4,300万人以上にリーチし、約183万件のランディングページセッションを獲得した。
さらにPWHL(プロ女子ホッケーリーグ)およびホッケーカナダ女子チームイベントの告知では、女性スポーツファンでありかつカルチャー・シーカーでもある層をターゲットに、2種類のキャッチコピーをTraveller Twinで検証した。
Traveller Twinは、それぞれのキャッチコピーがなぜ効果的かを説明し、その結果をもとにExplore Edmontonは2種類のメッセージを使い分ける戦略を実施。600万インプレッション、30,000件超のランディングページセッションに加え、チケット購入転換率4.22%を達成するだけでなく、チケット販売の37%が地域外からの購入という結果を得た。
2つのキャンペーンを経て、Explore Edmontonのグローバルマーケティングチームは、意見だけでなく、データに裏付けられた意思決定ができる組織に変わった。データが変えるのは、数字だけではなく、組織の判断の質そのものだ。
感覚値に頼っていたとき、戦略は常に「たぶんこうだろう」という不確かさを抱えてしまう。しかし、確信を持って動けるとき、チームは迷わず前へ進める。その違いが、キャンペーンの成果、そして地域の豊かさへと積み重なっていく。

一方で、課題もある。観光データは、本質的に業界横断的であり、セクターごとに基準・フォーマット・デジタル成熟度が異なるため、継続的なデータ統合やガバナンスが不可欠である。地方・地域レベルでのデータのギャップも残っており、かつてデータ収集時に取り交わした同意の範囲が、現在の活用ニーズに追いついていないケースもある。
これらの課題に対してカナダ観光局は、パートナーシップの強化、契約の見直し、データ取得の拡大を通じて解消を進めている。生成AIの活用拡大にあたっては、精度の確保・信頼の維持・倫理的な使用のための監督体制の整備が、引き続き不可欠な課題だ。
データ活用において、世界でも先進的な取り組みを行うカナダでさえ、道はまだ途上にある。翻って日本の観光産業を見れば、データ基盤の整備はこれからという地域がほとんどだ。カナダの課題との向き合い方は、日本が今後歩むべき道筋を考える上で、何か気づきを得られるだろう。
成功の尺度が変わるとき、観光の目的も変わる
何を成功の指標とするかによって、観光が向かう方向は根本から変わる。カナダ観光局は「成功の指標」に対して、Tourism’s Wealth & Wellbeing Index(観光のウェルス&ウェルビーイング指数)という新しい測定の枠組みで応えようとしている。

この指数が示そうとしているのは、観光がコミュニティの自立を支援し、文化を守り、自然資産を保護し、経済成長を牽引するセクターとしての多面的な役割だ。地域経済を強化しながら、カナダのグローバル競争力も高める。観光には、その両立を実現する可能性があるという主張を、数字で裏付けようとしている。
訪問者数や消費額といった従来の指標では、こうした多面的な価値を捉えることはできない。観光の成功を「どれだけ集めたか」ではなく「どれだけ豊かにしたか」で測るべく、指数は6つの軸で構成されている。

- Economy(経済):持続可能な経済成長への貢献
- Employment(雇用):質の高いアクセシブルで多様な雇用の創出
- Enablement(基盤整備):観光と地域コミュニティの双方を支えるインフラへの影響。(住民にとって住みやすく、訪問者にとって魅力的な場所であり続けるための生活の質)
- Environment(環境):自然資産の保護と持続可能な資源管理
- Engagement(関与):文化遺産の保全と社会的包摂における観光の役割
- Experience(体験):観光が訪問者の人生をどれだけ豊かにしたかという視点
この6つの指数を眺めると、従来の観光指標がいかに「送り手側」の視点に偏っていたかが見えてくる。何人来たか、いくら使ったか。それらは、観光地が受け取るものの話でしかない。カナダ観光局による「観光のウェルス&ウェルビーイング指数」が問うのは、観光が地域に生きる人々の暮らしをどう変えたか、訪問者の人生にどう影響したか、という双方向の問いだ。
成功の尺度を変えることは、観光に関わる全員の行動を変える力を持つ。「何を測るか」を明確にすることで、「何を目指すか」が見えてくる。

観光は、善のための力である
後編を通じて、カナダ観光局の仕組みの全貌を辿ってきた。データに裏付けられた意思決定、地域への投資を導く明確な論理、障壁を取り除くアドバイザリーの機能、そして成功を測る新しい尺度。それらが一体となって機能するとき、リジェネラティブツーリズムの理念は実践の力を持つ。
しかし、学べば学ぶほど、日本との差が明確になってしまうのも正直なところ。データ基盤、投資の論理、成功の尺度。いずれも、整った制度や仕組みなしには動けるものではない。カナダが積み上げてきたものを、日本の地域が今すぐそのまま応用することは難しい。
だからこそ、学ぶ価値があるのではないだろうか。カナダが何十年もかけて築いてきた仕組みの思想を知ることは、日本の地域が自分たちの仕組みを作るための、最初の問いを立てることにつながるはずだ。今は、後に続いていくための助走をつける時期ではないだろうか。
その思いを抱えていると、カナダ観光局の半藤さんの言葉が、改めて響いてくる。
観光は集客手段にとどまらず、地域の再生を促す非常に戦略的な力を持っています。カナダ観光局は『Tourism is a Force for Good』という信条のもと、情熱と誇りを持って取り組んでいます。
ぜひ、日本の地域でも、より良い地域を作り、次の世代に引き継いでいくために観光の力を使ってください。それは訪れた人の人生を豊かにし、ひいては世界を良くすることにつながると、私たちは信じています。
観光は、善のための力だ。その力をどう使うかは、地域の意志と設計にかかっている。カナダの実践がその可能性を示しているとすれば、次は、日本がその問いと向き合う番なのだろう。
取材協力:カナダ観光局

