画像提供:公益財団法人 阿蘇グリーンストック
「環境保全」と聞くと、どのようなイメージを抱くだろうか。豊かな自然に手を加えず、人が近づかないように囲って守るなど、「人間が自然から退く」アプローチを思い浮かべる人は少なくないはずだ。原生的な自然を保護する文脈では、それも一つの正しいあり方と言える。
しかし、熊本県阿蘇地域に広がる草原は、自然環境に対して人間が手を加えないアプローチでは維持できない。阿蘇では、毎年2月から3月にかけて「野焼き」が行われる。広大な草原の枯草に火を放つ行為は、一見すると破壊的に思えるかもしれない。
だが、この火入れを行わなければ、やがて草の間に少しずつ木が育ち始め、数十年で草原は森林へと姿を変えてしまう。「火を入れる」という人為的な介入があって初めて、草原の景観は守られ続け、人々は草原のエコシステムが育む豊かな恵みを享受することができるのだ。

阿蘇が織りなすこの景観は、手つかずの原生自然ではない。長い歴史のなかで、人の営みと共に形成されてきた「半自然」である。放牧、採草、そして野焼きという農的営みが積み重なることで、阿蘇の草原はその美しさを保ってきた。すなわち、何百年、何千年と阿蘇の人々が必要とし、使い続けてきたからこそ、この景観は維持されてきたのだ。

しかし、今では地域の人たちだけで草原を維持するのは困難になってきている。地域の方と共に誰がこの広大な草原を守っているのか。その維持を担ってきた組織の一つが、公益財団法人 阿蘇グリーンストック(以下、阿蘇グリーンストック)だ。
1995年の設立以来、行政・地域・ボランティア・企業を繋ぐ「官民四者連携」のハブとしての役割を果たし、現在は50社以上の企業が、その保全活動に参画している。今回、同財団の専務理事である増井 太樹さんに、企業と草原の関わり方について話を聞いた。

増井 太樹さん / 公益財団法人 阿蘇グリーンストック 専務理事
「阿蘇が好き」から始まる企業連携
近年、企業と地域・自然の関わり方は大きな変革期を迎えている。かつて企業の環境活動といえば、寄付や植樹といった「社会貢献(CSR)」の文脈で語られることが多かった。しかし2010年代以降、本業を通じて社会課題を解決する「CSV(共通価値の創造)」が広まり、企業が自然に関わることを事業戦略の一部として捉え直す動きが生まれた。さらに現在は、企業と地域が対等なパートナーとして新たな価値を共に創り出す、「共創」の概念へと進化しつつある。
では、1995年に設立された阿蘇グリーンストックと企業との関わりは、どのように変化してきたのだろうか。その変遷を語る上で避けては通れないのが、2016年4月の熊本地震だ。震災は草原にも深刻な影響を及ぼし、野焼きに必要な道路が寸断されるなど、地域のインフラである草原の維持が難しくなった。
当時、企業や個人からの支援は「草原保全」というより「熊本の復興」として集まったが、この出来事が地域と企業を結び直す大きな転換点となった。たとえば、キリンビール株式会社は「復興応援 キリン絆プロジェクト」として、野焼きが困難になった牧野組合の作業道整備に多額の支援をいただき、それにより、野焼きが再開できた牧野も少なくない。
参照:https://www.kirinholdings.com/jp/sustainability/files/pdf/kumamoto-dayori07.pdf
寄付という支援の形は、10年前も今も変わらずベースにあります。震災から10年経ち、世の中の環境意識の高まりに比べると、この10年で企業の参画数が劇的に爆発したとは言えないかもしれません。ただ、確実に変わってきているのは「人的支援」の熱量です。

増井さんが語る通り、野焼きを支えるボランティアへの企業参加は、ここ数年で着実な広がりを見せている。2022年時点で約900名だった登録者数は、現在約1,500名にまで増加。熊本県と阿蘇グリーンストックが共同で運営する「阿蘇草原応援企業サポーター認証制度」の認定企業も50社を超えた。
表面的な数字だけを追えば、活動は順調に推移しているように見える。だが増井さんは、「阿蘇の持つポテンシャルを考えれば、支援の輪はもっと広がっていいはずだという、もどかしさもある」と率直な思いを口にする。
しかし、ただ参加企業数が増えればいいというわけでもない。阿蘇の価値を真に守っていくためには、一過性の関わりではなく、いかに深く長くコミットしてもらうかが重要になる。
そこで増井さんが、継続的な連携の象徴的な事例として挙げたのが、熊本トヨタ自動車だ。同社が販売するハイブリッドカー1台につき一定額を寄付し、野焼きなどの草原保全に充てる「ハイブリッド基金」は、業界内外に知られる画期的な取り組みになっている。


この強固な連携がいかにして生まれたのか、その背景について増井さんはこう振り返る。
当時の熊本トヨタ自動車の社長が、とにかく阿蘇を愛してやまない人だったんです。その胸の内に元々あった想いを、阿蘇グリーンストックが「活動」という形で受け皿を用意した。それがすべての始まりでした。
最初から、精緻なCSR戦略や制度設計があったわけではない。一人の人間の、阿蘇に対する「個人的な想い」こそが起点だった。そしてこの熱意は、業界のネットワークを通じてトヨタ系列各社やJAF(日本自動車連盟)隈本支部にまで広がっている。
こうした「個人の感情」を起点とした事例は、熊本トヨタ自動車に限らない。「リジェネラティブ(環境再生)ツアー」で阿蘇を訪れた担当者が、人の手で維持されてきた草原のストーリーに深く感銘を受け、継続的な寄付や社員研修へと繋げたケース。
あるいは、もともと阿蘇が大好きな社員が、社内でその価値を熱弁し続けた結果、ついに本業のビジネスとの接点が生まれたケース。アプローチのパターンは違えど、増井さんが指摘する構造はすべて共通している。
元々その人の心の中にある「自然が好き、阿蘇が好き」という種を見つけること。私の役割は、その芽が育つように、会社という組織を動かすための「大義名分」を一緒に作ることだと思っています。

もっとも、こうした「個人の内面」を起点とするボトムアップのアプローチは、組織内では評価や体系化が難しい。昨今の企業のサステナビリティ活動は、ESG情報開示への対応や中期経営計画との整合性といったマクロな観点から設計されることが主流であり、「自社に阿蘇を愛する社員がいるか」を探るプロセスは、標準的な業務フローには組み込みがたい。
しかし増井さんの実践は、ある一つの真理を突いている。それは、どんなに立派な制度や戦略よりも、まず先に「個人の手触りのある感情」があり、そこを起点に紡がれた連携こそが、結果的に最も強く長続きするという気づきである。
企業にとっての「草原」の価値とは
企業が環境保全に関わる場合、一般的には「森林」や「海洋」が選ばれることが多い。森林にはカーボンクレジットの仕組みが整備されており、CO2吸収量を数値化して企業の脱炭素目標に紐付けやすいからだ。海洋についても、水産業や観光業との結びつきから、企業が接点を見出しやすい。
では、それらと比べて「草原」に投資することには、企業にとってどのような意味があるのだろうか。増井さんはまず、「どちらが優れているという話ではない」と指摘した上で、「草原が持つ固有の特徴は、人が関わることではじめて豊かさが維持される自然」だと強調する。
草原をはじめとする里山は、保全のロジックが他の自然環境とは根本的に異なる。森林や海洋の保全は、人間の介入を減らして自然の回復力に委ねる「引き算」が基本となることが多い。しかし日本の草原のような環境の場合、冒頭で述べたように「人の手が入らなくなること」こそが最大の環境破壊を招いてしまう。人間が継続的に関わる「足し算」のアプローチが不可欠であるという点が、この生態系のユニークさなのだ。

実際に人々の関わりが薄れた結果、日本の草原はいま、存続の危機に瀕している。もともと草原は、農耕用の牛や馬を放牧し、冬場の飼料や田畑の肥料として草を利用するという、人々の暮らしと密着したサイクルの中で長きにわたって維持されていた。
しかし昭和30年代以降、農業機械や化学肥料が普及すると、牛馬の放牧は激減し、人々が草を求める理由も失われた。役割を失った草原は、別の土地利用として高度経済成長期の植林、また現在では一部メガソーラーに姿を変えている。さらに、斜面など活用の目処が立たず放置された草原は、次第に森林へと変わり、阿蘇の草原に住んでいた多くの生き物たちが住処を奪われ、絶滅危惧種となっている。
現在、日本の国土に占める草原の割合は約1%以下まで減少してしまったと、増井さんは指摘する。森林が国土の約67%を占めることと比較すれば、その希少性は際立っている。(*1)

また、草原の特性は、近年企業に強く求められる「ネイチャーポジティブ」の概念と本質的に合致する。ネイチャーポジティブとは、2030年までに生物多様性の損失を食い止め、回復軌道に乗せる(プラスに転じさせる)という世界的な目標である。
これに伴い、企業が自然資本に与える影響やリスク・機会を開示する国際枠組み「TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)」への対応も、特定の自然資本への依存度が高い大企業を中心に急務となっている。
これまで企業の環境活動といえば「脱炭素」の文脈が先行しており、日本では、森林保全によるCO2吸収量の向上が注目されるなど、カーボンクレジットも森林由来のものが多くを占めている。一方で、草原再生に関するカーボンクレジットについては、確立された方法論がまだ十分に整備されていない。
ところが、再生される草原が持つ「炭素の固定」能力は決して侮れない。事実、定期的な野焼きによって適切に管理された草原の地中には、膨大な炭素が蓄積されている。その固定量は、阿蘇地域の全家庭が排出する年間CO2炭素量の「約1.7倍」にも達すると言われる。
さらに、「生物多様性」の回復という点においては、草原には計り知れない可能性があると、増井さんは期待を寄せる。 阿蘇の草原には絶滅危惧種を含め、約600種の希少な植物や昆虫が自生しており、なかには阿蘇やその周辺の草原にしか生育しないような生物もおり、固有の生態系を育んでいる。管理する人の手が途絶えれば、彼らの住処は森に飲み込まれ、たちまち多様性は失われてしまうだろう。
しかし、企業が資金や人手を投じ、野焼きをはじめとする草原保全を支援することによって生態系は維持され、絶滅リスクは低減する。これこそが、企業がローカルな現場で生み出すことのできる、具体的でクリアな「ネイチャーポジティブな成果」と言える。

そしてもう一つ、草原の保全活動には、企業を惹きつける強力なメリットがある。それが「関わり方の選択肢」と「成果の蓄積しやすさ」だ。阿蘇の草原には、寄付、ボランティア派遣、サステナブルな商品開発、社員研修など、多様な入り口が用意されている。自社の規模や課題に合わせて、無理のないスタートを切ることができるのが強みだ。
さらに増井さんは、草原保全特有の「サイクル」にも言及する。「木を植える」といったプロジェクトは、完了すると次の関わりが描きにくいことがある。また、その具体的な成果も見えづらい。対して野焼きは、毎年必ず繰り返される営みだ。
「今年は社員が何名参加した」「何ヘクタールの草原を維持できた」という確かな実績が年単位で蓄積していくため、社内外に対するサステナビリティの活動報告に組み込みやすいという、実務的な価値を備えているのである。
水でつながる、透明な支援の輪
企業が草原保全に関わろうとしたとき、最初の壁になるのは「どこから始めればいいかわからない」という戸惑いだろう。寄付や現地研修など、阿蘇グリーンストックが企業に提示する関わり方は多岐にわたるが、どれが自社に最適かは、企業の状況や業種によって全く異なる。
増井さんは「正解はひとつではありません。企業を動かすのも『人』ですから、アプローチがうまくいかないことだってあります」と寄り添い、いくつかの選択肢を示した。

まず「ボランティア派遣」は、社員が実際に阿蘇の地に立ち、野焼きを肌で体験するという、最も直接的で熱量の高い関わり方だ。しかし、野焼きの時期は2月から3月に集中している。業種によっては年度末の繁忙期と重なるため、「参加したくてもスケジュールが合わない」という企業も少なくない。
そうした「野焼きの現場に行くのが難しい企業」や、逆に「全国から人を集めたい大企業」のニーズを満たすのが「現地研修」というアプローチだ。日本航空(JAL)では、全国の社員に広く呼びかけ、サステナブルな取り組みとして「希少種保全活動」や「野焼きに向けた防火帯の作成」を組み込んだ社内研修を定期的に実施している。

最初のきっかけは、社内に阿蘇が大好きな社員がいて、「どうしても同僚たちに阿蘇の素晴らしさを見てほしい」という強い想いを持っていたことでした。その個人の熱意が、会社を動かして研修という形になったのです。
研修に参加した社員が新たな「阿蘇のファン」となり、社内でその魅力を語り続けることで、関わりの輪はさらに大きく広がっていく。
そしてもう一つ、強力な選択肢となるのが「寄付や商品連携」である。阿蘇の水や大自然とゆかりのある商品を持つ企業にとって、非常に親和性が高いアプローチだ。
売上の一部を保全活動に充てる仕組みは、前述した熊本トヨタ自動車の「ハイブリッド基金」のように消費者にもメッセージが伝わりやすく、持続性を持たせやすい。「商品1点につき○円」という明確なスキームは、企業側にとっても株主や顧客への説明責任(アカウンタビリティ)を果たしやすいという強みがある。

一方で、環境保全の領域では、新たな課題も浮上している。近年、企業が環境への貢献度を「数値」として購入できる便利な仕組みとして「カーボンクレジット」が普及してきた。しかし現在、その実効性や透明性に対する疑問の声が国際的に高まっている。
購入したクレジットが「本当に生態系の回復に寄与しているのか」「現地のコミュニティに還元されているのか」が外部から見えにくく、グリーンウォッシュ(環境配慮を装うこと)と見なされるリスクにもなりつつあるのだ。
この「不透明さ」という壁を突破する先進的な仕組みとして誕生したのが、「九州の水を育む阿蘇の守り手基金」である。その設計の軸になっているのが、「水」だ。

草原が持つ強力な価値の一つに、雨水を土の中に貯めて、ゆっくりと河川へ送り出す「水源かん養機能」がある。大雨の際に放出することなく、渇水期であっても絶えず水を流し続ける「巨大なスポンジ」として機能している。
全国平均の2倍、約3,000mmという阿蘇の豊かな年間降水量は、このスポンジである阿蘇五岳の山裾にしみこみ、6本の一級河川へと姿を変える。そして、流域に住む約500万人の命の水を根底から支え続けているのだ。つまり、阿蘇の水を使う企業は、意識するかどうかにかかわらず、草原の恩恵を受けていることになる。
この「水のつながり」を軸とし、流域の企業や地域から広く資金を募るのが「守り手基金」である。集まった資金は、阿蘇に約160ある牧野組合など、現場で草原管理を担う地域の組織へ直接届けられ、持続可能な活動を支える。
また、資金の流れが可視化されているのも大きな特徴だ。熊本県が発行する「貢献証書」を通じて、企業は自社の資金が「誰の、どのような活動」を支えたのか、社内外へ明確に伝えることができる。

企業がどれだけローカルな現場に精通し、実体を伴った取り組みをしているかが、世の中から問われるようになっています。支援する企業と、現場を守る牧野組合さんの顔がお互いに見えているという透明性は、これからの時代の企業がサステナビリティに求める価値と、強くリンクしているのではないでしょうか。
さらに、この「水」という切り口は、地域の産業構造とも密接に関わっている。近年、熊本県では半導体関連工場の集積が進んでいる。半導体製造には大量の水が不可欠であり、安定した水源の確保は事業上の最重要課題だ。草原の維持が地域の水資源を支えるという構造は、企業が草原保全に関わる動機として、今後さらに説得力を持つようになるだろう。
「阿蘇を自然資本として捉え、自然が良くなることが企業経営のプラスになる。そういう関係を築いていきたい」と、増井さんは語る。草原保全への参加を単なる「コスト」ではなく、地域の「自然資本への投資」として位置づけるその視点は、ネイチャーポジティブが企業に求めている本質とも深く重なっている。
旅から始まる、人と地域が溶け合う関係性
寄付や商品連携が「間接的な関わり」だとすれば、実際に草原に立ち、野焼きに参加するのは最も「直接的で熱量の高い関わり」だ。自らの手で火を入れ、汗を流す体験は、草原への理解を根本から変える。
それは、近年注目される「リジェネラティブツーリズム(再生型観光)」のあり方そのものである。ただ環境に配慮するだけでなく、旅人が地域の自然や文化の「回復プロセス」に直接加わる。増井さんは、その効果を肌で感じている。
リジェネラティブツアーの参加者が、人為的な介入によって維持される「草原の生態系の仕組み」を現地で理解し、継続的な支援が必要だと感じてくれた。結果として、継続的な資金支援(寄付)に回ってくれたケースがあります。
ボランティア参加者が「また来たい」と感じる理由は人それぞれだ。ある人は、阿蘇の草原が持つ圧倒的なスケール感に惹きつけられ、またある人は、春に自ら焼いた真っ黒な斜面が、夏に青々とした草原に蘇るのを見て「この場所を守った」という手触りに魅了される。あるいは、地元の人々と共に汗を流し、言葉を交わすコミュニティの温かさに繋がりを見出す人もいる。
いずれにせよ、ただ風景を消費する「観光客」から、風景を共に創る「当事者」へと変わった瞬間、彼らと阿蘇の結びつきは、揺るぎないものになる。

ボランティアとして長く関わるうちに、「よそ者」と「地域」の境界は、次第に薄れていく。なかには20年近く通い続け、地域の一員として迎えられている人もいる。阿蘇グリーンストックが長年培ってきたボランティアの仕組みは、今まさに地方創生で重視される「関係人口」創出の優れた先行事例と言える。だが、増井さんは現状を手放しで喜んでいるわけではない。
ボランティア参加者の裾野は広がりましたが、野焼きは経験値が問われる作業です。1、2回の参加で定着しない層も一定数いるため、今後は複数年にわたる継続参加や、年に複数回の訪問を促すといった「関係の質の向上」が急務だと感じています。
関係性を「広める」フェーズから「深める」フェーズへ。増井さんは、この数年の変化をそう表現する。現地に来られない人のために、寄付や商品購入など多様な入り口を整備することも、すべてはこの「関係性の質」を高めるための取り組みだ。企業にとっても、社員個人の「旅や体験」が入り口となり、やがて組織としての深い関わりへと発展していく可能性を秘めている。
一人の想いから、千年の草原へ
企業と草原の関わりを深めていく上で、増井さんが大切にしているのは、連携の形や規模よりも「関係性の姿勢」だ。地域創生という言葉は時として、都市と地方、企業と地域といった「支援する側」と「支援される側」の非対称な構図を生みやすい。「課題を抱えた地域を、外部のリソースで解決する」という発想は、たとえ善意に基づいていても、無意識のうちに上下関係を生む危うさがある。
増井さんが求めているのは、その構図とは異なる「対等なパートナーシップ」だ。阿蘇は課題を抱えた地域である前に、豊かな自然資本や文化を持つ地域でもある。水源、生物多様性、地域に住まう人々との縁。阿蘇の草原に関わることで、企業が得られるものは社会貢献の実績だけではない。阿蘇もまた、関わる企業に大きな価値を差し出す場所なのだ。共に価値を見出し、共に豊かになる「共創」の関係。それこそが、増井さんの目指す連携のあり方である。

千年後にも阿蘇の草原を残すために、今の私たちに何ができるのか。その問いに対する増井さんの答えは、決して壮大な構想ではなく、ささやかな日常の積み重ねだった。
千年といっても、結局は一年、そしてその一年は1日の積み重ねです。年に一回でも、阿蘇や草原のことを思い出してもらう。まずはそれだけでいいと思っています。日本の文化の中には、お月見のススキや秋の七草など、草原由来のものがたくさんあります。
日常の中にある草原との繋がりに気づいたり、リフレッシュする場所として草原を選んだりしてほしい。遠くにいても関心を持ち続け、決して忘れないでいること。それこそが、私たち一人ひとりの、最大の役割だと思っています。
現在、TNFD提言への対応を背景に、企業は自社のビジネスモデルやサプライチェーンと自然資本との関係性について理解を深めつつある。その一方で、企業が環境保全に取り組む理由は、「制度対応」や「開示要請への対応」といった合理的な文脈で語られることが増えている。
しかし、増井さんがこれまで積み重ねてきた連携の多くは、そうしたロジックよりも先に、一人の人間の「阿蘇が好き」という純粋な想いから始まっている。
まずは、自社の中に「阿蘇」や「自然」に関心を持つ人がいないか、見渡してみること。あるいは一度、自ら草原に足を運んでみること。そのささやかな個人の一歩が、やがて企業という組織を動かす源流となり、千年後の自然を潤す大きな力になるかもしれない。
取材協力:公益財団法人 阿蘇グリーンストック
