画像提供:斜里町
北海道の東の果て、オホーツク海に突き出た知床半島の北側に斜里町はある。人間が営む町はここで途切れ、アイヌ語で「地の果て」を意味する知床の原生林へと連なっていく。斜里町は、そんな手付かずの大自然と人間社会が交わる「境界」にある町だ。
世界自然遺産という圧倒的な自然を抱え、葛藤しながら共に生きてきたこの町の一角に、「しれとこ100平方メートル運動ハウス」という小さな建物がある。

建物の中に足を踏み入れると、細長い柱が何本も立ち並んでおり、その柱をよく見ると、表面には人々の名前がびっしりと記されている。一本ごとに年号の札が添えられ、奥の壁もまた、一面が名前で覆い尽くされていた。どの柱にも、どの壁にも、見渡す限り刻まれているのは、誰かの名前だ。

実はこれらすべて、「しれとこ100平方メートル運動」に寄付をした人たちの名前である。部屋を埋め尽くす無数の名前は、知床の自然再生に加わった一人ひとりの存在の証明だ。そして床のタイル部分の面積は、ちょうど100平方メートル。これは、運動スタート時の寄付一口分の広さと同じである。

「しれとこ100平方メートル運動」は、乱開発の危機にさらされていた開拓跡地を守ろうと、斜里町が立ち上げた日本初の森林保全ナショナル・トラスト運動だ。参加した人の数は、2026年5月時点で74,738人にのぼり、はるばる知床まで自分の名前の木札を探しに訪れる人もいるという。
ここに刻まれているのは、「知床の自然を守りたい」という純粋な想いそのものだ。これほどまでに多くの人々が、なぜこの地に心を動かされたのか。そこには、知床の土地をめぐる長い葛藤の歴史があった。
しれとこ100平方メートル運動の歴史
斜里町は、1971年から今日に至るまで、一貫して「みどりと人間の調和を求めて」をまちづくりの基本理念に掲げてきた。これは、「大自然の恵みのもとで、生産・生活・文化を高め、その調和を求め続けること自体が町の個性だ」という思想である。
最新の第7次総合計画でも、町は自らが「環境自治体であり世界自然遺産登録地」であることを誇り、基本目標に「自然と共に生きつづけられるまち」を据えている。
その理念を最も体現する取り組みが、1977年に始まった「しれとこ100平方メートル運動」である。知床半島の岩尾別地区では、大正期から戦後にかけて農業開拓が進められたが、厳しい自然条件のため離農が相次いだ。しかし1964年、知床が全国で22番目の国立公園に指定されると、観光地としての価値は一気に高まった。
この頃、日本は「日本列島改造論」による土地投機ブームの中にあり、国立公園内でありながら保護規制の緩かった開拓跡地に、道内外の不動産業者から次々と買い取りの手が伸びていく。その面積はおよそ100ヘクタールにも上り、乱開発の危機が迫っていた。

斜里町は国や北海道に対し、土地の買い上げを要請したものの、当時の公園区域指定状況(第3種特別地域)の規定では制度上の対象外であり、八方塞がりとなった。その一方で、地元では不動産業者に土地を渡さず、守り抜いてきた開拓離農者たちから、「町議会で一括して買い上げてほしい」という請願書が提出される。
国や道の支援は見込めず、さりとて地元の願いを捨てるわけにはいかない。この状況下で、「ならば自分たちの手で買い取るしかない」と斜里町が踏み出したのが、「しれとこ100平方メートル運動」である。
当時の町長は、新聞コラムで知ったイギリスのナショナル・トラスト運動に着想を得て、「しれとこで夢を買いませんか」のキャッチフレーズのもと、100平方メートルにつき8,000円を一口として全国に寄付を呼びかけた。結果として、これは日本で初めて自治体が主体となって進めたナショナル・トラスト運動になった。
運動はその後、20年間で全国で延べ4万9千人、総額およそ5億2千万円の支援を集め、約860ヘクタールの開拓跡地を確保。2010年には保全対象地すべての買い取りを完了した。


注目すべきは、この運動への返礼品は「募金証書」のみであること。「知床を守りたい」という純粋な気持ちだけで、これほどの人が集まり続けたのである。

森づくりという、終わりなき営み
しれとこ100平方メートル運動の特筆すべき点は、「土地を買い取る」という最大の目標で運動を終わらせなかったことにある。開始から20年の節目を迎えた1997年、運動は第2ステージ「100平方メートル運動の森・トラスト」へと発展する。
それは、買い取った土地に、かつてそこにあった森を取り戻す「森林再生」、そこで暮らしていた生き物の営みを取り戻す「生物相復元」、そして、その取り組みを多くの人に伝える「運動地公開」という三本柱への移行だった。こうして運動は、土地を守る段階から、原生の森と生態系の循環を取り戻す段階へと深化していったのである。

この森づくりは、想像されるよりはるかに地味で、長いプロジェクトだ。計画は100〜200年単位の長期目標から、20年ごとの中期計画、そして約861ヘクタールを5年で一巡する回帰作業まで、緻密な三段構えで組まれている。
人間の寿命をはるかに超えるこの計画には、世代を超えて引き継がれる「森の憲法」とも呼ばれる不変の原則がある。例えば、運動地で出た木材などを経済的利益に換えることなく、すべて土に還して森の内部で循環させること。あるいは、自力で息を吹き返しつつある二次林には、「良かれと思った人間の介入が、かえって森の再生を妨げうる」との自覚を持ち、手出しを極力控えること、といった内容だ。
かつて開拓された土地を取り戻せたのだから、あとは放っておけば森に戻るのではないか。そう考えるかもしれないが、現実は厳しい。離農後の跡地はササや草に覆われ、知床連山から吹き降ろす強風が森林の更新を妨げる。かろうじて芽生えた稚樹も、増えすぎたエゾシカに食べられてしまう。

だからこそ、森づくりの実体は「自然の力を引き出すための手当て」の積み重ねとなる。防鹿柵で土地を囲い、植え込んだ広葉樹の苗には丁寧に保護ネットを巻く。そして、過密に植えられて日の差さなくなったアカエゾマツの森を間伐し、閉ざされた林床へと光を差し込ませるのである。
現在の森づくりは、単純な針葉樹林から、オヒョウやハルニレといった様々な樹種が入り混じる「針広混交林」の形成へと挑んでいる。

この森づくりに大きな転機をもたらしたのが、2005年の世界自然遺産登録だった。長く森を食い荒らしてきたエゾシカに対し、2012年から遺産の植生保全を目的とした個体数調整(間引き)が本格的に始まったのだ。この努力により、2014年頃からは防鹿柵の外でも、かつて姿を消していた小さな木々や草花が再び息を吹き返し始めた。
しかし、この成果の裏には、「環境保護の名のもとに命を奪う」という重い矛盾が存在する。動物を駆除することへの抵抗を感じる人もいるだろう。それでもなお、この個体数管理は避けて通れない。
エゾシカの急増は北海道全体の問題となっており、地元農家への農業被害も深刻を極めている。植えたばかりの苗を次々と食べられてしまい、電気柵などで懸命に防御しても到底間に合わず、毎年多額の被害が出ているのが現実だ。

これは森の再生においても同様で、増えすぎたシカは植えたばかりの苗を次々と食べ、特定の樹皮や稚樹を食い荒らして、植生を根本から破壊してしまう。原生の森という到達点はもちろん、地域社会の営みを守るという目的から逆算すれば、命を奪うという苦渋の決断も、自然回復のための絶対的な前提条件となる。
再生とは、何もかもを無条件に守ることではない。何を残し、何に手を入れ、どこで線を引くか。知床の森づくりは、その現実と向き合う覚悟の連続なのである。

「20年ごとの中期計画」に基づき、1997年から始まった地道な歩みは一つの区切りを迎え、2018年に「第2次中期計画」へとバトンが渡された。新たな20年のテーマに掲げられたのは「森・川・人」である。木を植える段階から、森の多様性を高め、海へと繋がる川の生態系を取り戻し、それを次世代の「人」へ引き継ぐという壮大な総力戦だ。
森が育んだ養分は、川を経て海へと流れていく。そこで育ったサケやマスが川に遡上して、ヒグマなどの野生動物に恵みをもたらす。この海と森の一体感こそが、知床の本来の姿である。

かつて知床の川から姿を消し、第1次復元対象生物種に掲げられたサクラマスは、放流開始後も長らく回帰数が1桁台にとどまっていた。しかし、2005年の世界遺産登録を契機に、支流のダムなど河川工作物5基の改良が進み、遡上環境の一部が改善された。
放流の再開と地道なモニタリングの結果、2017年には簡易観測ながら初めて10尾を超える15尾の回帰を確認。専門家からは、流域全体では100尾規模で遡上している可能性や、川に適した遺伝的形質が整いつつある点が指摘されている。
こうした「森」と「川」の再生を力強く支え、未来へ繋ぐ上で欠かせないのが「人」である。しれとこ100平方メートル運動は、単に資金を集めるだけでなく、支援者が直接、知床の地で汗を流す仕組みを持っている。

毎年秋の「しれとこ森の集い(植樹祭)」では、寄付者と地元町民が一緒になって、百数十本単位の広葉樹や針葉樹を植え込んでいく。また、年2回行われる「森づくりワークキャンプ」では、全国から集まった参加者が4泊5日の合宿形式で寝食を共にし、苗木の移植や防鹿柵の設置といった作業に汗を流す。
一日の作業を終えた後、共に楽しむ温泉や食事は格別であり、参加者たちの絆を深める大切な時間となる。彼らが自らの手で土に触れ、祈るように植えた木々は、未来の森の礎として力強く根を張っていく。

さらに、次世代への継承として「知床自然教室」も行われている。全国から集まった小中高生が、電気もガスも水道もない環境で6泊7日の野外キャンプを経験する。圧倒的な不便さの中で自然の厳しさを知り、森づくりを肌で学んだひと夏の記憶は、運動を支える次世代の原動力として深く刻み込まれていく。

自然に支えられている町だからこそ、真剣に向き合う
自然再生へと注がれる、途方もない熱意とエネルギー。斜里町はなぜ、これほどまでに自然を守ることに真剣になれるのか。その答えは、斜里町の営みそのものに表れている。町の産業構造を見ると、この町がいかに自然の生態系に支えられているかがわかる。

第7次総合計画によれば、農業生産額は近年120億円を超え、観光消費額は約73億円から将来120億円への成長を見込む。斜里町 総務部環境課・生活環境係の村田 恭亮さんは「農業・漁業・観光業がそれぞれおよそ100億円規模で、この三本柱がほぼ拮抗して揃う町は珍しい」と説明する。

一次産業の担い手も観光事業者も、口を揃えて「自分たちは知床の自然の恵みを完全に享受している側だ」と言う。自然環境に生かされているという当事者意識は、職種を超え、町全体に共有されているのだ。
だからこそ、観光と環境保全の両立は容易ではない。たくさんの人に来てほしいが、施設のキャパシティを広げれば、それだけ自然に負荷がかかる。そこで町が出した答えは、単なる来訪者数(量)を追うのではなく、来た人に「何を持ち帰ってもらうか(質)」を追求することだった。
しれとこ100平方メートル運動での植樹に参加してもらう。クマと人間の境界線を守る活動「クマ活」に加わってもらう。消費するだけの観光から、学びを持ち帰る観光へ。「世界遺産を抱えているからこそ、伝えられるものがある」という確信が、その根底にある。

知床に来ないと体験できない「唯一無二の学び」を広めることが、町の強みになると考えています。
経済的な逆風により、観光需要が変化する局面においても「それでも知床には足を運ぶ価値がある」と、選ばれ続ける存在であることが重要です。
同時に、斜里に暮らす人々の生活環境を尊重し、単なる「消費型観光」に陥らない持続可能な地域づくりを推進します。
観光客に良質な学びを持ち帰ってもらうためには、現場の厳格な運用ルールと安全管理が欠かせない。年間約35万人が訪れる知床五湖では、2011年から「利用調整地区制度」を導入し、ヒグマの活動期には所定の研修を経た「登録引率者(ガイド)」の同行を義務付けている。
クマが何メートル先にいて、どちらへ動いているかを見極め、状況によっては後退してセンターと連絡を取り、進退を判断する。「事故だけは絶対に起こしたくない」という一念のもと、認定がなければ案内できない仕組みを作った。


こうしたルールの運用は、町単独で行われているわけではない。世界遺産地域は環境省、山や土地は林野庁や町有地と、権利関係は複雑に入り組んでいる。ヒグマの管理計画一つをとっても、どこか一つの機関が方針を押し通すのではなく、各団体が地道な話し合いを重ねて作り上げている。
2025年8月に羅臼岳で起きたヒグマによる死亡事故を受け、環境省が管理計画の改定と対策強化の方針を示したように、専門性の担保と関係機関の絶え間ない連携が、良質な自然体験の基盤となっている。

人と野生動物との境界管理は、観光の現場にとどまらず、住民の生活圏にも及んでいる。過去には、ポイ捨てされたごみや、昔ながらの魚の天日干しがヒグマを人里へ引き寄せ、結果として、そのヒグマを処分せざるを得ない悲劇を生んだ。現在ウトロ地域では、人間の生活圏を電気柵で囲い、物理的な境界線を明確に引いている。

観光地と生活圏の間には、目立たない摩擦もある。ホテルなどから出る事業系のごみは、一般廃棄物として町の処理場に入るため、処理費用には町民の税金が投入される。そのごみも、観光客が必ずしも分別ルールを熟知しているわけではない。
それでも町が持ちこたえられているのは、住民コミュニティの厚さゆえだ。小中学校の環境教育で育った若い世代や、知床の自然に憧れて移住してきた人々には、高い環境保全意識が根付いている。

画像出典:公益財団法人 知床自然アカデミー
さらに斜里町では、「世界遺産の街として一般的なごみ処理ではダメだろう」という誇りのもと、2012年頃からごみを焼却せず「燃料化」する先進的な処理を続けている。村田さんによると、一般的な自治体のリサイクル率(約30%)をはるかに超え、60〜70%を実現しているそうだ。
しかし近年、住民の地道な努力だけでは抗えない脅威が迫っている。気候変動による「海の変化」だ。かつて15年連続でサケ漁獲量日本一を誇った斜里町だが、近年はサケが激減し、カラフトマスに至っては絶滅を疑うほど姿を消した。代わりにブリなどの暖海性の魚が入り込む現状に、村田さんは危機感を募らせる。
海水温の1度上昇は、気温の10度上昇に匹敵するほど海洋生物に甚大な打撃を与える。頼みの綱であるサケの孵化事業も、親魚不足で受精卵の確保すらままならない状態だ。森づくりが100年の時間をかけて進む一方で、海の変化は人間の都合を待ってはくれない。

また、気候変動とは異なる「新たな脅威」も迫っている。顔の見えない外資企業が森や水源を買い占め、メガソーラーを建設する乱開発問題が、釧路など近隣地域で顕在化しつつある。斜里にとっても決して他人事ではなく、強い危機感を持って注視している課題だ。
他にも、観光の足となるレンタカーのEV化など「脱炭素」への取り組みも、充電スポットの不足や冬の厳しい寒さに阻まれ、抜本的な解決には至っていない。
知床ならではの価値を提供し、圧倒的な自然環境を守り抜く。その両立を受け入れる現場の努力は、住民の「気合」や「使命感」だけに頼っていては決して長続きしない。
この途方もない取り組みを未来へ繋ぐためには、その努力に対する正当な対価を稼げる仕組みを作り、経済的にも自立可能な枠組みを構築していくことが不可欠だ。それこそが、自然と共に生きる知床が向き合う、これからの課題である。

企業を「当事者」にする、研修という形の森づくり
知床の自然を守りながら、いかに経済的に自立可能な枠組みを作っていくのか。この課題に対するひとつのヒントが、「企業」との新しい関わり方にある。斜里町が進める再生の営みは、住民や観光客だけでなく、いまや企業をも「当事者」に変えつつある。
近年の企業連携の最大の特徴は、それが単なる資金的な「寄付」にとどまらず、企業側が公式に人材育成の場として位置づける「社員研修」へと深化を遂げている点にある。社員自身が現地へ足を運び、汗を流して自然と向き合うのである。
エアコンメーカーのダイキン工業は、「森は地球のエアコン」という理念のもと、2011年に斜里町・羅臼町・知床財団と協定を締結。寄付金の拠出に加え、社員ボランティアを公募で繰り返し知床へ送り込んできた。
社員たちは、初日に知床の開拓史と運動史を深く学んでから、防鹿柵づくりや植樹に臨む。彼らの支援は、河畔林の再生から河川環境の改善、さらには絶滅したカワウソの再導入調査など、生態系の根幹に関わる事業にまで及んでいる。

また、アウトドアブランドを擁するゴールドウインは、2019年に知床自然センター内へ「THE NORTH FACE / HELLY HANSEN 知床」の店舗を構え、2021年には斜里町と包括連携協定を結んだ。
社員やサプライヤー企業を対象に、生態系と運動史を学び、実際に運動地を歩いて広葉樹を植樹。さらには、「自社として知床のために、1年以内に何ができるか」を考えるグループワークまで行う。アウトドアという自然を舞台にする事業の責任を、現場で問い直している。

自動車メーカーのSUBARUは「一つのいのちプロジェクト」を通じて知床財団を支援。流氷をデザインしたパトロールカーを寄贈するだけでなく、本社や北海道SUBARUの社員たちが、春の森づくりに参加して植樹を体験している。
空気、アウトドア、自動車。三者三様に、自社の事業と知床の自然が決して無関係ではなく、地続きであることを、社員一人ひとりが現場で確かめている。ここで起きているのは、もはやCSRとしての単なる資金支援ではない。
防鹿柵を立て、重い苗を運び、葛藤に満ちた環境保全の現場に身体ごと向き合った社員たちは、日常に戻った後も、自分の言葉で知床の今を語り始める。その一人ひとりの語りが、新たな共感を呼んでいく。
企業にとって、知床は本質的な人材育成の舞台となる。同時に斜里町にとっては、資金支援の枠を超え、知床の未来を共に背負う「当事者」を次々と生み出す、希望に満ちた持続可能なシステムとなっているのだ。

「今、何ができるか」を問い続けること
流氷が運んでくる豊かな養分が海を育て、そこで育ったサケやマスが川を遡上して森の奥へと運ばれる。ヒグマやワシの命を繋ぎ、やがて土に還ってはまた森を肥やしていく。
知床連山を前に立つと、海・川・森を巡るこの命の循環の壮大さと、人間のちっぽけさを否応なく思い知らされる。何万年もかけて織り上げられてきた生態系の仕組みに対して、人ひとりの一生はあまりに短い。けれども皮肉なことに、ちっぽけな人間が一度無自覚に手を加えれば、その影響は自然の循環を根本から狂わせてしまう。

斜里町は、この事実の最前線に半世紀にわたって立ち続けてきた。常に「今の自分たちに何ができるか」を問い、絶え間なく手を動かしてきた。それでもなお、課題は山積みだ。
運動の立役者たちや寄付者の高齢化は進み、森づくりは「寄付」という前提の上で成り立つ構造でもある。気候変動による海の激変は、森づくりの100年を待ってはくれないし、野生動物と人間の生活圏の軋轢も、一朝一夕に解決するものではない。
外資による水脈の買い占めやメガソーラーの乱開発問題を含め、知床が直面している課題は、日本全国の、そして世界の環境問題の縮図そのものだ。
その圧倒的な現実を前に、私たちがすべきことは何だろうか。それは斜里町の人々が歩んできたのと同じように「今、自分に何ができるか」を問い続け、小さな一歩を踏み出すことだろう。寄付をする。植樹の現場に加わる。あるいは、知床で学んだ自然の脆さと尊さを誰かに伝える。
その一つひとつの行動は、ちっぽけかもしれない。けれど、人間のちっぽけな一手が自然を壊してしまうほどの力を持つのなら、その一手を「壊す側」ではなく、「再生する側」へと差し出すこともまた、できるはずだ。
取材協力:斜里町 総務部環境課 生活環境係
