北海道東部、知床半島の西側に位置するウトロ。この地域では古くから、カラフトマスやシロザケの定置網漁が行われてきた。しかし近年、海では鮭の不漁や獲れる魚種の変化といった問題が起きている。
この厳しい現実と最前線で向き合っているのが、圓子水産社長の圓子瑞樹(まるこみずき)さんだ。圓子さんは漁師でありながら、水産加工や飲食店、通販、冬の流氷ガイドといった仕事もこなし、多方面で活躍する人物だ。
獲るだけの漁業から、地域を支える漁業へ。これまでの圓子さんの決断や葛藤、試行錯誤の歩みから、一次産業と観光が連携し、地域の未来をつくるためのヒントを探る。

圓子瑞樹(まるこみずき)さん
30歳。知床・ウトロを拠点に漁師として海に出ながら、水産加工や飲食店を手がける圓子水産の代表を務め、流氷ウォークガイドとしても活動している。好きな魚介類はホッカイシマエビ。
全ての事業の土台は「自分は漁師である」こと

水産加工から飲食店、そして流氷ガイドまで。圓子さんの活動は多岐にわたるが、その中心には一貫して「自分は漁師である」という揺るぎない信念がある。
不漁で厳しい現在。それでも「漁師になって良かった」 | 圓子瑞樹さんの原点
─── 圓子さんは北見の高校を卒業後、一度は札幌の大学へ進学し、地元であるウトロを離れていますよね。その後、地元に戻って漁師になったのはなぜですか。
圓子さん:今振り返ると、それほど大それた理由ではないんです。当時は大学へ進んだものの、卒業後に何をしたいのか、具体的なイメージを持てていませんでした。そんなとき、地元で漁師になった友達が札幌へ遊びに来たんです。
漁師の友達は「仕事は本当にきつい」と言いながらも、どこか誇らしげに仕事の話を生き生きと語っていました。ほかの仕事に就いた友人たちよりも、圧倒的に楽しそうに見えたんです。それなら自分も地元に戻って漁師をやろうと、大学を中退し、漁師になりました。
最近は鮭が獲れず、先行きも決して明るくありません。それでも、今は漁師になって良かったと心から思っています。
漁業を最優先に、加工・飲食・観光へ事業を広げる

─── 現在、漁師の仕事に加えて飲食や水産加工、通販、流氷ガイドなど、幅広く事業を展開されていますよね。これほど多岐にわたる仕事の中で、優先順位やバランスはどのようにつけているのでしょうか。
圓子さん:全ての土台であり、一番最初に埋めるべきピースは「漁業」です。「自分は漁師である」という絶対的な前提のもとで他の全ての事業を組み立ててきましたし、そこは絶対にブレてはいけないと考えています。また、漁業は共同で経営している部分もあるため、私個人の都合だけで動かせるものではなく、自然と最優先になりますね。
─── 漁業を軸に据えた上で、水産加工や飲食店はどのようにつながっているのでしょうか。
圓子さん:圓子水産としては、まず「加工」からスタートし、その後に「飲食店」へと展開してきました。うちの飲食店で提供するメニューの多くは、自社で加工したものです。つまり、加工のラインが止まってしまうと飲食店も機能しなくなってしまう。ですから、まずは加工があり、その先に飲食店があるという優先順位で必死に回しています。
─── なるほど。では、冬に行われている流氷ガイドには、どのような位置づけがあるのですか。
圓子さん:冬の「流氷ガイド」を始めたのは、漁師になった最初の冬でした。ウトロでは流氷が来ると漁ができなくなるので、先輩に誘われて働き始めたんです。
それが、実際にやってみると本当に楽しくて。その後、一緒に働いていた仲間と独立し、今では2月と3月の流氷シーズンはこのガイド業に全力を注いでいます。
ウトロの海は冬になると流氷に覆われ、一切の漁ができなくなる。この「冬場に仕事がなくなる」という季節的な制約は、地域の漁業が長年抱えてきた切実な課題だ。
獲れる魚が変わっても、魚種を替えるだけでは町は続かない

ウトロの町は古くから、鮭の定置網漁によってその営みを支えてきた。しかし近年、その大切な鮭の不漁が続くなど、海に大きな変化が起きている。
─── 鮭の不漁は、ウトロにどのような影響を与えていますか。
圓子さん:ウトロは古くから鮭漁によって成り立ってきました。実は、鮭の豊凶というのは水産業だけの問題ではなく、この町の人口増減や世代構成にまで密接に関係しているんです。
鮭が大漁の年は若い人が地元へ戻って漁師になり、結婚して子どもが増えます。逆に不漁が続くと、働き口がなくなり若者が町から流出していきます。鮭の獲れ高が、まさに町の存続そのものに直結しているんです。
鮭が獲れれば仕事が生まれ、そこで暮らす人が増え、地域の商店やサービスを利用して町が潤う。つまり、鮭は漁業を起点として、町に暮らす人々の営み全てをつないでいるのだ。
圓子さんが「鮭の不漁」を単なる海の問題で終わらせず、町全体を揺るがす課題として捉えている理由はここにある。
増えたブリも鮭の代わりになるのは難しい
鮭の不漁が深刻化する一方で、近年の知床の海では獲れる魚の種類にも大きな変化が起きている。その代表例が「ブリ」だ。
─── 鮭に代わる魚として、近年漁獲量が増えているブリを活用することはできないのでしょうか。
圓子さん:確かに、近年はこの辺りでもブリが多く獲れるようになっています。ただ、ブリは鮭より大きく、単価も低いです。同じ売上をつくるには大量に扱う必要があり、冷凍庫の場所も取ります。保管にかかる電気代を考えても、小さくて単価の高い鮭の方が利益を出しやすいんです。
ブリだけで今の漁師の数や地域の人口を維持するのは難しいと思います。次の世代へどうつないでいくかは、まだ手探りですね。
魚の価値を高めても、市場が変わらなければ利益は増えない

─── 単に「獲れる魚が変わったから、別の魚を狙う」という単純な話ではないのですね。そうした厳しい状況の中で、どのようなことに取り組まれたのでしょうか。
圓子さん:少し前に、魚一匹一匹の付加価値を上げられないかという挑戦を始めました。たとえば、魚を締めて鮮度を保つ「活き締め」などによる価値の向上です。
しかし、これも漁師側が手間をかけて活き締めをしても、市場(競り)の中でその価値がしっかりと認められるような仕組みがなければ、結局は安く買い叩かれてしまいます。漁師の取り分は増えず、ただ手間が増えるだけになってしまうんです。
─── なるほど。魚の価値を高めても、買い手側が変わらなければ利益は増えないのですね。
圓子さん:はい。この業界で試行錯誤して気づいたのですが、市場の構造そのものを変え、バイヤー同士が競り合うような仕組みを作らなければ、根本的な解決にはならないという非常に深い課題が存在しています。
ただ逆に、もし魚の値段が釣り上がったとしても、加工会社の儲けがなくなって経営が成り立たなくなれば意味がありません。もし加工会社が潰れて無くなってしまったら、最終的に私たちの魚を買ってくれる人がいなくなってしまいますよね。
このパワーバランスが本当に絶妙で、どちらか一方だけが儲かるのではなく、お互いが共存できるバランスが不可欠なんです。
価値に見合った適正価格を追い求める一方で、自社の利益だけを追求すれば、巡り巡って自分の首を絞めることにもなりかねない。地域産業が生き残るためには、サプライチェーン全体を見渡す視点が求められる。
定置網に入るマグロ。漁獲枠と活用の壁
─── 鮭やブリ以外にも、獲れる魚は変わっていますか。
圓子さん:フグやマグロが網に入るようになりました。特にマグロは鮭の定置網に一緒に入ってくるのですが、資源管理のための漁獲枠があるため、枠を超えた分は海に放流しなければなりません。せっかく網に入った魚を利用できないのは、とてももどかしいです。
─── それは非常にもったいないですね。
圓子さん:そうなんです。ただ、これだけマグロが増えているので、いずれは漁獲枠の規制も緩和されていくのではないかと考えています。今後、そのマグロをどうやって価値のある料理に変えていくかが、私たちの新たな課題ですね。
加工と飲食への展開が地域を支える

加工した商品を販売する手段として、圓子水産では現在、店舗と並行して通販にも取り組んでいる。しかし、自社商品を全国へ展開する道のりには、スモールビジネスならではの壁があったそうだ。
─── 店舗と並行して通販も手がけられているとのことですが、そちらの展開はどのように進めてきたのでしょうか。
圓子さん:もともとは通販のために、SNSでの発信に力を入れていました。ただ、SNSでは私自身が常に表に立つ必要があり、漁師の仕事との両立に難しさを感じていたんです。
会社や製品そのものに注目が集まる形を目指していましたが、実際には私が前に出る方が、売上の立ち上がりは圧倒的に早かった。それでも、個人の発信力に頼り続ける方法は持続可能ではないと考え、広告を活用して商品自体を届ける仕組みづくりに力を入れることにしました。
全国展開を急がず、ウトロの飲食需要に向き合う
─── 社長個人の発信力に依存する状態から、仕組み化を目指したのですね。
圓子さん:はい。ただ、広告を活用して売上を伸ばすには、大量の注文を処理し、商品を保管するための大型冷凍庫が必要です。設備を建て替えるには多額の資金がかかるため、現段階では、そこにあまりリソースを割くべきではないと考えています。
広告の仕組みだけを整えても、注文を受け止める設備がなければ通販は拡大できない。圓子さんは会社の規模と投資負担を見極め、事業の優先順位を定めた。そして次に力を注いだのが、すでに地元で需要をつかんでいた飲食業である。
─── 次の成長の軸に、飲食業を選んだのはなぜですか。
圓子さん:通販は、設備や広告に投資しても、売上が伸びるまでに時間がかかります。そのため、自分が思い描くスピードで会社を成長させるのは難しいと判断したんです。
一方、飲食業であれば、全国ではなく「ウトロ」という地域の中で、他店との違いを打ち出せます。すでに一定の手応えを感じていたこともあり、力を注いだ結果、今では多い日には1日300人以上のお客様に来ていただけるようになりました。

─── 1日に300人も来店されるのですね。この近くには他にも飲食店は多いのですか?
圓子さん:実は、少し前までのウトロは、夜に旅行者が食事できるお店が本当に少なく、観光地として非常に大きなデメリットでした。ただ、最近は新規参入のお店が増えて、選択肢も広がっています。
実を言うと、その分うちの売上は少し下がってしまったのですが。それでも、観光客の方がスムーズにご飯を食べられるようになるのは、地域全体にとって良いことだと感じています。
夏と冬の仕事をつなぎ、雇用を生み出す

観光産業や一次産業において、季節による繁閑の差は避けて通れない。必然的に季節労働が多くなるこの地域において、一年中安定して働ける場所を生み出すことは、町に人を呼び込み、定着させるための極めて重要な課題だ。
─── 飲食と加工を組み合わせたことで、雇用にも変化はありましたか。
圓子さん:飲食店のピークである夏に合わせて人を雇うと、冬の人件費で会社が維持できなくなってしまいます。ただ、うちの場合は水産加工があり、12月のお歳暮シーズンは非常に忙しくなります。そのため夏は飲食、冬は加工という形で、人員と売上のバランスが取れるようになりました。
これは実は狙ってやったわけではなくて、たまたまだったのですが。結果として、スタッフが両方の仕事を担ってくれるようになり、ほぼ全員を通年の正社員として雇用できるようになりました。
観光は、漁師と旅行者が対等に交わる接点になる

海が流氷に覆われ、漁ができなくなる冬のウトロ。圓子水産が水産加工の繁忙期を迎える一方で、圓子さん自身がもう一つ情熱を注いでいる冬の仕事がある。
それが、圓子さんと台湾人ガイドの藍屏芳さん、そして知床の漁師たちで行う「LANTOKO 流氷遊ウォーク(流氷ガイド)」だ。
現役漁師の生の声が、流氷ウォークの価値を高める
─── 現役の漁師が流氷を案内することには、どのような意味があると感じていますか。
圓子さん:私たちはプロのガイドのような説明はできませんが、現役の漁師だからこそ、流氷の上で海のリアルな状況を語れます。
また、普段は旅行者と接する機会がないため、漁師が自分たちの仕事について語る場は新鮮ですし、楽しさも感じています。旅行者にとっても、めったにない漁師の生の声を聞ける機会になっているのではないでしょうか。
自己満足かもしれませんが、お客様にとっても私たちにとっても、「ウィンウィン」な関係になっていたらうれしいですね。
流氷を楽しむだけでなく、その海で働く人の暮らしや課題に触れる。意図して設計されたものではなくても、対話を通じて旅行者と地域が互いを知り、理解を深めていく時間は「リジェネラティブな旅」の一つのあり方を体現している。
観光との連携には、漁師の意識にも変化が必要
─── 観光事業者と一次産業(漁師)が連携してツアーなどを企画する際、どのような点に気をつけてほしい、または課題だと感じますか。
圓子さん:一番の課題は「漁師側のスタンスやマインド」だと思っています。こうしたツアーが企画される場合、観光事業者が漁師にお願いをして、漁師がそれを承諾するという構図になりがちです。
しかし、その時点で漁師が「見せてやっている」というスタンスになってしまう可能性があり、「頼む側」と「見せてあげる側」という関係が生まれてしまうのは、よくないなと感じています。
漁業という日常の営みを「体験」として旅行者に提供することは、漁師にとって貴重な新しい収入源となり得る。漁業だけで生活を維持できなくなるリスクが現実味を帯びる中、漁師自身が別の稼ぎ口を確保しておく意義は極めて大きい。
だからこそ、観光事業者からの提案に対して受け身や上からのスタンスではなく、双方が対等な立場で協力し、共に新たな事業を創り上げていく関係性が重要だと、圓子さんは指摘する。

─── 圓子さんと同年代の若い漁師さんであれば、そうした観光連携などの新しい取り組みへの抵抗感は少ないのでしょうか。
圓子さん:比較的、抵抗は少ないと思います。ただ「いいね」と思っていても、それを実際に動かす実行力や、やり切る力がないため、実現に至らないことが多いんです。
最近は少しずつ新しい動きをする人が増えてきましたが、まだ「いいね」で終わらせず、最後までやり切る力が問われていますね。
理想論では変わらない。まず地域で力を蓄える

漁を終え、他の漁師たちが帰宅して体を休める中、圓子さんに休む間はない。
すぐに店舗へ移動して夜10時頃まで働き、帰宅して短い睡眠をとり、翌朝5時にはまた海へ向かう。そんな限界ギリギリの日々をこなす中、多角化した事業を地域に根付かせるためには、圓子さん一人の体力に頼るフェーズからの脱却が不可欠だった。
「働く場所」を整えた彼が次に見据えているのは、スタッフの「住まい」までを包括する、地域の基盤づくりである。
一人で抱えた創業期から、人に任せられる組織へ
─── 創業期には、どのような苦労がありましたか。
圓子さん:最初は加工、情報発信、受注、発送まで、本当に全てを一人でやっていました。睡眠時間がほとんどなく、どうやってあの時期を乗り切ったのか、自分でも不思議なくらいです。
ただ、起業したときから「30歳までに現場の実務を人に任せ、自分は組織を回す側へ移る」と決めていました。今は店舗の日常業務も、スタッフが主体的に回せるようになっています。みんなが成長して頼もしくなっていくのを見ることが、今は一番うれしいですね。
「誰かがやらないと」。古い構造を変える挑戦は長期戦で

─── 水産業の古い構造を変えたいという当初の目標には、現在どう向き合っていますか。
圓子さん:深く関われば関わるほど、その構造の根深さが見えてきました。今の自分の力だけでは到底解決できません。ですから、今は大きな野望には一度蓋をして、まずは目の前の事業を続け、会社としての力を蓄える時期だと思っています。理想論を語るだけでは、古い構造は変わりませんから。
正直、漁が終わったあとにみんなが休んでいるのを見て、羨ましく思うこともあります。でも、みんなが休んで誰も動かなければ、何も良い方向へ進みません。「誰かがやらないといけない」と思って頑張っています。
働く場所の次は、「住む場所」を自分たちでつくる
事業を拡大し、新たな雇用を生み出そうとする圓子さんの前に立ちはだかったのは、ウトロにおける「住居不足」という深刻な課題だった。
夏の繁忙期に外部から働き手を呼びたくても、町内に空きアパートが全くない。そんな状況の中、今年は古いアパートをなんとか1軒借り上げることができたという。
圓子さん:アパートを1軒借りて人を呼べたのは進歩ですが、それだけでは今後、新たに人を呼ぶための住まいが足りません。ですので、自社寮のようなものをつくることが直近の大きな目標です。町にアパート自体がないのなら、もう自分たちでつくるしかありません。今度は不動産業ですね。
─── 課題を解決するために、事業の領域がどんどん広がっていきますね。
圓子さん:地域の課題を一つずつ紐解いていくと、どうしても一番のボトルネックである「住む場所」に突き当たってしまいます。費用というハードルはありますが、なんとか解決したいです。
働く場所をつくっても、暮らす場所がなければ人は定着できない。「今度は不動産業をやる」と圓子さんは笑って話すが、その言葉の裏には、地域の未来を誰かに委ねるのではなく、自らの手で切り拓いていくという静かで強い覚悟がにじんでいる。
手段は何でもいい。地域課題を解決し、ウトロの未来をつくる

水産加工から始まり、飲食業、流氷ガイド、そして住環境の整備へ。次々と事業の幅を広げる圓子さんだが、その根底にある思いは創業時から一度もブレていない。
─── 水産、飲食、観光と活動が広がる中で、変わらない目標は何でしょうか。
圓子さん:一番大きなビジョンは、手段を問わず「ウトロの町の持続と、より良い町づくりに貢献すること」です。
最初は水産業しか見えていませんでしたが、飲食店が足りないという課題に向き合ったとき、自分たちにも地域のためにできることがあると気づきました。
だから、水産でも、飲食でも、不動産でも、手段は何でもいいんです。ブレない軸は「この地域にとってプラスになる方向で何かを仕掛ける」ことですね。
海と市場の変化、雇用、そして住まい。圓子さんの事業は、今も地域が抱えるリアルな課題と向き合う途上にある。
目の前にある地域の困りごとから目を背けず、自らの手で泥臭く「事業」として解き明かしていくこと。手段を問わないその着実な歩みこそが、圓子さんのいう「地域にとってプラスになる方向」へと進む、確かな一歩になる。
