提供:FC今治高等学校 里山校
YouTubeを開けば一流の講義が無料で見られ、AIに問いかければ、教科書より丁寧な解説が返ってくる。学びのインフラが場所を選ばなくなった今、それでも学校に通う意味はどこにあるのだろうか。そうした問いを抱えながらも、学校という場所に可能性を見出し、実践を重ねている人たちがいる。
2024年4月、愛媛県今治市に開校した「学校法人今治明徳学園 FC今治高等学校 里山校(以下、FCI 里山校)」だ。同校は「街全体がキャンパス」を掲げ、地域の企業や自然環境を学びの場とする私立高校であり、設立には元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが深く関わっている。

岡田さんとともにFCI 里山校の立ち上げから携わっているのが、辻 正太校長だ。辻校長は、日本の若者が他国に比べ、将来に夢を持っている割合も低いことを指摘する。
日本財団の「18歳意識調査」によれば、「自分の行動で国や社会を変えられる」と思う日本の若者は46%、「自国の将来が良くなる」と答えた割合は15%と、ともに調査対象6カ国中で最下位となっている。(*1)

以前、体育の教員として現場に立っていた辻校長は、生徒たちが「自分の人生は自分で動かせる」という感覚を持てていないことに気づいた。既存の教育は正解を与え、枠の中に収めようとする。その構造の中で、生徒たちはやがて自分で考え、動き出す感覚を手放していく。「教育を受ければ受けるほど、人生のオーナーシップを失っていくのではないか」。そこで辻校長は、地域を学びの場として若者の主体性を育む「街の学校」を青森県で立ち上げ、その実践の中で岡田さんと出会った。
一方、40年以上にわたり環境問題と向き合ってきた岡田さんは、「安心・安全・便利・快適」な環境だけを求めてきた結果、子どもたちが困難に向き合う機会を大人が奪ってしまったのではないかと危惧する。だからこそ、まずは子どもたちが主体的に動ける環境を整えることが重要だ。半分は失敗するかもしれないが、そこから学ぶものは多い。岡田さんが「エラー&ラーン」と呼ぶこの考え方が、FCI 里山校の教育思想の根幹をなしている。
また、時代の変化も、FCI 里山校の教育思想を後押しする。AIの進化により、知識の検索・整理・要約といった認知的な作業の多くは、人間よりも精度高くこなせるようになった。知識を詰め込むことを主眼とした教育は今や、その意味を問い直されている。
では、AIには何ができないのか。それは、身体で感じること、他者と同じ時間・場所で温度を共有すること、そして、失敗の痛みを引き受けながら次の一手を考えることである。FCI 里山校が野外での体験や地域との関わりを重視し、「街全体をキャンパス」とする理由はそこにある 。

高校生たちの挑戦が、地域を循環させる
FCI 里山校の教室は、建物の中だけにはとどまらない。1年生の後期に実施される「企業ゼミ」では、生徒が地域の企業に入り込み、実際の課題解決に取り組む。教室で学んだ知識を現場で試すのではなく、現場そのものが学びの起点となるのだ。
ここで大切にされているのが「挑戦の好循環」である。誰かが挑戦し、その結果を共有することで次の挑戦者が生まれる。その文化が学校の内側にとどまらず、地域へと伝播していく。この広がりはすでに現れており、地元の県立高校の生徒を巻き込んで共に起業する動きが生まれたほか、あるプログラムではコスト106万円に対して約990万円の社会的便益(SROI)を生んだという、明治大学の研究結果も出ている。
商店街に誕生した店舗も、その成果の一端だ。1階が駄菓子屋と子どもの遊び場、2階がコワーキングスペースとなっているこの場所は、生徒たちが自らクラウドファンディングで資金を集め作り上げた。こうした実績の積み重ねが、地域からの「一緒に何かしたい」という声に繋がっている。

FCI 里山校には、教室を飛び出すどころか、県境を越える学びがある。1年次の「四国お遍路チャレンジウォーク」では、約120kmの道のりを5泊6日かけて歩き抜く。2年次には新潟・妙高高原の雪原へと舞台を移し、コンパスと地図だけを頼りに進み、自ら掘ったマイナス3、4度の雪洞で一夜を過ごす。

辻校長が最も成長を感じるのは、極限状態の中で、生徒が「辛い」と言えるようになる瞬間だという。弱音を吐けないことは、時にチームを危険にさらす。他者に助けを求め、他者の変化に気づくようになるその変容に、「生きる力」が現れる。
また、お遍路道中で出会う見返りを求めない「お接待」の文化や、圧倒的な自然の前で感じる人間の小ささ、他者のありがたみなど、生徒たちは身体を通して関係性の原型を学んでいく。

FCI 里山校の教室を訪れると、黒板にある生徒の目標がチョークで力強く書かれていた。その熱意の余白には、「みんなで支える」という見えない空気を感じた。廊下に目をやると、「やりたいこと掲示板」や「ありがとう掲示板」に手書きの言葉が無数に重なっていた。
そこにあったのは、画面上のテキストでは得られない「言葉が生まれた場所に自分も立ち会っている」という生々しい感覚だ。暑さも寒さも、諦めかけた瞬間の弱音も、踏ん張った意地も。彼らは同じ時間と場所で、同じ温度を共有しながら生きている。情報はデジタルで瞬時に届く時代にあって、熱量は場所と身体を介してしか伝わらないのだと、強く気付かされた。


「どうしたいの?」と問い続ける
FCI 里山校では、教員を「コーチ」と呼ぶ。コーチの役割は「教える」ことではなく、「共に学ぶ仲間」として生徒の傍らにいることだ。
自由な学びを尊重するFCI 里山校にも、校則はある。ただしそれは「命に関わることをしない」「法律に触れることをしない」「人の成長を邪魔しない」という必要最低限の3つだけだ。それ以外は、生徒たちが自分たちで折り合いをつけながらやっていく。人の学びを邪魔しなければ、生徒は自由にのびのびと学ぶことが尊重される。お菓子やジュースを手に授業を受ける生徒もいれば、教室の床にパソコンを広げる生徒もいる。一般的な学校からは想像もつかないほど、自由な学びの形がそこにある。

「人の成長を邪魔しない」という校則を体現するように、コーチ陣が徹底しているのは3つの問いかけだ。「どうしたの?」「どうしたいの?」「何かコーチに手伝えることある?」。コーチは答えを与えず、生徒自身が動き出すのをただ待つ。
開校当初、規則のない学校生活は自由がゆえに、時に秩序を乱すこともあった。そんな環境に対し、生徒たちは学校側に不満を持ち込むだけだった。しかしコーチたちは決して答えを提示しない。
「それで、どうしたいの?」と問い、待ち続ける姿勢を貫くと、「文句を言うだけでは、大人は動かない」と気づいた生徒たちは、やがてプレゼン資料を作って相談に来るようになった。「ここまで考えて、こういう失敗もしたけれど、次の一歩が進まない。どうしたらいいか相談に乗ってほしい」というように、相談の質が劇的に変わったという。

待つということは、相手を信じることだ。心理的な安全性が確保されて初めて、子どもたちは新しい環境に飛び込める。
そして、その「答えない」もどかしさは、何も生徒だけのものではない。コーチ側にも相応の忍耐力が求められる日々を、辻校長は「我慢比べ」と表現する。たとえ失敗しそうに見えても、手を出さない。やってみなければ本当に失敗するかわからない上に、仮に失敗したとしても、それを「失敗」と捉えるかどうかは本人次第である。
最も印象的だったのは、ビーチバレーコートをめぐる出来事だ。ある生徒が「ビーチコートをつくりたい」と発案し、クラウドファンディングに挑戦したものの、目標額には届かなかった。通常であれば、必要な資金が集まらなかった時点で計画を断念してしまうケースが多いだろう。

しかし、生徒は自ら地域の建設会社や造園業者を口説いて回り、クラウドファンディングで集めた金額を上回る、通常であれば約1,000万円の建設費がかかるコートを完成させた。失敗を起点に、生徒自身が地域を動かした。もし大人が最初から助けていたら、こうした周囲を巻き込む力は育たなかっただろう。
この「手出し口出しはしない」スタンスは保護者にも明言され、学校自身のエラーも包み隠さず開示されている。「校長2年目の告白」と題したイベントはその象徴だ。開示によって信頼が増したという声がある一方、合わないと感じて離れていった家庭もあった。それでも辻校長は開示をやめない。学校自身がエラーをさらけ出し、そこから学ぶ姿勢を示すことも、エラー&ラーンの実践だからだ。
学び続ける大人が傍らにいることで、生徒は大人になることへの希望を持てる。コーチが生徒たちに届けたいのは、「大人になるって悪くない」という姿だ。

今治から、日本全国の教室へ
辻校長は「FCIだけが良くなっても意味がない」と、エラー&ラーンの文化を広く外へ発信していく考えだ。具体的な取り組みとして、スタンフォード大学のオンラインプログラム「Stanford SPICE」の受講枠を企業からの寄付により30名分確保し、うち10名分を地域の県立高校の生徒に無償で提供した。
そこで繋がった他校の生徒と共に、商店街に店を出したり、探究学習の塾を起業したりする動きが生まれている。FCI里山校の実践は、確実に外へ波及し始めている。
2027年3月には、FCI 里山校初めての卒業生が出る。辻校長が可視化したいのは進学実績だけではない。この3年間で生徒がどう育ったのか、その変容を丁寧に記録し、発信していくことが、地域の他校や公立学校への理解につながると考えている。
学校の規模が大きくなるほど、個々の生徒と向き合うコーチのスタンスや学校文化を維持することは難しくなる。それでも、240名規模で実践を続けられるなら、特別な環境や条件がなくとも再現できるモデルだという可能性がある。FCI里山校の実践は、今治の一校の試みにとどまらず、日本の教育全体への問いかけになりつつある。

FCI 里山校が掲げる「街全体がキャンパス」とは、学校が街を一方的に消費することではない。企業が現場を開き、地域の人々が機会を提供して初めて、生徒たちは社会の中で学ぶことができる。地域と学校が共に学びの場を作ってこそ、この言葉は真の実態を持つ。

だからこそ、辻校長は「高校生のために何かをしてあげるのではなく、高校生と共に地域を作りたい」と語り、支援者ではなくパートナーとしての関係を求めている。
高校生が企業の現場に入り、課題に向き合い、商店街を動かす。その過程で生まれるのは、単なるプロジェクトの成果にとどまらない。「自分たちの手で社会は変えられる」という実感を持った若者が育つこと。それは教育であると同時に、地域経済の未来そのものだ。企業が現場を開くことは、地域の未来への投資に他ならない。

冒頭の問いに戻ろう。学校に通う意味はどこにあるのか。
FCI里山校が示しているのは、学校とは知識を受け取る場所ではなく、同じ時間・場所・温度を共有しながら、社会を動かす手応えを身体で育む場所だということだ。その感覚は、決して教室の中だけでは育たない。
教室を飛び出し、身体を動かし、失敗を重ねながら社会と関わる。その経験の積み重ねが、生徒たちに人生のオーナーシップを取り戻させる。やがて地域の担い手として社会に出る彼らが、「自分たちの手でこの場所を動かせる」という感覚を持ち続けたとき、地域の景色は少しずつ変わっていくはずだ。
場所が人を育て、人が場所を育てる。その循環の中に地域の未来があるのなら、今この瞬間に高校生と共に何かを作ることは、遠い将来に向けた確かな種まきとなるだろう。

辻 正太(つじ しょうた)さん
FC今治高校 里山校 校長
東京大学教育学部卒業後、埼玉県の中高一貫校に11年間勤務。新しい学びの形を模索するため、2016年に青森県弘前市へ移住し起業。コ・ラーニングスペース「HLS弘前」の運営など、多角的な視点から人材育成に取り組む。株式会社まちなかキャンパスを務め、2024年4月より現職(FC今治高校 里山校 校長)に就任。
取材協力:FC 今治高等学校 里山校
