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流域全体で考える、ランドスケープアプローチ。防災と保全の未来

2026 9/18
取材
ランドスケープアプローチ 企業事例 取材 気候変動 流域治水 生物多様性
2026-8-272026-9-18
佐事 美咲
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地下水をはじめとする豊かな水資源に恵まれ、「水の都」として親しまれる熊本。2026年、この地で「グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット2026」が開催された。

年々激しさを増す自然災害と、急速に失われつつある生物多様性。いま私たちが直面している地球規模の課題に対し、「自然の劣化を止め、豊かな状態へと回復させよう(ネイチャーポジティブ)」という共通の目標のもと、世界中の企業、行政、研究者、そして市民のリーダーたちが一堂に会した。

開催地として熊本が選ばれたのには、大きな理由がある。2016年の熊本地震や、近年相次ぐ豪雨災害を乗り越えてきた熊本は、自然の猛威と豊かな恵みの双方を、どこよりも深く肌で知る地域だからだ。

サミットが目指したのは、自然を単に「保護対象として守る」というこれまでの姿勢から一歩踏み出し、自然そのものを社会や経済を足元から支える「不可欠なインフラ」として能動的に活かしていくこと。そんな大きなパラダイムシフトを、熊本から世界へ届けるという強い想いが込められている。

本稿では、サミット内で行われた分科会「流域で進めるランドスケープアプローチ:流域治水による保全と減災の金融への訴求」に光を当てる。

自然の力を取り入れ、災害が起きてもしなやかに乗り越えられる「レジリエントな社会」をどのように築いていくのか。その具体的なヒントを紐解いていきたい。

一本の川を「面」で捉える、ランドスケープアプローチ

サミットで大きな焦点となったのは、気候変動や人間活動による「自然の劣化」が、もはや単なる環境問題の枠を超え、私たちの社会や経済の安定そのものを足元から揺るがしているという現実だ。

特に川の周辺エリア(流域)では、豪雨による洪水被害が毎年のように激しさを増し、頻発している。これまで頼りにしてきたダムやコンクリート護岸といった人工の防災設備、いわゆる「グレーインフラ」だけに頼る治水には、明らかな限界が見え始めてきた。

そこで今、強い注目を集めているのが「ランドスケープアプローチ」という考え方だ。これは、河川という一本の「線」や特定の「点」だけで捉えるのではなく、水が流れる上流の森林から、中流の農地や都市、そして下流の河口や海に至るまで、流域全体をひとつの大きな「つながり」として包括的に捉える手法である。

画像出典:環境省

この自然のつながりを再生し、森林や土壌が本来備えている「水をたっぷり蓄え、時間をかけてゆっくり流す」というクッションのような機能を最大限に引き出すこと。それこそが、命や暮らしを守る「防災」と、生き物たちの家を守る「生態系保全」を同時に実現するための、大きな鍵となる。

では、この「自然の力を活かす」というアプローチは、実際の社会でどのように動いているのだろうか。これは決して行政や研究者だけの理想論ではなく、いまや自らの事業を守り抜く「生存戦略」として、民間企業もこの流域保全に深く踏み出し始めている。

飲料メーカーにとって、水は単なる原材料のひとつにとどまらない。日本コカ・コーラで広報・パブリックアフェアーズ&サスティナビリティー推進本部の副社長を務める田中 美代子氏は、「水は事業そのものを支える、命綱とも言える最も重要な資源だ」と断言する。

同社が展開する400種類以上もの製品、そのすべてに使われているのが「水」である。気候変動による洪水や干ばつによってその調達が脅かされることは、ビジネスそのものが立ちゆかなくなる直接的なリスクにほかならない。

このリスクに挑むため、コカ・コーラ財団は世界130カ国以上で累計約2,700億円規模の支援を行ってきた。特筆すべきは、その活動資金の約40%という大きな割合が「流域の保全」に注がれている点だ。

たとえば、同社が欧州のドナウ川流域で手がけたプロジェクトでは、過去の都市開発によって失われていた湿地や氾濫源(増水した水をやさしく受け止める遊水地)を、水を蓄える「自然のインフラ」として蘇らせた。

その結果、東京ドーム約1,000個分に相当する5,000ヘクタールもの流域が本来の姿を取り戻し、年間約14万人分の生活用水に相当する、豊かな貯水能力が復活したという。

日本国内でも、地域に密着した取り組みが進んでいる。有明海へと注ぐ流域での淡水生態系の保全や、宮城県南三陸町における放置林の再生を通じた土砂災害リスクの軽減などは、その代表例だ。

自然を守ることが、巡り巡って地域の安全や暮らしを守り、巡り巡って企業の持続可能性を強固にする。まさに、経済的な合理性に基づいた「戦略的な投資」なのである。

生物多様性の危機、「減災」で見直される価値

環境危機の深刻さは、数字を見れば一目瞭然だ。WWFジャパン事務局長の東梅 貞義氏は、世界の淡水にすむ生き物が、過去50年間で約80%も減少したという衝撃的なデータを提示した。

日本も決して例外ではなく、国内の淡水魚のうち、実に42%が絶滅の危機に瀕している。その大きな原因となったのが、かつて優先された治水や農業開発だ。

川をコンクリートで固め、水路を一直線に整えたことで、生き物が身を隠す場所や産卵のために移動するルートが遮断されてしまったのである。

こうした危機に対し、分科会では「安全(減災)を取るか、自然(生物多様性)を取るか」という従来の二者択一を打破する議論が交わされた。両者を対立させるのではなく、お互いを高め合う「相乗効果」を生み出すものとして再定義しようという提案だ。

その具体的な答えとして大きな注目を集めたのが、日本で古くから用いられてきた「石積み」の護岸技術である。

筑後川流域で行われた共同研究によると、伝統的な石積み護岸は、滑らかなコンクリート護岸に比べて、水生昆虫の種類が圧倒的に豊富であることが実証された。

石と石の隙間が、小さな命の格好の隠れ家になるだけでなく、表面の不揃いな凹凸が激流の勢いを殺し、水のパワーを削ぐという高い減災効果も併せ持つ。

そして、もうひとつの優れた事例が、人口減少に伴い全国で増え続ける「耕作放棄地」の活用だ。使われなくなった田んぼに再び水を引き入れ、「田んぼダム」として整備することで、大雨の際に一時的に雨水を溜め込み、下流が一気に増水するリスクを和らげることができる。

また、この取り組みを行った地域では、九州に生息するカエル10種のうち9種もの生息が確認されたという。この成果について、九州大学の林 博徳准教授は「単なる数値の記録にとどまらない、五感で感じる体験」の重要性を強調する。

「カエルが9種類復元された」という数値データは、客観的な事実を示すうえで欠かせない。しかし、再生された田んぼに直接立ち、現れたカエルたちに触れて「こんなにも違いがあるのか」と心を動かされる体験には、数値だけでは決して捉えきれない学びがある。

だが、こうした五感を通じた体験価値は、数値データへと還元する過程で削ぎ落とされてしまう。本来、人間の五感は私たちが自覚している以上に鋭く、多くの人は現場で直接感じる質感や気配、リアルな感覚によって物事の真の価値を捉えているはずだ。

だからこそ、単に科学的なデータを示すにとどまらず、人間の五感に強く訴えかける体験型のアプローチこそが、治水や環境保全への関心を高め、本質的な理解を深める鍵になる。

流域治水やネイチャーポジティブを実装する上で最大の難関は、行政、企業、農家、市民といった多様な主体の合意形成にある。林准教授は、単なる「数値データ」の提示だけでは人は動かないと指摘する。

たとえば、河川改修をめぐり「コンクリートで護岸してほしい」と願う住民と、「自然な姿を残したい」と願う住民が対立することがある。

しかし、コンクリートを望む住民の本質的な願いが「子どもたちが安全に遊べること」であるならば、両者は「子どもたちのための安全で豊かな川づくり」という共通のゴールを見出すことができるはずだ。

表面的な「意見」をぶつけ合うのではなく、その背後にある「困りごと」を丁寧に紐解き、解決策として自然の機能を組み込んでいくこと。そして、自然の心地よさを捉える「五感」に訴えかけるアプローチこそが、流域への関心と誇りを育む鍵となる。

自然劣化がもたらす物理的・システム的金融リスク

自然の力を活用した解決策(NbS:ネイチャーベースソリューション)を社会の「当たり前」にするためには、資金の流れそのものを変える必要がある。

東京海上ホールディングスでソリューション事業部ジェネラルマネージャーを務める小野高宏氏は、激甚化する自然災害について、「保険金の支払い急増が保険業界のビジネスモデルを揺るがす、持続可能性への重大な脅威だ」と警鐘を鳴らす。

自然の劣化は、金融システムに対して以下のような多層的リスクをもたらす。

  1. 物理的リスク(短期的): 森林の保水力低下に伴う洪水被害の拡大が、保険金支払いの急増や保険料の上昇を引き起こし、社会全体のコスト増につながる。
  2. システム的リスク(中長期的): 自然資本に依存する飲料・食品メーカーなどの企業価値が低下し、金融機関の投融資ポートフォリオ全体を毀損する。

こうしたリスクに立ち向かうため、同社はマングローブ植林を26年間にわたり継続するなど、自然を「将来への投資、あるいは保険」と位置づけて積極的に資金を投じてきた。

さらに、自治体が発行する「レジリエンス債」を金融機関が引き受け、地域の防災事業を資金面から支援する仕組みも稼働し始めている。

さらに、建設コンサルタント最大手のID&Eホールディングスと東京海上グループが経営統合したことは、「金融」と「技術」の融合を加速させる象徴的な出来事である。

デジタル技術やNbSの知見と、金融のスキームを掛け合わせることで、流域全体の価値を高める新たなビジネスモデルが生まれつつある。

コレクティブ・アクションで切り拓く持続可能な未来

本分科会の締めくくりとして、流域に関わるすべての主体が一体となって取り組む「コレクティブ・アクション(共同行動)」の重要性が再確認された。

その基盤となるのが、日本コカ・コーラも参画する「JWS(日本版アライアンス・フォー・ウォーター・スチュワードシップ)」のようなプラットフォームである。

流域全体を見渡し、社会・環境・経済のバランスを保ちながら、責任ある水管理を推進する。この新しいルール作りと実践こそが、気候変動時代の生存戦略となる。

自然を再生することが、地域のレジリエンスを高め、経済を活性化させる。熊本でのサミットが示したこのビジョンは、流域という単位から、持続可能な未来への道筋を照らしている。

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