画像提供:北こぶしリゾート
今年も、クマの出没が各地で相次いでいる。農作物への被害、住宅街への立ち入り、痛ましい人身事故。本州ではツキノワグマが、北海道ではヒグマが、それぞれ人間の生活圏との境界を越え、メディアはその都度「危険」「脅威」という言葉を並べ、世論は対策を求める声で満たされていく。
クマは大きく、速く、力強い。クマを怖いと思うのは、人間として当然の感覚だと思う。ただ、その「怖い」という感情が、いつの間にか「敵意」へと変換されていくことに違和感を覚えてきた。
ただ排除するのではなく、互いのテリトリーを尊重し、適切な距離を保ちながら共存していく道はないのだろうか。その答えを探るべく、今年6月、筆者は北海道・知床半島のウトロを訪れた。目的は、北こぶしリゾートが主催する「クマ活」への参加だ。ヒグマとの共存を目指すその活動内容は、意外にも「草刈り」である。

開催地である知床は北海道東部、オホーツク海に突き出した半島で、豊かな生態系が評価され、2005年にユネスコの世界自然遺産に登録されたエリアだ。公益財団法人 知床財団によると、知床半島には現在、推定400〜500頭のヒグマが生息しているとされ、世界有数の高密度生息地とされている。年間の目撃件数はおよそ1,000件にものぼり、2023年は例年の2倍、2026年は3月〜6月だけで200件を超えた。知床は、ヒグマと人間が最も近い距離で暮らす場所の一つである。

そんな知床・ウトロの町で開催される「クマ活」は、ヒグマが市街地へ踏み込まない環境を整えるために草を刈り、ごみを拾う活動である。ヒグマの生息地と地続きのウトロでは、生い茂った草やぶに紛れ込み、そのまま市街地へと入り込んでくるヒグマも多い。そのため、背丈の高い草を刈り込むことで、街の境界線の見通しを良くし、人とヒグマが互いに気づける環境をつくることが、クマ活の目的だ。


草を刈ることで見通しが良くなり、ヒグマと人の遭遇を防げる
実際にクマ活に参加し、地域の人々と共に汗を流す中で、あることに気がついた。知床に暮らす人たちも当然、クマに対して懸念や恐怖心を抱いている。しかしその怖さは、ニュースが伝える「怖さ」とどこか異なる。畏怖や緊張感はあるものの、そこには「敵意」がないのだ。
知床に関わる人たちは、「自分たちがヒグマの暮らす場所にお邪魔している」という認識を、ごく当たり前のものとして持っていた。ヒグマが来るのではなく、もともと知床にいるのはヒグマであり、人間のほうが後からやってきた存在だという感覚である。
都市部と地域住民との間にあるこの「感覚の差」は一体、どこから来るのか。ひょっとすると、人間とクマの関係をこじらせている原因は、クマの存在ではなく、私たちが自然に対して持っている「ここは人間の土地だ」という所有の感覚にあるのかもしれない。それこそが、自然への純粋な畏怖を「敵意」へと変え、共に生きるはずの存在との間に、不必要な対立を生み出しているのではないだろうか。

先住者としてのヒグマ
ヒグマは、北海道にのみ生息する日本最大の陸上哺乳類だ。本州に生息するツキノワグマとは別種であり、成獣のオスは体重200kgを超え、個体によっては400kgに達するものも確認されている。その体を支える爪は非常に鋭く、木登りや穴掘りに特化した構造を持ち、100kgを超える体躯でありながら木の上で眠ることもある。


提供:公益財団法人 知床財団
また、嗅覚は犬をも上回るほど鋭敏で、基本的には嗅覚を頼りに食料を探す動物だ。だからこそ、道路脇に捨てられたごみの匂いが、ヒグマを人間の生活圏へと引き寄せる誘因になりやすい。


提供:北こぶしリゾート
本来、ヒグマは人目を避けて森の奥深くで暮らす生き物である。しかし知床では、道路沿いを平然と歩くヒグマの姿が珍しくない。これは「人馴れ」と呼ばれる現象で、観光客が車を止めてヒグマに接近する「クマ渋滞」などが原因とされる。ヒグマが人間や車に慣れ、警戒心を失うことで、農作物を荒らしたり市街地へ立ち入ったりする個体が生まれる。人間の無自覚な行動が、彼らから本来の生き方を奪ってしまっている。
森を歩き、川で魚を獲り、木の実を食べ、その痕跡を土に還す。そうしたヒグマの営みは、知床の食物連鎖を支える根幹でもある。人間が北海道に本格的に入植し始めるずっと前から、ヒグマはこの生態系の中に在り続けてきた。近代的な「境界線」が引かれるずっと前、この大地で暮らしていた人々は、彼らと同じ「自然の一部」として生きていた。では、人間とヒグマの関係は、もともとどのようなものだったのだろうか。
ヒグマは、神の国からの訪問者
人間とヒグマの関係を、独自の世界観の中で育んできた人々がいる。北海道の先住民族であるアイヌの人々だ。アイヌの世界観において、この世に存在する全てのものには魂が宿っている。山に棲むヒグマも、川を泳ぐ魚も、人間が日々使う器も、突然襲来する災害でさえも、天上の世界から使命を帯びて、この地に降り立った存在だとされる。使命を帯びてくる以上、この世に「存在感のないもの」などあるはずがない、というのがアイヌの人々の根本的な考えだ。
こうした存在はカムイと呼ばれ、日本語では「神」と訳されることが多い。ただ、アイヌの精神的背景を持たない者には、その言葉の深さを完全に理解することは難しい。文献を通じた理解に過ぎないが、人間の力では到底及ばない「魂の強いもの」をカムイと呼び、敬意をもって向き合うべき存在として尊んできた。

ヒグマは、カムイの中でもとりわけ重要な存在だ。キムンカムイ、すなわち「山の神」と呼ばれ、アイヌの人々の信仰の中心に位置してきた。増補・改訂『アイヌ文化の基礎知識』(児島恭子監修、草風館、2018年)によれば、ヒグマはアイヌの主要な食料ではなく、毛皮や道具の主な素材として使われることも少なかったという。にもかかわらず、信仰の対象として特別な位置を占めてきた。
ヒグマとの関係の根底にあったのは、実利ではなく、別の何かだ。それは、狩猟をめぐる言葉にも表れている。アイヌの人々は、ヒグマを獲りに山へ向かうことを「出迎えに行く」「受け取りに行く」と表現する。「ヒグマは神の国から使命を帯びてこの地に降り立ち、クマという姿に化身して、人里を訪問しにきた存在である」という考えに基づいている。
したがって、人間がすべきことは、その訪問者を敬意をもって迎え入れ、やがて神の国へと送り返すことだ。山で母グマを捕らえた際も、共にいた子グマをコタン(アイヌの集落)へと連れ帰り、神として大切に育てる。そして「イオマンテ」と呼ばれるクマ送りの儀式を通じて、神の国へと送り返すのである。そのため、子グマを神として育てることは、アイヌの人々にとってこの上なく名誉なこととされていた。

アイヌの世界観における人間の位置づけは明確だ。支配者ではなく、さまざまな存在が往還する場に「共に在るもの」として、ヒグマと向き合ってきた。「怖い」という感情は当然あっただろう。しかしその怖さは、敵意ではなく「敬意」そのものだ。制御できないものを排除しようとするのではなく、制御できないものだからこそ「魂が強い」と捉え、真摯に関わろうとした。
では、翻って現代を生きる私たちの「怖さ」は一体、どこへ向かっているのだろうか。農作物を荒らされた農家の怒りも、住宅街への出没に不安を覚える住民の感情も、いずれも正当なものだと言える。しかしその「怖さ」を言語化する際の言葉には、少し立ち止まって考える必要があるだろう。
「侵入された」や「奪われた」など、これらの言葉はいずれも「ここは人間の領域であり、クマはそこに踏み込んできた」という前提の上に成り立っている。その前提が当たり前のものになったとき、「怖さ」は気付かぬうちに「敵意」へと変わっていくのではないだろうか。
私たちが無自覚に抱いているこの「所有」の感覚がいかにして定着し、自然との関係を変質させてきたか。その歴史的な証左となるのが、アイヌの人々が土地を追われた過程に見受けられる。

1872年(明治5年)、政府は「地所規則」という新たな法律を制定した。これは簡単に言えば、「すべての土地に境界線を引き、誰のものかを明確に決める」という西洋的なルールの導入である。土地を個人の所有物とみなす概念を持たなかったアイヌの人々は、この新しいルールによって、代々暮らしてきた居住地や狩猟場を「国(官有地)のもの」として一方的に奪われていった。
それまで、自然と共に在る感覚の中で暮らしてきたアイヌの人々の生活は、大きく塗り替えられることになる。1876年にはアイヌ伝統の仕掛け弓猟が禁止され、その後サケ漁・鹿猟と続いて禁じられていった。
森は、カムイと人間が共に往還する場から、国家が管理する「資源」へと変わった。「線を引いて土地を人間のものとする」という近代のシステムは、所有権を持たないアイヌの人々の暮らしを排除したのと同じ構造で、やがて森を歩くヒグマをも「人間の領土への侵入者」として無自覚に排除していくことになる。
開拓によって「所有の対象」となった北海道の大自然は、やがて「観光資源」として二次的に定義されていく。山は登るもの、海は眺めるもの、森は体験するもの。自然は人間が消費する対象として商品化され、観光産業はその構造の上に発展してきた。
知床においても、開発やアクセスの整備とともに、いわゆる「観光地」としての性格を強めていった。そして、本来なら畏怖の対象であったはずのヒグマすらも、いつしか安全な車窓から手軽に楽しむ「観光の目玉」として、消費の対象に組み込まれてしまったように感じる。
草を刈ることが、クマを守ることになる
自然を「売り物」として一方的に消費し尽くすのではなく、人間とヒグマが共に生きるための環境を整え直す。そんな、これまでの観光のあり方そのものに正面から向き合おうとする試みが、ウトロで始まった。それが、北こぶしリゾートが立ち上げた「クマ活」である。
クマ活の詳細についてはこちら

同社広報担当の村上 晴花さんは、クマ活の立ち上げから中心となって活動を牽引してきた。大阪府出身の彼女は、大学時代にヒグマの調査研究に没頭し、「ヒグマの骨格標本を作るアルバイト」で初めて訪れた知床に惚れ込み、移住を果たした経歴を持つ。

2020年に創業60周年を迎えた北こぶしリゾートは、知床への恩返しとして「知床を、つづけていく。」というコンセプトを掲げた。実はこの想いの根底には、大正時代にまで遡る企業のルーツがある。
初代創業者である桑島 宣一さんは、もともと大正時代に香川県から入植し、知床の開拓民として農業を営んでいた。しかし、火山地帯の厳しい自然環境に阻まれ、離農を余儀なくされる。家族に女性が多く農作業が困難になったことも重なり、生きるための苦渋の決断として始めたのが旅館だった。その際、かつての農地にトドマツなどを自ら植林し、「元の自然に戻す」という行いをしていたと言われる。
ただ消費するだけの観光から脱却し、この先の未来も、豊かな自然と人々の営みを両立させていく。かつて創業者が木を植えたように、現代における「恩返し」の形として、地元の自然保護を専門に担う知床財団との連携のもと、構想されていたのが「クマ活」だった。ヒグマ研究の経験を持つ村上さんに白羽の矢が立ち、広報へと異動した彼女はこのプロジェクトの推進役となる。
奇しくも2020年はコロナ禍であり、町から観光客の姿が消えた。「お客さんは来ないけれど、クマは来るから、やろう!」そんな合言葉のもと、当初は従業員や知床財団など関わりのある人々だけで手探りでスタートした。


提供:北こぶしリゾート
この「クマ活」は、最終的な目標である「ヒグマによる人身事故をゼロにする」ための実践であり、大きく「草刈り」「普及啓発」「ごみ拾い」という3つの軸から成り立っている。
ウトロ市街地へのヒグマの侵入を防ぐ防衛線となっているのが、海岸の歩道沿いに張り巡らされた電気柵である。かつては、海岸伝いにやってきたヒグマが手すりと岩壁の隙間から侵入し、市街地へと向かってしまうことがあった。それを防ぐため、現在では海側から市街地へのルートを遮るように柵が設置されている。

しかし、地形的に電気柵が設置できない河川や道路沿いなど、どうしても物理的な防護の「隙間」は生じてしまう。その手薄な箇所をカバーし、安全を確保するのが「クマ活」における草刈りだ。
市街地付近の海岸沿いや通学路の周辺には、ヒグマの巨体がすっぽりと隠れるほどの高さに生い茂るオオイタドリや、彼らの餌となるフキが群生している。ヒグマの背丈を超える草むらは、人間にもヒグマにも互いの存在を「見えなく」させる。見えないからこそ、突然の出会いが生まれ、それが事故につながる。草を刈ることは、人とヒグマの双方が互いに気づき、適切な距離を保てる環境をつくることなのだ。

特に「6月」という実施時期には重要な意味があり、「この時期はヒグマが非常に活発に動く」と村上さんは説明する。
オスがメスを追いかける繁殖期であり、強いオスに弾き出された若いオスや、オスから逃げる子連れのメスがあちこちを移動します。だからこそ、町の中に彼らにとって「居心地のいい場所」を作らないことが何より大事なのです。
ヒグマの命が奪われるという悲劇も、地域の人々が危険にさらされる事態も、どちらも未然に防ぎたいと思っています。
かつては、観光客が増えることでオーバーツーリズムやヒグマの誘引といった問題が起き、人が来るほど地域が疲弊していく側面があった。ヒグマに馴染みのない人が写真を撮ろうと安易に近づいてしまうなど、観光客の増加がそのままヒグマ問題の悪化に直結してしまう時期もあったという。
そうした過去の痛みを正面から受け止めたうえで「私たちが目指すのは、『人が来るほど、知床が良くなる未来』です」と村上さんは力を込める。草刈りで視界を開いて人身事故を防ぎ、ごみを拾ってヒグマとの接点を断つ。そうした地道な活動とマナー啓発を両輪に、人が訪れるほどに自然や社会が潤い、ヒグマとの適切な距離が保たれる環境を作っていく。それは、日本で唯一無二である「野生動物を感じられる知床の自然価値」を守り抜くという、力強い決意でもあるのだ。


草刈り前後の様子。草刈り後の斜面は見通しがよく、ヒグマの発見につながる。
実際に筆者自身もウトロを訪れ、クマ活に参加し、刈り込みばさみを手に斜面を登りながら気づいたことがある。それは、楽しくやっていることが、結果としてヒグマのためになっているという感覚だ。人とヒグマの距離を保つための作業なのに、不思議とヒグマと心が近くなるような気がした。
そして何より、大自然の中で思い切り体を動かし、汗を流すこと自体が理屈抜きに気持ちいい。黙々と草を刈る手を動かしながら、たまたま隣り合った地元の人や参加者とぽつりぽつりと言葉を交わす時間も、この活動の大きな魅力だった。
「どこから来たのか」「普段は何をしているのか」、そして「知床のどんなところが好きなのか」。隣で汗を拭っていた方は、知床の雄大な自然にすっかり魅了され、5年間に約20回も訪問。その後、この地へ移住してきたのだと目を細めた。また別の参加者は、自然の美しさもさることながら、そこに暮らすウトロの人々の温かさに惹きつけられ、何度も足を運んでいるのだと語ってくれた。
年齢も背景も全く異なる人たちが、同じ目的のために、同じ土地で汗を流す。だからこそ生まれる、静かで温かな一体感がそこにはあった。ふと作業の手を止め、丸まった腰を伸ばして顔を上げると、目の前にはオホーツクの美しい海が広がり、周囲には眩しいほどの鮮やかな緑が風に揺れていて、その心地よさに思わず息をついた。

観光は「恩返し」になれるか
観光はこれまで、自然から多くの恩恵を受けてきた産業だ。美しい景色、豊かな生態系、その土地ならではの文化。それらを資源として活用することで成り立ってきた。
現在、ウトロは人口1,100人ほどの小さな町だが、観光のおかげで国内外から多くの人が訪れる。しかし、絶景を見て、美味しいものを食べるだけの単なる「消費活動」にしてしまえば、人と人はただすれ違うだけで終わってしまうと村上さんは指摘する。
観光客との接点を通じて、「今、ヒグマとの共存で悩んでいる」といった地域のリアルな課題をしっかりと伝えられれば、外部の人と一緒に解決策を探ることもできます。
観光をいかに活用して地域を良くし、平穏な暮らしを守っていくか。それをうまく設計できれば、素晴らしい力になるはずです。
美しい自然があるだけでは、地域は成り立たない。そこには暮らす人がいて、自然と共存していくための切実な課題があり、守り継いできた歴史があるのだ。

雄大な知床連山の前に立ったとき、この景色を今日まで守り抜いてきた先人たちの営みに、自然と深い敬意が湧き上がった。北海道の壮大な大地に魅了され、森に息づくシマフクロウやヒグマたちの気配さえも愛おしい。それだけに、この「かけがえのない知床の自然」を次世代へ手渡すべきだという責任の重さに、ふっと軽い目眩も覚える。
しかし、「クマ活」に参加し、無心に草を刈るという行為は、そんな途方に暮れそうな心に、確かな手触りを与えてくれた。それは決して重苦しい義務などではなく、今ここから真っ直ぐに差し出せる「等身大の恩返し」だった。
楽しみながら汗を流し、知床の自然と向き合う。クマ活は、大自然と人とを繋ぐ温かな関係性を、参加者一人ひとりの中に静かに築いていく。
取材協力:北こぶしリゾート、公益財団法人 知床財団
