観光事業者が知っておくべき人権の尊重

「人権」という言葉は日常的によく耳にしますが、観光事業者としてその意味や重要性をどれほど理解できているでしょうか。お客様や地域の方々、そして従業員と関わる中で、人権の視点を持つことは、持続可能な観光経営を実現するうえで欠かせない要素です。
人権への配慮は、訪れる旅行者だけでなく、地域住民や従業員との信頼関係を築くうえでも非常に重要です。本記事では、人権がなぜ大切なのか、そして観光業に携わる私たちの仕事や日々の営みに、どのように関わっているのかを、わかりやすく解説していきます。
誰もが生まれながらに持つ普遍的な権利
人権とは、私たちが人としてこの世に生まれたときから自然に持っている、大切な権利のことです。性別、国籍、民族、信仰、年齢、障がいの有無にかかわらず、誰もが平等に守られるべきもので、誰かから与えられるものではありません。人権は、私たち一人ひとりの尊厳を守り、自由で平等な暮らしを送るための土台となるものです。
人権には大きく分けて、「自由権」と「社会権」という2つの側面があります。自由権とは、たとえば表現の自由や信仰の自由、身体の自由など、個人の自由を守るための権利で、国家などの権力から私たちを守ってくれるものです。
一方、社会権とは、すべての人が人間らしく暮らすために、国や社会が支えていくべき権利です。たとえば教育を受けることや、健康で文化的な最低限の生活を送ることなどが含まれます。
こうした権利がしっかりと守られることで、私たちの暮らしがより豊かになり、社会全体が安心して成り立っていくのです。
歴史の教訓と現代社会における役割
「人権」という考え方は、長い歴史の中で、多くの困難や闘いを経て育まれてきました。たとえば、近代の市民革命では、絶対的な権力に対して、人々が自由や平等を求める動きが強まり、その中で人権という概念がかたちづくられていきました。
そして、第二次世界大戦で深刻な人権侵害が起きたことへの反省から、国際社会は「世界人権宣言」を採択しました。これは、人権をすべての人に保障するという国際的な約束であり、現在の多くの人権関連の条約や制度の基礎となっています。
こうした人権の重要性は、今日の観光産業においても無視できないテーマです。観光地では、異なる文化や背景を持つ人々が行き交い、地域住民、観光客、スタッフなど多様な立場の人々が関わり合いながらサービスが成り立っています。その中で、お互いの人権を大切にする意識は、トラブルの防止や信頼関係の構築、さらには地域と観光事業者の持続的な共生にもつながります。
また、近年はデジタル化やSNSの普及により、プライバシーや情報発信に関する新たな人権課題も出てきています。観光事業者としては、これらに配慮した運営やコミュニケーションを行うことが求められています。
人権への理解は、ホスピタリティの質を高め、すべての人にとって心地よい観光体験を提供するための大切な土台です。日々の業務の中で、ぜひ人権の視点を取り入れていきましょう。
人権尊重の国際的なスタンダード
観光事業者が人権に取り組むうえで認識すべき国際的なスタンダードのひとつが、国連「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」です。これは企業に対し、人権を尊重する責任を明確に求めた枠組みであり、観光産業も例外ではありません。観光地では地域住民、従業員、旅行者など多様な人々との接点があるため、労働環境、プライバシー、文化的権利への配慮が特に重要です。また、サプライチェーン全体での人権リスクへの対応も求められます。持続可能な観光経営を目指すうえで、こうした国際基準を理解し、日々の運営に取り入れることが欠かせません。
また、国連世界観光機関(UN Tourism)が発表している「観光におけるグローバル倫理規範(Global Code of Ethics for Tourism)」は、観光産業に特化した倫理ガイドラインです。人権の尊重や、差別のない受け入れ体制づくり、地域の文化や住民への配慮、労働者の権利を守ることなどが重視されています。各国政府や観光事業者に対しては、倫理的で責任ある観光を実践することが求められています。
さらにOECD(経済協力開発機構)が策定した「OECD多国籍企業行動指針」も重要な国際基準のひとつです。国境を越えて事業を展開する観光事業者に対し、人権、労働条件、安全衛生、腐敗防止など幅広い分野における責任と配慮を示しています。
国連「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」: https://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/resolutions_reports/hr_council/ga_regular_session/3404/
国連世界観光機関「観光におけるグローバル倫理規範(Global Code of Ethics for Tourism)」: https://unwto-ap.org/document/world-tourism-ethics-charter/
OECD「OECD多国籍企業行動指針」(日本語仮訳):https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100586175.pdf
日常生活の中の人権
人権は、私たちの日々の暮らしと深くつながっています。たとえば、学校でのいじめや職場でのハラスメント、インターネット上での誹謗中傷なども、人権を傷つけてしまう行為につながることがあります。こうした問題は、人としての尊厳を踏みにじり、安心して暮らす自由を奪うもの。決して見過ごしてはいけません。
人権が大切にされる社会とは、一人ひとりの違いを認め合い、誰もが自分らしく安心して過ごせる場所です。そうした社会をつくるためには、私たち一人ひとりが多様性を理解し、いろいろな価値観や考え方を受け入れる気持ちを持つことが大切です。
また、差別や偏見をなくす努力をし、困っている人にやさしく手を差し伸べること、自分だけでなく周りの人の権利にも目を向けることが、人権を大切にする意識につながっていきます。
日本の観光産業における人権リスク
日本の観光産業では、少子高齢化の影響により国内人材の確保が難しくなっており、技能実習制度や特定技能制度を通じて外国人労働者に依存する傾向が強まっています。しかし、これらの制度は「労働力確保」を主な目的として導入された一方で、労働者の権利保護が十分に追いついていないという批判もあります。さらに、監督機関の人手不足や、現場における労務管理体制の不備が、こうした問題の温床となっているのが現状です。
過重労働・低賃金
・宿泊や飲食業など、観光関連の現場では慢性的な人手不足が続いており、外国人労働者に長時間労働や休日返上での勤務が求められるケースもあります。
・最低賃金ギリギリ、あるいはそれを下回る給与水準で働かされている例もあり、労働条件の不透明さが課題です。
適切な労働契約・説明の欠如
・日本語の契約書が理解できないままサインを求められるケースや、仕事内容・給与・勤務時間が事前の説明と異なる事例も報告されています。
・労働者の無知や弱い立場を利用した契約違反が起こりやすい構造になっています。
生活支援・サポート体制の不足
・住居・医療・生活習慣に関する情報支援が十分でない場合、外国人労働者が孤立するリスクがあります。
・地域とのつながりも弱く、差別的な扱いを受ける可能性もあるため、心理的安全性にも課題があります。
人権を守るための行動
人権を守っていくためには、私たち一人ひとりはもちろん、地域社会、国、そして国際社会といった、さまざまなレベルでの取り組みが大切です。
まず、私たちにできることのひとつは、人権について正しく知ることです。知識を深めることで、自分が不当な扱いを受けたときに気づきやすくなりますし、知らず知らずのうちに誰かの人権を傷つけてしまうことを防ぐことにもつながります。
また、差別や偏見を「見て見ぬふり」せず、気づいたときに勇気を持って声を上げることも大切です。人権侵害と思われる場面に出会ったときには、企業の相談窓口や、自治体・専門機関などに相談してみましょう。多くの地域には人権相談窓口が設けられており、専門のスタッフが親身に対応してくれます。
そして、人権を大切にする社会をつくるうえで欠かせないのが「教育」です。子どもの頃から人権について学ぶことで、思いやりや倫理観が育まれ、将来の社会を担う世代が人権を尊重する意識を自然と身につけていくことが期待されます。
人権を守ることは、特別な誰かに任せるものではなく、私たち一人ひとりに関わることです。それぞれが「自分のこと」として捉え、小さな行動を積み重ねていくことが、誰もが安心して暮らせる社会の実現につながっていきます。
たとえば観光事業においては、外国人労働者の雇用に関する人権リスクを回避するために、以下のような取り組みが有効です。
・人権デュー・ディリジェンスの実施
外国人労働者の労働条件の見直しや、継続的なモニタリング体制の整備
・多言語対応と文化理解の促進
契約書や研修資料を母語で提供することや、職場におけるハラスメント防止教育の実施
・サプライチェーン全体での透明性向上
外注先や派遣会社を含めた人権リスクの管理
・地域社会との連携
地方自治体やNPOと協力し、生活支援や相談体制を整えること
こうした取り組みを積極的に行うことが、観光産業の持続可能な発展にもつながります。
まとめ
人権は、すべての人が人間らしく、安心して暮らしていくために欠かせない大切な権利です。観光に携わる私たちにとっても、この人権の考え方をきちんと理解し、日々の業務やおもてなしの中で意識することは、とても重要なことです。
お客様や地域の方、そして職場の仲間一人ひとりの違いを尊重し、誰もが尊厳を持って関わり合える環境をつくっていくこと。それが、差別や偏見のない、あたたかい地域づくりや、共生社会の実現につながっていきます。
歴史の中で育まれてきた人権の価値を大切にし、私たち一人ひとりがその担い手として行動していくことで、観光地としての信頼や魅力も、より深まっていくことでしょう。