ユネスコ複合遺産を目指す自然保護区「グリーンベルト(Grünes Band)」とは?

旧東ドイツと旧西ドイツの国境沿いには、「グリーンベルト(Grünes Band)」と呼ばれる自然保護区があります。
ここは、冷戦時代に立入禁止となっていた自然地帯で、手つかずのまま残されていましたが、1989年に旧東西ドイツの国境が崩壊されたのち、自然保護活動家によって自然保護区として守られてきました。
2024年1月には、ユネスコ複合遺産の暫定リストに登録されるまでとなりました。そんな「グリーンベルト」とは一体どんな場所なのでしょうか?
冷戦時代の象徴から自然保護区へ
「グリーンベルト」は、1990年のドイツ再統一により加盟した「新連邦州」のひとつ、ドイツ・メクレンブルク=フォアポンメルン州に位置するバルト海沿岸からチェコ国境付近まで、全長約1,400kmに渡り広がっています。
ドイツが東西に分断されていた冷戦時代は、国境沿いに、地雷原、鉄条網、監視塔、警備兵などが配置され、非常に厳重な警備システムが存在していました。
ベルリンの壁を筆頭にドイツの国境沿いは「死の帯(Todesstreifen)」とも呼ばれ、絶対に立ち入ることができませんでした。国境を越え、逃亡を試みる者は射殺される危険性まであったのです。
旧東西ドイツ国境は、冷戦時代を象徴する場所でしたが、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊と同時に国境も崩壊しました。その直後、ドイツ環境自然保護連盟「BUND」が東西ドイツの自然保護活動家たちを集めて会合を開き、国境跡に残された自然保護区を守るための共同声明が採択され、「グリーンベルト」が誕生しました。
2001年から2002年に実施されたグリーンベルト現状調査では、この地域が、周辺の環境では生息が難しい絶滅危惧種や多様な生息環境にとって重要な避難地であることが判明し、国境を越える生態系ネットワークの中核となることが証明されました。その後、「グリーンベルト」は正式な自然保護プロジェクトとして発展し、「BUND」や連邦自然保護局「BfN」などが中心となり、保護と開発に向けた取り組みが進められてきました。
ドイツ環境自然保護連盟「BUND(ブント)」の主な活動
ドイツ環境自然保護連盟「BUND(ブント)」とは、「Bund für Umwelt und Naturschutz Deutschland」を略した名称で、1975年にドイツ・フライブルクで設立され、現在はベルリンに拠点を構えるドイツ最大の環境団体です。会員数は65万人、16の州に支部を構え、2,300以上の地域グループを所持しています。ユネスコ複合遺産の暫定リスト入りした背景にも「BUND」による長年の取り組みが大きく関わっていると言われています。
「BUND」は、放棄された農地を購入し、放牧や草刈りなどの伝統的な手法を用いて、草原、河川、森林、湿地などの自然環境に再生させ、そこに生息する絶滅危惧種の保護活動を行っています。チェコやポーランドと隣接する地域では、現地の自然保護団体や地方自治体と協定を結び、「ヨーロッパ・グリーンベルト」の一環として、国境を越えたエコロジカル・コリドー(移動回廊)を整備しています。
他にも、地元の小中高校生を対象とした環境教育プログラムとして、旧東西ドイツの国境沿いの散策路を歩きながら、かつての監視塔跡やフェンス跡を巡る野外授業が実施されています。解説ガイドが同行し、軍事境界線から自然保護地になった歴史と生態の変遷を紹介しています。
「グリーンベルト」ではこれまでに5,000種以上の動植物が確認されており、そのうち、アポロウスバシロチョウ、ヨーロッパアカガエル、スムーススネーク、ヨーロッパホオヒゲコウモリ、ヨーロッパカワセミ、ヨーロッパヤマネコ、ラン科植物などを含む146種が絶滅危惧種に指定されています。
これらの生物多様性を守るため、2019年10月から2025年9月にかけて、「Quervernetzung Grünes Band(横断ネットワーク構築)」プロジェクトが進行されています。同プロジェクトでは、「グリーンベルト」を中心軸として、生物が自然豊かな地域へ移動できる横断的エココリドーを5つの地域で整備し、生態系の連続性を確保することを目的としており、総予算は約620万ユーロ(約10億5,400万円※2025年7月時点)にも及びます。
さらに、今年の6月からは「Insektensterben stoppen(昆虫減少阻止)」プロジェクトが始動し、「グリーンベルト」全域で初となる大規模な昆虫の現地調査が進められています。「BUND」の6つの専門家チームが、選定された100カ所で月1回昆虫を採集し、研究所で遺伝子レベルの分析が行われています。調査結果は、昆虫多様性の現状把握と今後の保全方針の基礎資料として活用される予定です。
ユネスコの世界遺産に指定されるための険しい道のり
2024年1月にドイツ政府により「グリーンベルト」はユネスコ複合遺産の暫定リストに登録されましたが、これは「自然遺産カテゴリ」への推薦のみとなっており、複合遺産としての正式登録は進んでいないのが現状です。ユネスコ複合遺産とは、自然遺産と文化遺産の両方の価値を持つ世界遺産のことを指し、分断の歴史や冷戦の記憶といった文化的価値への推薦が必要になります。
また、ドイツ政府だけでなく、ヨーロッパ全体を含む国際的ネットワーク「ヨーロピアン・グリーンベルト」との連携や関係国との協力が求められており、国境を越えた協調体制を構築する必要があります。「BUND」はドイツの新政権に対し、複合遺産として正式に指定するべきだと強く要請しました。また、国や州政府による継続的で包括的な保護対策の整備も求めました。
今年の4月1日から3日に渡り、ドイツ・ミトヴィッツにて、第7回シンポジウム「国家自然遺産グリーンベルトの管理」が開催されました。このシンポジウムには、50人以上が参加し、「グリーンベルト」を「国家自然遺産(National Nature Heritage)」として制度的に管理・保護していくための進捗報告や未保護区間を巡る法制度整備や土地取得プロセスに関する議論が行われました。
「グリーンベルト」を単なる自然保護区として維持するだけでなく、「国家自然遺産」として制度的に定着させ、生態系の回廊性を完結させるための重要な節目です。参加者間の協力ネットワークや調整の場として、また今後の保全計画の方向性を定義する場として位置づけられています。
しかし、一方で、世界遺産ではなく、国民的な記憶遺産・自然保護地域として守っていけば十分ではないかという声があるのも現状です。その理由として、書類作成、現地調査、委員会対応などに数年かかり、自治体や環境団体にとって負担となることや、世界遺産に登録されても保全予算が自動的に増えるわけではないことなどが挙げられます。
最後に
冷戦時代には誰も立ち入ることができず、誰の手にも触れられなかった自然地帯が現在では、人間の手によって保護され、絶滅危惧種の動植物とともに守られていることは歴史に刻まれるできごとであり、永続的に守られるべき存在であると思います。
その一方で、ユネスコの世界遺産として認められるには、莫大な費用と長い年月と厳格な条件が必要です。また、世界中に認知され、観光地としての価値が上がると同時に押し寄せる人々によって、美しい自然環境が破壊されてしまう危険性もあるのではないでしょうか。