日本でも広がりを見せるドイツ発「クラインガルテン」とは?

ドイツには、「クラインガルテン(Kleingarten)」と呼ばれる賃貸型市民農園が存在します。19世紀末にドイツで発祥した伝統的な市民用の家庭菜園制度であり、日本語で「小さな庭」という意味を持ちます。
都市部に住む人々が自然と触れ合いながら農作業を楽しむことを目的とした小規模な貸し農園付きの庭のことを意味し、現在、ドイツ全土に約90万区画あると言われています。
ドイツには「コミュニティーガーデン」という地域住民の交流を目的とした都市型農園も存在しますが、「クラインガルテン」とは何が違うのでしょうか?その歴史や背景なども合わせて詳しく紹介していきたいと思います。
クラインガルテンの歴史
「コミュニティーガーデン」は、2000年代以降に、ベルリン、ハンブルク、ライプツィヒなどをはじめとするドイツの主要都市を中心に広がりを見せている新しい市民農園です。特に、首都ベルリンは集合住宅に居住している人がほとんどのため、庭付き一戸建てに住む人は郊外にわずかしかいません。
そのため、ガーデニングや自分の畑を持ちたい人が多数存在し、ひとつの敷地を共同で管理し、農作物だけでなく、花やハーブ、養蜂など幅広く耕作し、環境教育、ワークショップ、料理教室なども行われる「コミュニティーガーデン」は、希望者が殺到しています。どの農園もキャンセル待ちとなっており、共同農園を持つことも簡単ではありません。
一方「クラインガルテン」は、非常に長い歴史があり、最古の記録では1814年まで遡ると言われています。シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州のカッペルンにある教会が、自分の庭を持ちたい人に対して、教会の土地を小さな区画に分けて貸し出したのがクラインガルテンの原型とされています。
その後、1864年にライプツィヒで、整形外科医で教育改革家のダニエル・ゴットロープ・モーリッツ・シュレーバーが子どもたちの身体的や精神的な健康を目指し、運動、日光、自然とのふれあいが大切であることを提唱したことをきっかけに、子供の遊び場が誕生しました。
のちに、その一部が家庭菜園へと発展し、「シュレーバーガルテン(Schrebergarten)」と呼ばれるようになりました。
産業革命の過程で都市が急速に発展する一方で、工場労働者たちは狭いアパートでの貧しい暮らしを強いられ、生活環境の悪化が社会問題となっていた背景があります。
「シュレーバーガルテン」では、自分たちで野菜や果物を育て、栄養を補うことができ、自然と触れ合うことで家族の絆を深めることができる場所になりました。さらに第二次世界大戦後には、食糧難を解消するために全国に普及していきました。

ドイツ国内にある代表的な「クラインガルテン」
シュレーバー協会ライプツィヒ(Schreberverein Leipzig)
先に述べたライプツィヒの「シュレーバー協会ライプツィヒ(Schreberverein Leipzig)」は、1864年に設立された最古の「クラインガルテン」と呼ばれています。敷地内には、世界初となる「クラインガルテン博物館(Kleingartenmuseum)」が併設されています。
「クラインガルテン文化」の歴史、理念、社会的背景の紹介や19世紀から現代に至るまでのドイツ市民と家庭菜園の関わりを知ることができます。また、シュレーバー医師の教育思想や医学的提言の紹介や、どのようにクラインガルテン文化に影響を与えたか分かる展示を見ることができます。

クラインガルテン協会ボーンホルム(Kleingartenanlage Bornholm I e.V.)
ベルリンのプレンツラウアーベルク地区に位置する「クラインガルテン」にも長い歴史があります。1896年に、貧しい4家族が家庭菜園を作ることを許可され、ジャガイモや野菜などの食料を確保するために小さな小屋を建て、花壇を植えたことから始まりました。その後、何年もかけて区画の数を増やしていき、最終的には現在の場所まで広がったと言われています。
2025年現在、約450人の庭師が協会の会員となっており、236区画を管理しています。定期的に、コンサート、収穫祭、ワークショップなどが開催されており、ベルリン市民のために一般公開しています。

「フローラ Iクラインガルテン協会」(Kleingartenverein Flora I e.V.)
1910年に、創設者のエミール・クラインと数人の仲間で設立された「フローラ Iクラインガルテン協会」は、現在、3つの地区で構成されたドレスデン最大級のクラインガルテンに成長しました。約330人の会員のうち、約33パーセントが65歳以上と平均年齢が高いことからも歴代続いてきた農園であることが伺えます。
第一敷地が最も広く、面積23,470平方メートル、113区画が設けられています。敷地内には、一般利用可能なレストランや運動場、理事会事務局が入居するクラブハウスなどが併設されています。

様々なルールが設定されている「クラインガルテン」の特徴
自由に耕作ができる「コミュニティーガーデン」と違い「クラインガルテン」には、次のような様々なルールが設定されています。
自治組織による管理:「クラインガルテン協会(Kleingartenverein)」に属することが決められており、利用者はこの協会の会員となり、年会費や共用エリアの清掃などの共同作業の義務があります。
区画の広さ:1区画は約100〜500平方メートル
ラウベ:各区画には「ラウベ」と呼ばれる簡的な小屋を設置して、農具の収納や休憩所として利用します。大きさは最大で24平方メートルまでと定められており、居住や宿泊施設として使用することは禁止されています。

利用規則:区画の3分の1以上は野菜や果物を植えることが義務付けられており、レジャー用の芝生や花壇だけでは不可とされています。化学肥料の使用が禁止されており、コンポストを設置するなど、自然との共生が重視されています。
利用料金:年間の利用料は地域によりますが、都市部では年間約300〜500ユーロが一般的で、田舎では100ユーロ以下のところもあります。利用料の他に、会員費や保険料が加わります。
営利目的は禁止:作物は自分と家族で消費するためのものに限られ、販売は原則として禁止されています。商業目的での利用やAirbnbなどで貸し出すことも禁止です。
日本でも広がりを見せるクラインガルテン
日本でも、1990年に「市民農園整備促進法」が制定されたことにより、地方自治体や農業団体が市民向けに農園を貸し出すことが可能となり、ドイツの「クラインガルテン」を参考にした市民農園が設立されました。
日本の「クラインガルテン」は、ドイツでは禁止されている宿泊が可能な滞在型農園が主流となっており、群馬、山梨、長野をはじめとする関東近郊に多数存在します。
1992年に、群馬県の旧倉渕村(現・高崎市)が遊休農地を再生させるために農園を設立し、これが日本初期の「クラインガルテン」と呼ばれています。のちに、天然温泉を併設し、現在は、農園、温泉、宿泊、イベントなどが一体となった複合施設「相間川温泉ふれあい館」として認知されています。
長野県松本市四賀地区には、1994年に設立された「坊主山クラインガルテン」と「緑ヶ丘クラインガルテン」が存在し、地域住民から有機農法の野菜作りを学んだり、ログハウスに宿泊することが可能です。
東京都にも唯一とされる「おくたま梅沢ふれあい農園」が奥多摩町に存在しますが、都心から近く、アクセスの良い「クラインガルテン」は今後もっと需要が高まるのではないでしょうか。「
最後に
ドイツで生まれた「クラインガルテン」の文化は、オーストリア、スイス、フランス、イギリス、オランダ、スウェーデン、デンマーク、チェコにも派生し、各国で名称や制度は異なるものの、都市部の住民が自家栽培や自然と触れ合うために活用されています。
もともとは、戦時中の深刻な食料不足を補うためにできた市民救済の農園でしたが、戦争が終わり、生活水準が上がった現代においても、家族の交流の場として、また、自然と触れ合うことで健康維持に繋がる大切な場所として重宝されています。
ベルリンのような都会であっても豊富な自然に囲まれた広大な公園が点在しており、自然保護への取り組みも徹底されています。晴れの日には多くの人が公園や湖、森へ出掛けるのが習慣となっていますが、ドイツ人が自然を好む理由として、「クラインガルテン」のような伝統的文化が浸透しているからかもしれません。

