地域住民が守った絶景|父母ヶ浜が持続可能な観光地として評価された理由

香川県三豊市の父母ヶ浜における再生ストーリーが、2025年のGreen Destinations Top100(以下、GD Top100)に選出されました。
父母ヶ浜は、干潮時に空が水面に映り込む「天空の鏡」のような景観で知られる海岸です。現在では、全国から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっています。
しかし、かつての父母ヶ浜は今とまったく違う状況でした。海岸には多くの漂着ごみが広がり、景観の悪化が大きな問題になっていました。さらに、産業の衰退や人口減少も進み、海岸を埋立計画も検討されていました。
この状況を変えたのが、地域住民による清掃活動です。
きれいになった海岸の景色は、写真コンテストへの投稿やSNSでの発信によって広く知られ、最終的には世界的な「持続可能な観光地」として選ばれたのです。
本記事では、埋め立ての危機にあった父母ヶ浜が、どのようにして観光地として再生し、世界的に評価される場所になったのかを解説します。
父母ヶ浜について

香川県三豊市にある父母ヶ浜は、年間を通じて多くの観光客が訪れる、国内でも人気の観光スポットの一つです。
干潮時には遠浅の海岸に水たまりのような浅い海面が広がります。天気が良く、風の少ない日には海面に空や夕焼けが反射し、まるで鏡のように映り込みます。空と海が一体となったような幻想的な光景は「天空の鏡」とも呼ばれ、多くの人が写真撮影を目的に訪れる場所となっています。
今では観光地として注目を集める父母ヶ浜ですが、かつてはまったく違う姿でした。1994年頃の父母ヶ浜は、漂着した海洋ごみが海岸一帯に広がり、美しい景観とは程遠い状態でした。さらに当時は、工場建設のために海岸を埋め立てる計画も進められていました。この海岸自体が失われてしまう可能性もあったのです。
三豊市・父母ヶ浜が直面していた危機
現在では絶景スポットとして知られる父母ヶ浜ですが、かつては地域の将来が危ぶまれる状況にありました。地域経済を支えていた産業は衰退し、人口減少も進行。海岸の埋立計画も検討されるなど、父母ヶ浜と周辺地域はさまざまな課題に直面していたのです。
主要産業の衰退
父母ヶ浜がある仁尾地域では、かつて製塩業が地域経済を支える重要な産業でした。瀬戸内海沿岸は古くから塩づくりが盛んな地域で、香川県全域で多くの塩田が広がっていました。
しかし1960年代から1970年代にかけて、日本の塩産業は大きな転換期を迎えます。製塩技術の近代化が進み、イオン交換膜法などの工業的な製塩方式が主流になったことで、従来の塩田は次第に姿を消していきました。
この影響を受け、瀬戸内海沿岸の塩田は次々と廃止されました。父母ヶ浜周辺の塩田も例外ではありません。長年地域の雇用を支えてきた産業が急速に衰退していきました。[1]
産業の縮小は地域経済に大きな影響を与えました。働き口が減り、地域の活力は徐々に失われていきました。観光資源として注目される前の父母ヶ浜は、地元の人が訪れる静かな海岸であり、地域経済を支える存在ではなかったのです。
人口の減少
産業の衰退と並行して進んだのが人口減少です。三豊市では長期的に人口が減り続けており、地域の将来に対する大きな課題となっていました。
人口構成にも大きな変化が見られます。高齢化が進み、地域を支える若い世代は都市部へ流出しました。若年人口が減少すると、地域の担い手や事業の後継者も不足します。
こうした人口構造の変化は、地域コミュニティの維持にも影響を与えました。学校や商店の存続、地域活動の担い手など、多くの分野で課題が顕在化していったのです。
父母ヶ浜がある仁尾地区でも、地域の将来に対する不安が徐々に高まっていきました。
埋立計画
こうした地域の停滞のなかで、父母ヶ浜の将来についても議論が行われていました。その一つが、海岸を埋め立てて土地利用を進める計画です。
当時は、日本各地の沿岸部で埋立による土地開発が進められていました。港や工場の建設などを目的とした埋め立てが各地で行われており、瀬戸内海だけでも明治以降に約463km²の海が埋め立てられています。[3]
父母ヶ浜でも同様に、海を埋めて新たな土地をつくる構想が検討されていました。埋め立てが実施されれば、砂浜や遠浅の海は失われてしまいます。約1kmにわたって続く自然の海岸線は大きく姿を変える可能性がありました。
結果としてこの計画は実現しませんでしたが、父母ヶ浜の自然環境は一時、消滅の危機に直面していたのです。もしこの埋立計画が実行されていた場合、現在のように国内外から観光客が訪れることはなかったかもしれません。
危機を救った解決策
父母ヶ浜は産業の衰退や人口減少、海岸の埋立計画といった複数の課題に直面していました。こうした状況を変えたのが地域住民の行動と、それをきっかけに広がった取り組みです。海岸清掃から始まった活動は、観光振興や環境保全の仕組みづくりに発展していきました。
ちちぶの会による「海岸清掃」

父母ヶ浜の再生の出発点となったのが、地域住民による海岸清掃活動でした。1990年代、父母ヶ浜では漂着ごみが海岸一帯に広がり、美しい景観とは程遠い状態が続いていました。
こうした状況を変えようと、地域住民が中心となって結成されたのが「ちちぶの会」です。
この清掃活動は、単に海岸をきれいにするだけではありませんでした。海岸を美しい状態に保つことで、父母ヶ浜の景観の魅力を多くの人に知ってもらうことも目指していたのです。「海を守るためにはまず海をきれいにし、その価値を多くの人に認めてもらう必要がある」。この考えのもと始まった取り組みです。[5]
地域の人々が自ら海岸を守ろうとする姿勢は、父母ヶ浜の価値を見直すきっかけにもなりました。結果として海岸を埋め立てる計画は実施されず、父母ヶ浜の自然環境は守られました。
この活動は海岸環境の改善だけでなく、埋立計画による自然消失という課題の回避にもつながった重要な取り組みでした。
写真コンテストへの投稿と観光協会の発信

父母ヶ浜が全国的に知られるようになったきっかけの一つが、写真を通じた情報発信でした。
干潮時に現れる「天空の鏡」のような景観を写真に収めた作品が写真コンテストに投稿され、その美しい風景が注目を集めました。さらに三豊市観光協会がSNSなどを通じて写真を発信したことで、父母ヶ浜の景観は多くの人の目に触れるようになりました。
幻想的な写真が広く拡散されると、次第に「この景色を自分の目で見てみたい」と訪れる人が増えていきます。
こうして父母ヶ浜は、写真映えする観光スポットとして全国的に知られるようになっていきました。この観光客の増加は、産業の衰退や人口減少によって停滞していた地域経済に、新たな活力を生み出すきっかけにもなりました。
経済の活性化と環境保全を促す働きかけ

父母ヶ浜が写真映えスポットとして知られ、観光客が増加したことで、地域経済にも新たな変化が生まれました。
父母ヶ浜周辺では宿泊施設や飲食店、土産店などが増え、カフェやアクティビティ施設なども誕生しました。観光客を受け入れる環境が整うことで、地域に新たな雇用や経済効果も生まれていきました。
一方で、観光客の増加は環境への負荷につながる可能性もあります。そのため三豊市では、観光と環境保全を両立させる取り組みも進められました。
たとえば、海岸周辺の店舗では紙ストローの導入やプラスチックカップの廃止などが進められています。地域の事業者も活動に協力し、環境に配慮した観光地づくりが進められました。
こうした取り組みによって、観光地としての魅力を高めながら、海岸環境を守る意識が地域全体で共有されていきました。父母ヶ浜では、観光による地域経済の活性化と自然環境の保全を同時に進める仕組みがつくられていったのです。
「父母ヶ浜海岸協力基金制度」の導入

父母ヶ浜の環境を長期的に守るための仕組みとして導入されたのが、「父母ヶ浜海岸協力基金制度」です。観光客の増加に伴い、海岸の維持管理や環境保全にかかる負担も大きくなっていきました。
この制度では、オンラインなどを通じて寄付を集め、海岸の清掃活動や環境整備、安全対策などに活用しています。観光地として人気が高まる一方で、その自然環境を守り続ける仕組みを整えたことも、父母ヶ浜の持続可能な観光地づくりの大きな特徴です。
この制度は観光客・地域住民・事業者がともに観光地を支える仕組みとして、持続可能な観光モデルの一例となっています。
まとめ
父母ヶ浜の再生は、地域住民の行動が観光地の未来を大きく変えうることを示した事例です。地道な海岸清掃を続けたことで、父母ヶ浜の景観は守られ、その魅力が広く知られるようになりました。
観光地として注目を集めた後も、三豊市では環境保全の取り組みが進められました。紙ストローの導入やプラスチック削減、さらに「父母ヶ浜海岸協力基金制度」によって、観光と環境保全を両立させる仕組みが整えられています。
こうした地域住民による継続的な保全活動と、観光客を巻き込んだ環境保全の仕組づくりが評価され、父母ヶ浜はGD Top100に選ばれました。
地域を観光地として発展させるためには、その地域に住む人々が自分たちの土地に関心を持ち、長期的な取り組みを続けていくことが重要です。そして、地域住民が自然や景観を守る姿勢を示すことは、訪れる観光客の意識にも影響を与えます。
地域の自然や景観は、そこに暮らす人々の意識と行動によって守られます。父母ヶ浜の事例は、地域住民の主体的な行動が、観光振興と環境保全の両立につながることを示しています。
参考文献
