「もう持続可能では足りない」コスタリカが示す観光産業の次なる展開|再生型エコツーリズムの実践

近年、「再生型観光」という言葉を耳にする機会も少しずつ増えてきました。世界各地でさまざまな取り組みが進むなか、中米のコスタリカも代表的な事例のひとつとして取り上げられることがあります。
豊かな生物多様性を守りながら観光を育ててきた同国は、自然環境と地域コミュニティの双方にプラスとなる観光モデルの先進地として注目されています。
1997年からは「CST認証(持続可能観光認証)」制度を運用し、環境配慮型の観光づくりを国ぐるみで推進してきました。[1]
その一方で、いまコスタリカの観光事業者は「持続可能性を維持するだけでは不十分だ」と感じ始めています。従来の現状維持をめざす「持続可能な観光」に対し、「再生型観光(リジェネラティブツーリズム)」は、自然や地域社会を今より良い状態へと再生していくことをめざす一歩踏み込んだ考え方です。
本記事では、コスタリカで実際に進んでいる再生型観光の取り組みをたどりながら、観光事業にも応用できる視点やヒントをご紹介します。
熱帯雨林を失い、観光で取り戻した国

コスタリカは国土こそ小さいものの、世界でも有数の生物多様性ホットスポットとして知られています。この国の本当の豊かさは、森の中にあります。
しかし、1970年代から80年代初頭にかけて、その森は急速に姿を消していきました。
農地の拡大や牧場化、木材の伐採が進んだことで、かつて国土の大部分を覆っていた熱帯雨林が次々と失われていったのです。
この流れを食い止めたのが、観光産業への戦略的なシフトです。コスタリカ政府は、「ビーチリゾートのような大衆的な観光資源では他国には勝てない。しかし、この国が持つ自然環境ほどの資産を持つ場所は世界でも多くない」と判断しました。そこで、森を守ることがそのまま経済的な価値につながる仕組みを整えていったのです。
その結果、1990年代以降、森林面積は回復に転じ、現在は国土の57%以上にまで増えています。[3]世界銀行は、コスタリカを「森林喪失の流れを逆転させた初の熱帯国」と評価するようになりました。いったん失われかけた自然を、観光を通じて取り戻していく──コスタリカのこの挑戦は、世界が注目する環境政策の大きな転換点となったのです。
観光産業の「ものさし」となった、CST認証制度

森林回復が進んだ背景には、観光産業の「量」ではなく「質」をきちんとコントロールする仕組みがありました。
評価の基準は以下のように多岐にわたります。
- 廃棄物の管理方法
- エネルギーの使い方
- CO2排出量の測定状況
- 地元企業や地域社会への経済的な還元
- 文化を守る取り組み
- 動植物保護の実績
こうした厳しい条件をクリアした事業者だけが、「基本レベル」と「エリートレベル」という2段階の認証を受けられる仕組みです。基準を多く満たすほど、「葉っぱ」のマークが増えて表示されるため、利用者にもわかりやすくなっています。
2019年までに、400社を超えるホテルやツアー会社、飲食店がこの認証を取得しました。CSTの基準はその質と実効性が高く評価され、国連世界観光機関からも「ラテンアメリカにおける持続可能な観光の標準モデル」として公式に認められています。
こうした認証制度があるからこそ、質の高い観光の実践が可能になり、結果としてコスタリカの自然回復も加速していったのです。
観光産業の成功が新たな問題を生み出した

コスタリカでは、観光産業が長く経済成長を支える大きな柱として機能してきました。国は「自然こそ最大の資産だ」と位置づけ、観光を環境保全のための経済的インセンティブとして活用する戦略を推進しています。その結果、今では旅行者の約6割が国立公園や保護区に足を運ぶまでになっています。
一方で、その成功の裏側では、新たな課題も生じています。近年、コスタリカにはクルーズ船をはじめとする多くの観光客が押し寄せており、その集中は自然環境への負荷を高めるだけでなく、地域の日常生活や文化とのバランスを崩しつつあります。観光地としての魅力が高まるほど、地元の人々が利用してきた海岸や公共空間が観光向けに最優先され、住民が「自分たちの場所から押し出されている」と感じる場面も少なくありません。
観光分野の専門家からは、「観光で生まれる価値は本来地域社会につながるはずだが、その一部に十分届いていない」という指摘もあります。こうした状況は、「観光で得た収益をどう地域に還元し、住民が主役として関わり続けられるしくみをつくるか」という、今後のコスタリカ観光にとって重要な問いを投げかけています。
コスタリカの実践事例|再生型観光のモデル
宿泊客が環境再生の主体者になる、地元コミュニティが経営に参加する、さらには利益を得る。こうした仕組みが、現在コスタリカ各地で動き始めています。
ここでは3つの施設を紹介。それぞれが異なるアプローチで、観光を通じた地域再生を実践しています。
ラパリオス(Lapa Ríos)|宿泊客が「保全活動のパートナー」になる仕組み

オサ半島という、世界有数の生物多様性地域に位置する宿泊施設ラパリオスは、単なるエコロッジではありません。私有保護区内では、宿泊客が滞在中に樹木を植える「植樹プログラム」を実施しています。宿泊客は自分で植えた木が、その後、保護区の再生にどのような役割を果たすのかを学ぶことができます。[5]
このアプローチは、単なる記念植樹ではなく、再生型観光の本質を体現しているといえるでしょう。
さらに注目すべきは、スタッフの構成です。スタッフの100%が地元コミュニティの住民であり、マネージャーからシェフまで、主要なポストも地元の人材が担っています。
ラパリオスは、環境保全にもきわめて積極的です。1990年から2000年にかけて、オサ半島全体が深刻な森林喪失に直面していた時期に、この施設の敷地内では地域内で最高水準の再生率を達成しました。単に森を「守る」だけでなく、「回復させる」ことに主体的に取り組んできた成果だといえます。
さらにロッジは、近隣の学校を支援し、教育や医療インフラの整備に観光収入の一部を充てています。宿泊客が払ったお金が、その地域の子どもたちの教育や医療へと姿を変える。このような完全な循環の仕組みこそが、再生型観光が目指すべき姿だといえるでしょう
フィンカ・ルナ・ヌエバ(Finca Luna Nueva)|「生きた教室」としてのエコロッジ

1994年に設立されたフィンカ・ルナ・ヌエバは、単なる宿泊施設ではなく、「再生農業の生きた教室」として機能しています。[6]
約207ヘクタールの敷地に、1994年の創設以来、5000本以上の在来樹を植林してきました。これらの樹木が形成する自然なキャノピー(樹冠)と、それらが落葉して土壌に還元される仕組みが構築されています。つまり、人為的な肥料や農薬に頼るのではなく、自然の力を活用した農業が実現しているということです。
敷地内には、300種類以上の熱帯薬用植物を収集した「セイクリッド・シーズ・サンクチュアリ」も設置されており、生物多様性の保護と教育の両方を担っています。[7]
従業員構成も100%が地元住民です。注目すべきは、従業員が継続的に学習する機会を得ていることです。かつて国際料理を調理していたシェフでさえ、この農場に参加してから初めて健全なレシピ開発の手法を学んだというエピソードがあります。
さらに、ロッジはゲストが再生農業について学び、実際に参加できる環境を提供しています。宿泊体験を通じて、客は単なる「消費者」から「学習者」へ変わり、その学びが自宅に帰ってからの生活にまで影響を与えるのです。これこそが、再生型観光が目指す行動変容なのです。
ホテル・ベルマー(Hotel Belmar)|「ぜいたく」と「再生」の両立

1985年にペドロ・ベルマーとベラ・ゼレドンによって設立されたホテル・ベルマーは、モンテベルデの雲霧林に位置しています。[8]
興味深いのは、「再生型観光」という言葉が広く知られるより前から、その理念を実践してきた点です。プールやテレビ、エアコンといった一般的なリゾート設備はありませんが、その代わりに雲霧林のパノラマビューや、山の風を生かした自然換気、そして深い環境配慮があります。
これは、国立技術標準研究所(INTECO)による厳格な検査をクリアしたことを意味するものです。
また、姉妹施設として「フィンカ・マドレ・ティエラ」というファームを所有しており、ここはコスタリカで初めてカーボンニュートラル認証を取得した農場として知られています。
そこで生産される食材は、ホテル内にある2つのファーム・トゥ・テーブル・レストランと、「ガーデン・トゥ・グラス」ブルワリー(醸造所)で使用されます。
食卓に並ぶ肉や乳製品の量は厳格に制限されており、提供する場合でも必ず地元の生産者から仕入れています。つまり、宿泊客が口にするものにまで、環境への配慮が行き届いているのです。
さらにホテルは、モンテベルデの複数のホテルによるアライアンス「H4コレクティブ」に参加し、コミュニティ・シアターや映画館、美術教室といった地域のイニシアティブに、月ごとに資金を寄付。
これは「トラベル・フィランソロピー(慈善活動)」と呼ばれ、観光ビジネスが単なる「社会貢献」の枠を超えて、コミュニティの自立にも寄与してます。
再生型観光への転換|なぜコスタリカは成功したのか

コスタリカの事例からわかるのは、再生型観光の成功が「偶然」ではなく、次の明確な仕組みと原則に支えられているということです。
- 地元主導
- 経済循環
- 体験による変容
この三つの要素がバランスよく統合されることで、観光は本当に地域と環境を良くする力へと変わっていきます。
そして、これらの要素は日本を含め、どの地域でも応用できる普遍的な考え方だといえるでしょう。
1. 地元コミュニティの主導性確保
再生型観光の根本原則は、とてもシンプルです。地元の人々が観光から利益を得るだけでなく、その意思決定にも参加することです。
ラパリオスやフィンカ・ルナ・ヌエバが、従業員を100%地元の人々で構成しているのは、単なる「雇用創出」ではありません。経営層からスタッフに至るまで、地元の人が「その施設で何が起こるのか」を決める権限を持つということです。つまり、観光における権力構造そのものが変わっているのです。
この原則が守られないかぎり、どれほど立派な環境保全の取り組みがあっても、本質的な「再生」は起こらないということなのです。
2. 「引き出す」ではなく「循環させる」経済構造
従来の観光モデルでは、観光地の資源や労働力が「抽出」され、その収益は本社のある外国や大都市へ送金されてきました。
それに対して再生型観光では、観光によって生まれた利益が、その地域での環境再生やコミュニティ開発に「循環」するよう設計されています。
ホテル・ベルマーの仕組みは、その典型例といえます。敷地内の農場で生産された食材は、そのままホテルのレストランやブルーワリー(醸造所)で使われます。食べ残しはコンポストにまわされ、再び土へと還元されます。
このように、お金も、資源も、知恵や経験も、地域のなかを循環する構造がつくられると、観光による収入は地域経済に深く根づき、より多くの人々がその恩恵を受けられるようになります。
3. 「体験」を通じた行動変容
再生型観光のもう一つの大きな力は、訪問者の行動そのものを変える点にあります。ホテル・ベルマーの事例は、その象徴といえるでしょう。宿泊した家族の子どもが、チェックアウト後の家庭でも「これはオーガニックだから、一般ゴミに捨ててはだめだよ」と親に注意するようになったのです。つまり、ホテルでの体験が、ゲストの帰宅後の暮らしにまで影響を及ぼしているということです。
単に「施設を利用して終わり」ではなく、宿泊客が再生活動に実際に参加し、その意味を自分ごととして理解することで、帰宅後の日常の行動が変わっていきます。
さらに、こうした行動の変化が社会全体に広がっていけば、個々の施設が行う取り組みの枠を超えた、大きなインパクトを生み出すことにつながるでしょう。
日本における「再生型観光」の導入に向けて

コスタリカの実践が示すように、再生型観光を広げるには四つの要素が連動していることが重要です。日本の観光事業でも、まずは段階的に取り組む方法が現実的でしょう。
ここでは、その原則を踏まえた4つのステップを紹介します。規模を問わず、あらゆる施設で応用できます。
ステップ1|目標の再設定
従来の「環境負荷を減らす」から一歩進め、「観光を通じて地域の環境とコミュニティを良くする」ことを事業の目的に据えます。
コスタリカのCST認証も、「ホテルが地域にどんなプラスを生むか」を基準に設計されています。省エネやゴミ削減は前提条件であり、「観光を地域を良くする力に変える」発想転換が出発点です。
ステップ2|地元への権力と利益の移譲
ラパリオスやフィンカ・ルナ・ヌエバは、スタッフを地元住民で構成し、単なる雇用にとどまらず、経営や方針決定にも地元を巻き込んでいます。
これにより、コミュニティは「自分たちの事業」として観光を支え続けます。
ステップ3|体験設計の転換
フィンカ・ルナ・ヌエバの「再生農業の生きた教室」では、宿泊客が農場で作業しながら有機栽培を学びます。
ホテル・ベルマーの「ガーデン・トゥ・グラス体験」では、ゲストが庭で収穫した素材を使ったドリンクづくりに参加します。
このように、ただ消費するのではなく、「学ぶ・参加する・つくる」体験を通じて、滞在後の暮らしや価値観の変化まで視野に入れて設計していることがポイントです。
ステップ4|地域全体への波及を構想する
ホテル・ベルマーが参加する「H4 Collective」では、複数の施設が連携し、コミュニティ・シアターや美術教室などの地域プロジェクトを継続的に支援しています。
さらに、モンテベルデ・インスティテュートと協力し、観光客が地域の課題解決に関わるプログラムも展開しています。
一つの施設内で完結させず、観光を入口に、地域全体の自立と再生を支えるエコシステムを描くことが、再生型観光のゴールといえるでしょう。
まとめ
コスタリカ観光大臣ウイリアム・ロドリゲス・ロペスは、「コスタリカの観光は自然という限りある資源の上に成り立っており、観光客数を無限に増やし続けることはできない」と指摘しています。
この発言の背景にあるのは、観光産業そのもののあり方を転換する必要性です。「観光客の数を増やす」という量的な成長モデルは、すでに限界に達しつつあります。そうした状況のなかで、観光産業が生き残る道は、「観光を通じて、訪れた土地を今より良い状態へと導く」という質的な転換にあるということです。
再生型観光は、環境保全やコミュニティ開発といった「社会的責任」を果たすためだけのものではありません。これからの観光事業が、競争優位性を確保するための中核的な戦略そのものだといえます。
コスタリカは、その先駆者として、まさに今、その実践の具体的な姿を世界に示しているのです。
参考文献
[3] Increasing Forest Cover for a CO2 Neutral Future: Costa Rica Case Study1
[4] news.mongabay|In Costa Rica, sustainable tourism is no longer enough for conservation
[7] Finca Luna Nueva – Center for Regenerative Agriculture and Resilient Systems – Chico State
