スコットランド・ハイランド地方 – 観光客が創るリワイルディング(再野生化)

スコットランドのハイランド地方が、いま大きく変わろうとしています。かつては豊かな森に覆われていた土地が、数千年の時を経て、ほぼ荒野へと姿を変えました。しかし今、観光がその力を取り戻すきっかけになろうとしているのです。
宿泊施設の収益を森の再生に還元し、観光が環境負荷ではなく自然再生の原動力となる、新しいモデルが生まれつつあります。環境を改善し、自然を再生させていく。こうした理想を現実のものにしているのが、スコットランド・ハイランド地方で進められている「リワイルディング(再野生化)」です。
本記事では、スコットランド・ハイランド地方で実践されている二つの先駆的な事例、Ecotone Cabins(エコトーン・キャビンズ)とAlladale Wilderness Reserve(アラデール自然保護区)を紹介します。[1][2]
これらの取り組みを通じて、観光がどのように「自然の復活」を支えられるのか、観光事業で実践できる、具体的な再野生化のモデルを解説します。
スコットランドの森で進む森林喪失とその背景

スコットランドの古代森林は、4,000年にわたって縮小を続けてきました。気候変動や伐採、放牧が重なり、かつて広大に広がっていた森は、今は断片的に残されているのみです。この歴史的背景が、リワイルディング(再野生化)が急務である理由を示しています。
失われた古代の森
スコットランドの古代森林は、過去4,000年にわたり縮小を続けてきました。主な原因は、気候変動の影響、斧と火による伐採や焼き払い、家畜の放牧です。かつて自然に広がっていた森は、景観のあちこちに点在する小さな断片へと追いやられてしまいました。
この歴史的な背景を理解することは、なぜ今「リワイルディング(再野生化)」が必要とされているのかを知るうえで、とても重要です。かつて広大に広がっていた森林は、人間の活動によって大きく姿を変え、本来の生態系の多くが失われてしまったのです。
リワイルディングという解決策
スコットランド・ハイランド地方では、この理念にもとづく以下2つの異なるアプローチが進められています。
- 家族経営による小規模な森林再生プロジェクト
- 大規模な自然保護区での取り組み
Ecotone Cabins(エコトーン・キャビンズ)──30年の歴史が生んだ再生型観光

リジェネラティブツーリズム(再生型観光)を、家族経営というかたちで実現している施設がEcotone Cabins(エコトーン・キャビンズ)です。スコットランドの北西部、ウェスター・ロス地域にあるウルラプール近郊のレックメルムの森に位置しています。
1992年に一家族が森を購入してから、約30年以上かけて育ててきた実践の結晶といえます。宿泊によって生まれた収入が森の再生に使われ、観光客の滞在そのものが地域の環境改善につながる。このビジネスモデルは、世界各地の観光事業者に大きなヒントを与えています。
家族3世代が紡ぐ森林再生の物語
3世代が関わるこのプロジェクトは、個人の夢ではなく、家族ぐるみの長期的なコミットメント(約束)です。1992年、家族とその友人が32ヘクタールの森を購入しました。この森は、それまでフォレストリー・コミッション・スコットランド(イギリス国営林業局)の管理下にある人工林でした。
当初は生物多様性が限られていましたが、家族はあえてこの場所を自分たちの暮らしの拠点として選びます。世代を超えて森との関係を深めながら、ゆるやかな再生を進めてきました。彼らは自ら設計・建設した木造の家に住み、地域にしっかりと根ざした暮らしを続けています。
リジェネラティブツーリズムの実践
Ecotone Cabinsの経営は、「観光による利益と環境再生を同時に実現する」という明確な方針に支えられています。経営の基本原則は、「ポジティブなインパクトをもたらす観光」です。
宿泊施設から得られる収入は、レックメルムの森全体の再生と管理を支えるために、以下複数の関連事業へと配分されています。
- 林業クロフト(小規模農業と林業の融合地)
- 認定屋外保育園
- 生態系への配慮を重視した木造建築会社など
単に宿泊の場を提供するだけではなく、訪問客の滞在そのものが森の未来を支える仕組みが、ここではすでに形になっています。
収益が森を育てる仕組み
観光事業で生まれた利益は、そのまま森の管理と地域への還元につながっています。宿泊料金の一部は、レックメルムの森の共有資源(進入路や歩道、標識、水・電気といったインフラ)の維持と整備に充てられます。
これにより、屋外保育園やその他のコミュニティ事業の運営も支えられているのです。収益がどのように環境再生へ回っているかが明確な構造は、「自分のお金が森の復活に役立っている」という実感を訪問客にもたらします。長期的には「多様な樹種を育てることで、より豊かで生産的な生態系へと森を転換していくこと」が最終的な目標です。
低影響で環境に配慮した宿泊施設

2つのキャビンは、建設の初期段階から環境配慮が織り込まれています。外部の大手建設会社ではなく、同じレックメルム内に拠点を置く建設会社North Woods(ノースウッズ)が、企画から施工まで一貫して担当しました。[3]
資材選定の段階からレックメルムの森で採取した持続可能な木材を使い、その場で加工しています。断熱材には羊毛と木繊維を用い、「呼吸する木の壁」で建てられている点も特徴です。
キャビンでは、以下が標準仕様で備えられています。
- 再生可能エネルギーによる暖房システム
- 社内カーボンオフセット
- 低環境負荷の消耗品
- 詰め替え可能な生態系配慮型の浴用品・清掃用品など
訪問客は、こうしたキャビンでの滞在を通じて、「よりよい住まい方」の実例を体感できるのです。
より広範な社会的・生態学的変化への貢献

レックメルム・プロジェクトは、森の中だけにとどまらず、地域社会全体にも波及効果を生み出しています。敷地内にある屋外保育園・キンダー・クロフトは、2019年の開園以来、地域のすべての幼児を対象に、週数時間の屋外保育を提供してきました。[4]これにより、キャリア開発や就業機会の創出、林業技術の継承、自然への理解の深化が同時に進められています。
建設会社North Woods(ノースウッズ)の存在は、スコットランド全域において「よりよい建築の方法」を具体的に示す事例にもなっています。訪問客に対しては、持続可能で健康的なライフスタイルを実際に体験してもらうことで、帰郷後の行動変容を促すきっかけを提供しているのです。
Alladale Wilderness Reserve(アラデール自然保護区)──大規模保全と観光の融合

Alladale Wilderness Reserve(アラデール自然保護区 以下Alladale)は、大規模な保全活動と高付加価値な滞在体験を両立させている場所です。生態系の回復プロジェクトを軸にしながら、宿泊やリトリート(心身を癒す滞在)を通じて収益も生み出しています。その結果、森林再生や野生生物保護、教育、地域還元が一体となったモデルが形になりました。観光事業と保全を対立させず、相互に支え合う関係へと転換している好例といえるでしょう。
23,000エーカーの野生の楽園
Alladaleは、インヴァネスから北へ車で約1時間というアクセスの良さと、23,000エーカーという広大な規模を兼ね備えた自然保護区です。
劇的な景観と手つかずの自然が広がり、訪れる人を魅了します。ここでは、ウェルネスリトリートや家族の記念行事、自然との深いつながりを求める滞在など、多様な目的に応じたプライベートロッジが用意されています。すべての滞在には、「荒野から食卓へ」と表現される、土地に根ざした食事が含まれている点も特徴です。こうした環境が、観光と自然再生を両立させる舞台になっています。
包括的な保全プロジェクト

Alladaleの強みは、森林、湿地、野生生物を対象にした複数の保全プロジェクトを同時に進め、生態系全体の回復を目指している点です。
2012年からは劣化した泥炭地で小型ダムを設置し、排水を抑えて侵食と炭素流出の抑制に取り組んでいます。さらにスコティッシュ・ワイルドキャットやアカリスの保護、猛禽類のモニタリングなども進め、絶滅の危機にある種の回復を支えています。
「見つけたときより良い状態で土地を残す」という理念が、これらすべての活動の軸になっています。[5]
教育を保全プロセスの基盤に

Alladaleは、教育を保全の中心的な要素と位置づけています。専門的に設計された「Alladale Wilderness Experience(アラデール自然体験)」では地域の子ども向けに環境学習の旅を提供しています。[6]
このプログラムは、専門のインストラクターが指導し、ハイキングやオリエンテーリング、ブッシュクラフト(自然の中での生活技術)、キャンプファイヤークッキング、植樹などを体験させます。参加者は、自然や生態学、保全についての理解を深めると同時に、協調性や自己管理といった人生のスキルも習得。テクノロジーから離れて荒野で過ごす時間が、子どもたちに「考える余白」を与え、将来の環境保全への関心を育てています。
多様な宿泊体験の提供
Alladale は、宿泊そのものも保全の一部として設計しています。1人1泊145ポンドからの滞在が用意されており、予約チームを通じて目的に合わせたオーダーメイドのプランを相談できます。ウェルネスリトリートで心身を整えたい人、家族の節目を自然の中で祝いたい人、あるいは日常から離れて自然との深いつながりを求める人など、多様なニーズに応えるプライベートロッジが整備されています。
すべての滞在には「荒野から食卓へ」の食体験が含まれ、ゲストは景観だけでなく、食を通じても土地との関係性を感じられます。こうした体験が、保全活動への理解と支持を生み出す土台となっているといえるでしょう。
地域コミュニティへの還元

Alladaleは、保護区が地域社会と切り離された存在にならないよう、コミュニティとの接点づくりにも力を入れています。象徴的な取り組みが、ヨーロッパの自然保護を目指すチャリティ団体European Nature Trustが提供する「Community Discovery Days」です。[7]
このプログラムでは、地元住民を保護区に招き、4時間の無料ガイド付きツアーと軽食を提供。住民は、普段は足を運ばない広大な自然を実際に歩き、保全の現場を自分の目で確かめることができます。
こうした取り組みは、地域からの理解と信頼を高め、観光事業と保全活動が長期的に続くための社会的な基盤をつくっているといえるでしょう。
観光事業者が学べる5つの実践的ヒント

スコットランド・ハイランド地方で進むリワイルディング観光の事例からは、日本の観光事業者にも応用できるビジネスモデルが読み取れます。Ecotone CabinsとAlladaleの実践を通じて、持続可能な観光と自然再生を両立させるポイントを整理しました。これらのヒントは海外で実証された方法であり、すぐに事業へ取り入れられる内容です。
明確な収益還元の仕組みを設計する
観光収益を自然再生へ確実に循環させるには、仕組みを明確に設計する必要があります。
Ecotone Cabinsでは、宿泊収入をレックメルムの森の復元と管理に直接充当しています。どの収益がどのプロジェクトに使われるのかを可視化し、宿泊客が「自分の支払いが森の再生につながっている」と理解できるようにしています。
長期的なビジョンと段階的に進める
大きな変化を実現するには、30年単位の長期的なビジョンが欠かせません。
Ecotone Cabinsは1992年の購入直後から、段階的に森の構造を整え、生物多様性を高める道を選びました。Alladaleも2009年から2012年の4年間で92万本を植林し、その後も泥炭地の復元を継続しています。
こうした小さな成功が、将来的に大きな生態的・社会的変化を生み出すでしょう。
地域コミュニティと信頼関係をつくる
観光事業を継続させるには、地域との信頼関係が不可欠です。
Alladaleは「Community Discovery Days」を開催し、地元住民を保護区に招待しています。4時間のガイド付きツアーを無料で実施し、住民が保全活動を自分の目で確認できるようにしました。こうした取り組みは、観光事業が地域に還元していることを伝える有効な手段です。
パートナーシップを戦略的に活用する
自然再生と観光の両立には、自社だけで抱え込まず、外部の専門機関と連携することが重要です。
Alladaleは、国際的な自然保護団体と連携しながら、森の復元や野生動物の保護、教育プログラムに取り組んでいます。各分野の専門家と協力することで、質の高いプロジェクトを継続的に進めています。
教育を体験の中心に据える
観光を通じた環境学習は、顧客のロイヤルティを高め、社会全体の環境意識向上にもつながります。
Alladaleの「Alladale Wilderness Experience」では、学童を対象にした環境学習プログラムを提供しています。ハイキングやブッシュクラフト、植樹などの体験を通して自然への理解を深める内容です。テクノロジーから離れ、野外で過ごす時間をつくることで、子どもたちに考える余白が生まれ、将来の環境保全への関心が育まれます。
まとめ
本記事では、スコットランドのハイランド地方で進むリワイルディングの先進事例を紹介しながら、観光が自然再生にどう貢献できるのかを考えてきました。
古い森が失われてきたという課題に向けて、Ecotone CabinsやAlladale Wilderness Reserveは、収益の循環や教育活動、地域との協力を通じて、持続可能な取り組みを進めています。観光の枠をこえ、環境保全や社会的な価値づくりに主体的に向き合う姿勢は、日本の観光事業にも多くのヒントを与えてくれるでしょう。
今こそ、一人ひとりの旅や事業が次の世代の自然につながるよう、具体的な行動を考えてみましょう。
参考文献
[2] Alladale Wilderness Reserve
[5] Alladale Wilderness Reserve | Conservation and Restoration Projects
[6] Alladale Wilderness Experience – The European Nature Trust
