気候変動教育ツアーの最前線── 体験が変える、気候アクションのかたち

「気候変動」という言葉を聞いて、どんな情景が思い浮かぶでしょうか。遠くの国で起きている自然災害や、将来のリスクとしての数値目標、あるいは難解な専門用語でしょうか?
しかし、気候変動はもはや遠い未来や他人ごとではなく、目の前に迫った暮らしやビジネスの課題になっています。
そうした変化を受け止め、次の一歩を踏み出すために、今、世界各地で「体験型」の気候変動教育ツアーが注目されています。実際の風景や地域の暮らし、科学の現場に触れることで、気候変動のリアリティを五感で捉え、自分ごととして考える力を育む──そんな取り組みが、観光、教育、そして市民活動の領域を横断して広がり始めています。
日本の観光産業にとっても、こうした「学びのある旅」の広がりは、地域の魅力を伝える新たな切り口になり得ます。観光客がただ「泊まる」だけでなく、地域の気候課題に触れ、考え、行動のヒントを持ち帰る──そんな旅の形が、これからの観光に求められています。
本記事では、世界と日本の先進事例を紹介しながら、体験型気候教育が生み出す価値と、その可能性を探ります。
なぜ今、「体験型」気候教育なのか?

これまでの環境教育は、教室や講義を中心とした知識の提供が主流でした。しかし、気候変動の複雑さや緊急性が高まるなかで、いま必要とされているのは、知識だけでなく「実感」を通じた学びです。
特に若い世代や観光客にとっては、「現地で自分の目で見ること」「地元の人の声に耳を傾けること」「自然の変化を肌で感じること」が、座学では得られない気づきや共感をもたらします。
さらに、一部のツアーでは、科学者や地域の人々と対話したり、観察や調査に触れたりする機会も組み込まれています。こうした体験は、参加者の旅を一歩奥深いものにし、「訪れる」だけではない豊かな関わりへと導いてくれます。
気候変動という視点を持つことで、地域を見る目が変わり、旅そのものが意味のある学びの時間へと変化する──そうした新しい観光のかたちは、今、世界でも日本でも少しずつ広がりを見せています。
世界の注目事例5選── 学び、感じ、動き出すための旅

以下では、世界の先進的な気候教育ツアーを5つご紹介します。最初の2つは大学主催の教育プログラムですが、後半3つは大学生以外の一般の市民や観光客も参加できる形で設計されており、幅広い層に“学びの旅”を開いています。
アラスカ:北極圏の気候変動と地域協働ワークショップ
アラスカ・フェアバンクスを舞台に、ニューハンプシャー大学の学生たちが参加したフィールドワーク。極寒と長い闇に包まれる冬の北極圏で、彼らは凍土の深さを測定し、気候変動の影響を直接観察する体験を重ねます。現地では、アラスカの先住民族コミュニティとの協働も重視されています。そのため、科学的な調査に加えて、地域に根ざした知恵や語りに耳を傾ける時間が設けられています。
こうした学びを通じて、学生たちは気候変動が自然環境だけでなく、暮らしや文化にも影響を及ぼしていることを、肌で感じ取っていきます。村人たちとの共同作業や日常的な対話のなかで、「教わる側」から「ともに問い、考える存在」へと変化していく姿も、このプログラムの大きな特徴のひとつです。雪と沈黙に包まれた北極圏の土地で交わされる学びには、教室では得られない、人とつながることから始まる深い気づきが詰まっています。
▶︎ UNH Today – Frosty Field Work
アイスランド:火山と地熱エネルギーに学ぶスタディプログラム
火山の熱と氷河の冷たさが同居する国、アイスランド。そんな不思議な大地を舞台に、気候変動と再生可能エネルギーについて学ぶスタディプログラムが、SIT Study Abroadによって実施されています。
氷河や火山、フィヨルドや滝など、ダイナミックな自然をめぐりながら、「地球に今、何が起きているのか」を体感できるこのプログラム。参加者は、年々小さくなっていく氷河の現場を訪れることで、気候変動の現実を目に見える形で実感します。それだけでなく、気候変動の緩和策として注目される地熱発電や再生可能エネルギーについて、専門家から直接学ぶ機会もあります。
訪れるのは、北部の都市アークレイリや、観光客の少ない静かな港町イーサフィヨルズル。現地の家庭にホームステイし、家族と共に過ごす日々を通じて、自然とともに生きる暮らしを肌で感じることができます。
▶︎ SIT Study Abroad – Iceland: Climate Change and the Arctic
フランス・アルプス:メール・ド・グラスと「ラストチャンス・ツーリズム」
フランス最大の氷河「メール・ド・グラス」を訪れるツアーは、誰でも気軽に参加でき、気候変動の影響を、自分の足で歩いて体感できる数少ない機会となっています。20世紀初頭に比べてすでに約2km以上短くなり、現在も年間30〜40mのペースで後退しているこの氷河では、氷河駅から氷の洞窟までの距離が年々伸びており、その変化を移動距離として実感できます。展望台周辺には、かつての氷河の位置を示す標識や、縮小の過程を説明する看板、さらには気候変動への理解を深める学習コンテンツも整備されており、ただ景色を楽しむだけでなく、訪れる人の意識や行動の変化を促す「トランスフォーマティブ・ツーリズム」の一例となっています。
フランス当局や地元自治体も、こうした観光のあり方を支えながら、気候教育と持続可能な観光の両立を模索していますが、一方で「今のうちに見ておきたい」という心理が年々高まり、観光客の増加という課題も浮かび上がっています。だからこそ、メール・ド・グラスを訪れる体験は、「最後に見ておきたい」ではなく、「この景色を残すために行動したい」と感じさせる、新しい観光のかたちとして、私たち一人ひとりの選択を静かに問いかけてきます。
▶︎ Le Monde – The disappearing glacier and ‘last chance tourists’
グリーンランド:氷河と暮らしに触れる気候変動探検ツアー
世界で2番目に大きな氷床が広がる、グリーンランド東部。この地を舞台にした10日間の少人数ツアーでは、自然豊かなフィヨルドやツンドラをめぐりながら、気候変動の最前線に身を置く体験ができます。グリーンランドは、地球上でも気温上昇の影響が最も早く・大きく表れる場所。世界の平均が1〜2℃の上昇にとどまる中、極地では4〜5℃の変化が予測されています。その影響は氷だけでなく、海面上昇や海洋生態系、さらには先住民族の暮らしや漁のサイクルにも及んでいます。
拠点となるのは、氷床のふもとに設けられた滞在施設「Base Camp Greenland」。WWF(世界自然保護基金)の専門家や現地の人々と直接対話しながら、温暖化が生態系や地域社会にどう影響しているかを学びます。それだけでなく、実際にボートに乗って氷河を巡り、ハイキングやカヤックで原野を歩き、崩れ落ちる巨大な氷塊や野生動物の姿を間近に観察。壮大な風景の中に身を置くことで、ニュースやデータでは感じきれない「実感」が、心に深く刻まることでしょう。
▶︎ Natural Habitat – Climate Change in Greenland
アマゾン:川の上で学ぶ、気候変動と生きもののつながり
Earthwatch Instituteが主催する「Amazon Riverboat Exploration」は、ペルー・アマゾンの奥地で、気候変動の影響を科学的に観察しながら、生態系と地域文化のつながりを学ぶユニークなツアーです。参加者は100年前の船を改装したリバーボートに滞在し、ヤラパ川を拠点に、熱帯雨林の調査に参加します。
アマゾンでは近年、気候変動による異常な洪水や干ばつが頻発し、生態系に深刻な影響を与えています。魚類の減少、リバードルフィンの移動、生息地の変化などが進み、伝統的な漁や狩猟の持続可能性も揺らいでいます。
このツアーでは、参加者が実際にイルカやサル、カイマン、鳥類などの調査に加わり、野生動物の行動や個体数を記録。地元・コカマ族の人々と協働しながら、気候変動が自然と暮らしの両方に及ぼす影響を“現場で”学ぶことができます。
▶︎ Earthwatch – Amazon Riverboat Exploration
日本でも広がる気候変動を学ぶツアー6選

世界各地で、気候変動の影響を直接「見る・感じる」体験型ツアーが広がるなか、日本ではそうした「影響を実感する」体験型のツアーはまだ多くはありません。
一方で、再生可能エネルギーや地域循環型の取り組みなど、気候変動の進行を少しでも食い止めるための「対策」に目を向けたツアーが各地で始まりつつあります。
特に宿泊業にとっては、こうした学びのあるツアーと連携することで、滞在そのものが地域の取り組みとつながる価値ある体験になります。
五島列島:浮体式洋上風力発電を巡る「はえんかぜ」見学ツアー
長崎県五島市では、世界初のハイブリッドスパー型浮体式洋上風力発電「はえんかぜ」の見学ツアーが実施されています。このツアーでは、風力発電施設の見学に加え、地元の漁業関係者や住民との交流を通じて、再生可能エネルギーと地域社会の共生について学ぶことができます。観光と学びを融合させたこの取り組みは、持続可能な地域づくりのモデルケースとなっています。
▶︎ 五島観光ナビ「はえんかぜ」見学ツアー(haenkaze.com)
島根県:再生可能エネルギー施設を巡る学習ツアー
島根県では、県内の水力発電所や太陽光発電施設を巡る学習ツアーが開催されています。参加者は、発電の仕組みや地域との関わりについて学び、再生可能エネルギーの重要性を実感することができます。また、地元の特産品や文化にも触れることで、地域の魅力を再発見する機会にもなっています。
愛知県:気候変動ハイキングツアー
豊田市では、風力発電所やブナの原生林を巡る「気候変動ハイキングツアー」が実施されています。このツアーでは、自然環境の変化や再生可能エネルギーの現場を体感しながら、気候変動について学ぶことができます。地元ガイドの案内により、地域の自然や文化にも触れることができる内容となっています。
長崎県:気候変動と地域経済を学ぶスタディツアー
環境NGO「気候ネットワーク」が主催する「オルタナティブツアー」では、気候変動と地域経済の関係を学ぶスタディツアーが実施されています。参加者は、地域の再生可能エネルギー施設や環境保全活動の現場を訪れ、持続可能な社会づくりについて考える機会を得ることができます。また、地元住民との交流を通じて、地域の課題や取り組みを深く理解することができます。
徳島県:バイオマス発電の現場を訪ねる見学ツアー
徳島市にある津田バイオマス発電所では、地域の再生可能エネルギーへの取り組みを学ぶ見学ツアーが開催されています。参加者は、発電所の仕組みや使用されている木質ペレットなどの燃料について説明を受け、実際の設備を見学します。このツアーは、小学生から一般の方まで幅広い層が対象で、地域のエネルギー事情や脱炭素社会への取り組みを身近に感じることができます。
▶︎ エコみらいとくしま:徳島津田バイオマス発電所 見学ツアー(note(ノート))
全国:アスリートと学ぶ気候変動教育プログラム
Protect Our Winters Japan が展開する「Hot Planet Cool Athletes」は、プロのスノースポーツ選手が学校を訪れ、気候変動について語る教育プログラムです。雪の減少や異常気象といった気候変動の最前線を、自らの身体で経験してきたアスリートたち。彼らの言葉は、リアルな実感に裏打ちされており、教科書では伝わらない切実さと説得力があります。
近年ではスキー学校と連携して実施されるケースもあり、滑る体験と学ぶ機会を組み合わせた新たな形の気候教育として、注目が高まっています。
▶︎ Protect Our Winters Japan:Hot Planet Cool Athletes
気候を手がかりに、地域の魅力をひらく── 観光産業が担う、新しい旅の入り口
雪や海、森の変化を肌で感じたり、地域で進む再生可能エネルギーや循環型の取り組みを知ったりすることは、旅行者にとっても学びのある、忘れられない体験になります。
気候変動という視点で地域を見ることは、旅に新たな面白さと深みをもたらす可能性があります。
こうした「気候変動を学ぶ旅」は、観光そのものの価値を問い直す機会でもあります。地域の課題や未来への取り組みに触れることで、観光客は一歩深く地域とつながることができる。そこに、観光業界が果たせる役割があるのではないでしょうか。
気候変動を「伝える」観光、未来を「考える」観光、そして行動を「後押しする」観光。そんな新しい観光のかたちが、今、各地で静かに始まっています。