武道ツーリズムが紡ぐ文化と心 | 岩本衣美里さんが語る空手と旅の共鳴

空手の発祥地である沖縄には、約400もの道場が存在しています。[1] 県内のコンビニ数が約800店舗(令和5年3月末時点)であることを考えると、コンビニの半数に匹敵する道場数は、空手が地域に深く根づいている証拠といえるでしょう。[2]
空手は沖縄で「郷土の伝統文化」として位置づけられ、学校教育の体育や総合学習に導入する動きも見られます。[3]
近年、文部科学省スポーツ庁では、地域資源とスポーツを活かした観光施策として「武道ツーリズム」を推進しています。日本を代表する武道である空手は、その取り組みにおいてまさに最適な題材です。
本記事では、空手を通じた武道ツーリズムの魅力を、実際に活動する武道家の視点から紐解いていきます。
武道ツーリズムの意義と観光へのインパクト

武道ツーリズムとは、地域資源とスポーツを組み合わせた観光振興の取り組みです。
具体的な活動としては、以下の3つが挙げられます。[4]
- 武道をする:大会参加やアクティビティ体験、合宿など
- 武道を観る:スポーツ観戦など
- 武道を支える:ボランティアやマネジメントなど
また、武道ツーリズムがもたらす効果はさまざまで、観光産業だけでなく地域全体に次のようなメリットをもたらします。
- 経済効果:周辺地域での飲食や宿泊などによる消費の拡大
- 交流人口の拡大:武道を通した交流機会の創出
- まちづくり:旅行者向けのスポーツ施設・プログラムや宿泊環境の整備
- 地域発信:武道イベントの開催による認知度の向上
スポーツ庁ではこれまで、国内外向けのデジタルプロモーションや、文化庁・観光庁と連携したスポーツ文化ツーリズムの推進など、武道ツーリズムを含む、複数のスポーツツーリズム施策を展開してきました。
空手道の発祥・発展と武道ツーリズム

空手のルーツは、琉球王国時代の武士が護身術として学んだ武術「手(ティー)」であるとされています。[5][6]
沖縄は近隣諸国に近いという地理的特性を活かし、古くから外国との交流を行っていました。その過程で中国から伝わった武術と「手(ティー)」が融合し、14世紀頃に空手の原型となる武術が誕生したといわれています。
当初は「唐手」と表記され、士族を中心にたしなまれていたため、一般には広まっていませんでした。その後1900年代初頭に県内の学校で体育科目に採用されたことで、唐手は沖縄県内で広く知られるようになります。
そして、1922年(大正11年)に東京で開催された第1回体育博覧会にて、空手道が初めて一般に公開され、東京や大阪の大学のクラブを中心に普及しました。当初の鍛錬は「形(かた)」がメインでしたが、のちに「組手」のルールが制定され、組手の競技化が進んでいきます。
現在の「空手」という表記が正式に決まったのは、1936年10月25日のことです。
空手道と歴史的・精神的なつながりを持つ円覚寺
円覚寺は、鎌倉市に位置する鎌倉五山の一つであり、日本の禅文化を象徴する重要な寺院です。空手道とも深い歴史的・精神的なつながりを持つ場所として知られています。
その背景には、昭和初期に「唐手」が直面した普及の壁と、当時の円覚寺管長・古川堯道老師による禅の助言があります。老師が授けた「空」への改名は、外来の武術を精神的な「道」へと昇華させ、空手が日本社会に定着し、やがて世界へと大きく羽ばたくための決定的な転換点となりました。
岩本衣美里さんが取り組む、武道ツーリズム「ZEN KARATE」

─── まず、なぜ鎌倉の円覚寺で武道ツーリズム「ZEN KARATE」を行っているのでしょうか?
唐手の発祥は沖縄なのですが「空」の字を使った「空手」は円覚寺を起点に広まったからです。空手には船越義珍先生という有名な先生がいます。船越先生は空手を広めようとしていた当時、円覚寺で修行をしていました。
円覚寺で坐禅を組んだり修行をしたりしながら唐手を広める活動をしており、そのなかで「唐」ではなく「空」の字を使った空手が生まれたそうです。なので「空手」は円覚寺から生まれたという歴史があるんです。
それで、空手ファンの中には沖縄だけでなく鎌倉を訪れる方もいるのですが、これまでは指導者がいなかったため、空手を体験してもらうことができなかったんです。
そこで今一緒に活動している方から私に声がかかり、指導者として円覚寺での武道ツーリズム「ZEN KARATE」に参加させていただくことになりました。
─── なるほど、そんな文脈があったんですね。では、スポーツツーリズムのなかでも武道が選ばれる理由は何だと思いますか?
これまでは、訪日外国人の消費は主に飲食や買い物が中心でした。しかし、観光庁によると、近年は「モノ消費」から「コト消費」へとシフトし、体験への支出が増えています。
そこでスポーツ庁では、「日本でしか体験できない価値」を検討する過程で、武道への着目を一つの方向性として位置づけました。
たとえばスポーツの分野では、スキーや海を舞台にしたアクティビティなども挙げられます。ですが、そうしたスポーツは、北海道や沖縄をはじめ国内各地に豊富にあり、海外でも体験できる場所があります。その点、武道は日本でしか味わえない特別な体験です。
─── 活動をする中で、岩本さんが感じる武道ツーリズム「ZEN KARATE」のポテンシャルや魅力とは何でしょうか?
一番の魅力は、武道にしかない考え方や精神性だと思います。武道に取り組むと「自分を見つめ直す」「自分に集中する」「自分を追い込んで頑張れた達成感」といった感覚が得られます。
また、道着を着るといった、非日常的な体験ができる点も武道の魅力です。空手以外の武道でいうと、刀に触れたり手裏剣を投げたり、日本の伝統的な歴史や普段できない体験ができます。
武道の入口や参加者の変化

─── 外国人にとって、忍者ならNARUTOなどのアニメ、侍なら多くの日本映画などが入り口になると思うのですが、空手の入り口となるポップカルチャーは何かありますか?
空手なら『ベスト・キッド』ですね。最近上映された新作『ベスト・キッド レジェンズ』は空手とカンフーを融合させた作品になっています。この影響でまた空手が人気になるのではないかと思ってます。
漫画でいうとドラゴンボールやワンピース、鬼滅の刃といったバトル系のアニメ・漫画です。
以前、試合でスペインの選手に空手を始めたきっかけを訊いたことがあるのですが、その方は「ドラゴンボールを見て空手を始めた」と言っていました。スペインではドラゴンボールはとても有名らしく、影響は大きいと思います。
ただ、未経験者で体験に来る観光客は、道着を着るといったコスプレ感覚の人が多いですね。
─── なるほど。そういったところも最初に触れるきっかけには良いですよね。そうした体験ツアーをする中で印象的だった出来事はありますか?
訪日外国人の方を指導していると、まず「礼(れい)の仕方」の違いに気づきます。私が空手を教えるときは、技だけでなく、礼の角度・タイミング・姿勢(背筋の伸ばし方や目線、呼吸)まで丁寧に伝えます。
すると、多くの方が驚きます。単なるあいさつではなく、相手や道場、師範への敬意を形にする大切な作法だと知って、礼そのものの意味の深さに感心されるのです。
多くの国・地域では挨拶は握手やハグが主流で、礼(深く一礼する作法)はあまり一般的ではありません。そのため、人と向き合う場面でも「対等さ」を重んじる意識が強いと感じることがあります。
ただ、稽古が始まる瞬間、私は相手から見れば「先生」という立場になります。同時に、私自身も「来てくれてありがとう」という気持ちを抱いています。つまり、お互いが相手に敬意を示す関係になるわけです。だからこそ、稽古を始める前に礼をきちんと行うことが大切なのです。
また、綺麗な礼の仕方(姿勢・角度・目線・呼吸)を伝えると、「意識を少し変えるだけで、こんなに美しい礼になるのか」と感動される方も少なくありません。
─── 武道の入り口として、柔道や剣道ではなく、空手をおすすめする理由はありますか?
よく「空手は畳一枚の広さがあればできる」と言われます。このように、身体ひとつで実践できることこそが、空手の大きな魅力です。
他の武道の場合、剣道だと竹刀が、柔道は相手を掴むために道着が必要です。でも、空手は極端に言えば空手着を着なくてもできます。そういう面で、最も始めやすい武道の一つだと思います。
これまでは、空手を体験するには道場に足を運ぶ必要がありました。しかし今は、円覚寺にお越しいただければ、拝観のついでに空手を体験できます。また、私が開催している「空手フィットネス」なら、もっと気軽に体験できます。
「空手に興味はあるけれど、道場に行く勇気がない人向け」をコンセプトにしているため、空手着も道場も不要。普段着のまま、気軽に空手体験ができます。
─── やはり、道場に行くというのはハードルが高いですか?
そうですね、ハードルは高いと感じられがちです。以前アンケートを取ったところ、「空手は敷居が高い」「どこで習えるかわからない」「日本の道場は子ども中心で大人は通いづらい」「大人向け道場は男性が多く、女性は行きにくい」といった声が多く寄せられました。
厳しそう・専門的で難しそう・体力が必要そう。そんな印象を持つ方が多く、結果として“大人から始めるハードル”が上がっているのだと思います。
しかし実際には、突きや蹴りの基本ができれば十分に楽しめます。私の指導では、まず誰でも取り組める「礼」などの所作から始めるようにしています。

また、「空手フィットネス」などのイベント形式の体験(約30分)でも、「楽しかった」「体幹が鍛えられてよかった」といった感想を多くいただいています。
─── 空手では精神性がとても重要だと考えます。空手を通じて触れられる精神性のうち、特に優れている点はどのようなところでしょうか?また、観光客や体験者の方々に、ぜひ理解してもらえたら嬉しいと感じる点はありますか?
一つは、自分を見つめ直す機会になることです。自分の癖や長所・短所に向き合えます。
もう一つは、できなかったことができるようになる達成感や、成長そのものを楽しめることです。試合に出る・出ないに関わらず、稽古を通じて「昨日できなかったことが今日できる」瞬間が積み重なります。
先日、ロサンゼルスで開かれた空手の交流会に参加しました。競技空手ではなく、大会未経験の人も多い場でしたが、皆が本当に楽しそうで、生き生きとしていました。そこで「空手の何が良いのか」を尋ねると、多くの人が「自分の弱さに打ち勝てる」「自分の成長が楽しい」と答えてくれました。
競技として取り組めば、もちろん勝敗の喜びもあります。しかし、空手の本質的な価値は、自分に打ち克つこと、弱さを乗り越えること、そして成長する自分を楽しむことにあるのではないか。私はそう考えています。
岩本衣美里さんが考える、
武道ツーリズム「ZEN KARATE」が拓く観光の未来
─── 空手を活用したツーリズムによって、鎌倉にどのような変化が生まれることを期待していますか?
地元の皆さんがもっと空手に関心を持ち、実際に始めてくださったら嬉しいです。鎌倉が「空」の字を用いる空手にゆかりの地であることは、地元でもあまり知られていません。
まずはその認知を広げ、「自分たちのまちが、こんなに神聖な場所なのだ」と知ってほしいと思います。そのうえで、ご自身が空手を始めたり、お子さんに体験させたりするなど、地元から空手の輪が広がっていけばと願っています。
─── 武道を取り入れた体験やツーリズムが、都市部だけでなく、さまざまな地域で活用されていく可能性については、どのようにお考えですか?
関東を訪れる外国人観光客の多くは、渋谷・原宿・浅草など都内を巡ります。今後は、そうした人たちが鎌倉にも足を延ばしてくれたら嬉しいです。
現状の鎌倉観光は寺社参拝が中心です。そこで空手体験を組み合わせ、観光と体験を一体で楽しめる環境を整えたいと考えています。さらに、その動きが他の地域にも広がり、空手を始める人が増えていけば理想的です。
─── 円覚寺での空手体験は、未経験者の参加が多いと思います。その理由、そして未経験者を対象とすることにどのような将来性を感じているのか、教えてください。
私は、空手体験を目的に来た人だけでなく、円覚寺の拝観が目的の方々も巻き込みたいと考えています。円覚寺では、空手だけでなく坐禅や抹茶体験も提供しており、神聖な寺院で日本の伝統文化をまとめて体験できる、稀有な場所です。
空手発祥の地とされる円覚寺で、「日本で唯一、ここでしかできない体験」ができる。その価値に共感してくださる方にぜひ来ていただきたい。もちろん、対象は外国人だけでなく日本人も含みます。
将来的には、こうした体験が鎌倉の地域活性化につながることを期待しています。たとえば、体験後に周辺で懐石料理を楽しんでいただければ、地域の飲食業の活性化にも寄与します。実際に、そうした観光動線の整備も進めているところです。
さらに、この観光モデルが全国へ広がり、空手の魅力がより多くの人に伝われば嬉しく思います。私たちの取り組みが成功すれば、「空手体験 × 地域の魅力」という組み合わせを各地で模倣・展開する人が増え、結果的に空手界全体の発展にもつながると考えています。
─── 最後に、岩本さんが描く空手・武道ツーリズム「ZEN KARATE」の可能性、そして観光事業者・観光施設・自治体の観光課の皆さまに伝えたいメッセージがあれば、お聞かせください。

空手の本質的な魅力は、自分を見つめること、自分に打ち克つこと、人として成長し、その過程を楽しむこと。できるだけ多くの方々に体験し、楽しんでもらいたいと考えています。
そして、そのための活動を神聖な円覚寺という場で行えることに、心から感謝しています。
まだ認知度は十分とは言えません。これからより多くの方々に私たちの取り組みを知っていただければ嬉しいです。私自身がここまで成長できたのは空手のおかげでもあります。恩返しの思いを込めて、この活動が空手界全体の発展につながればと願っています。
まとめ | 武道ツーリズムに学ぶ伝統を未来へつなぐ文化と旅のかたち
武道ツーリズムは、単なる観光体験ではなく、地域の歴史や精神性に触れる「学びの旅」です。空手という武道を通じて、日本文化や禅の思想を体感することは、旅行者にとって自分自身と向き合う貴重な機会となるでしょう。
ぜひ円覚寺の空手体験に参加し、地域の文化と自分の成長を同時に味わってみませんか。武道ツーリズムがもたらす新しい旅のかたちを、ぜひ体験してください。
リンク先:空手資料館案内/岩本さんの体験申込ページ/モデルツアー詳細
岩本さんのウェブサイト: https://iwamotoemiri.com/
【岩本衣美里さんプロフィール】
北海道札幌市出身の空手家。元空手日本代表、アジア王者。現在は、空手フィットネスと武道ツーリズムを展開するTokyo Karate Tours合同会社代表、道場「美心館」館長として、空手の魅力を国内外に発信している。「伝統と革新の融合」「最高の自分を創るサポート」を掲げ、未経験者からアスリートまで幅広く指導。
参考文献
[4] スポーツツーリズムについて | JSTA:一般社団法人 日本スポーツツーリズム推進機構
[5] 平和を愛し、礼節を重んじる「空手」の魅力 | 沖縄復帰50周年記念~これまでの歩みと今~ | 沖縄復帰50周年 | 内閣府
[7] 円覚寺と空手道の深い歴史に触れる旅
