ニュージーランドはなぜ「旅で社会を再生する国」になれたのか?

ニュージーランドは、観光を「お金を落としてもらう産業」から「社会と自然を再生する力」へと転換させた国です。その背景には、コロナ前の急激な観光客増加がインフラや環境に負荷をかけた経験があります。
さらに気候変動への対応や、マオリの価値観を政策に組み込む動きが加わり、「持続する」だけでなく「より良くする」リジェネラティブツーリズムが国家ビジョンの中心にすえられました。
本記事では、ニュージーランド政府の公式な政策や計画から、この転換がどのように設計されたのかを読み解きます。
ニュージーランドが成功した4つの要因
ニュージーランドがリジェネラティブツーリズムを国家政策にまで高められたのは、4つの条件が揃っていたからです。
- 国家ビジョンへの明確な位置づけ
リジェネラティブツーリズムを個別施策ではなく、観光ビジョンの「中心」にすえた[1]
- Tourism Industry Transformation Plan(以下、ITP)による実行の仕組み
政府・業界・労働者・マオリが共同でアクションプランを策定し、パブリックコンサルテーションや学術調査を経て施策を具体化した
- マオリの価値観という文化的基盤
4つのティカンガ(価値観)が政策の土台に組み込まれ、短期的な経済指標だけでなく世代を超えた視点が反映された
- 気候・環境政策との横断的な連携
カーボンニュートラル政府プログラム、Qualmark認証、Tiaki Promise、Trees That Countが一体となり、観光に閉じない社会全体の変革として機能している
この4つが組み合わさったことで、リジェネラティブツーリズムは一過性のトレンドではなく、国として持続的に取り組むテーマになっています。
国家ビジョンに組み込まれた「再生型観光」という戦略

ビジネス・イノベーション・雇用省(以下、MBIE)は、「観光が人と場所に対して、受けた以上のものを返すこと」をリジェネラティブツーリズムの定義として明示しました。
経済的な利益にとどまらず、コミュニティを豊かにし、環境を保全・再生することが求められています。この方針は単独の施策ではなく、観光システムの基盤変革、デスティネーションブランドの構築、コミュニティによる観光管理の支援、パートナーシップによる推進という4つの柱で構成されています。
リジェネラティブツーリズムは一つのプロジェクトではなく、観光政策全体を貫く設計思想なのです。
「サステナブル」から「リジェネラティブ」へ ― 社会政策としての観光への転換
ニュージーランドがリジェネラティブへ舵を切った出発点は、コロナ前の観光の「成長の痛み」です。
MBIEは、この増加ペースが受け入れ能力を超えていたと明記しています。
インフラの圧迫や環境負荷が広がり、経済的恩恵だけでは観光が持続しないことが浮き彫りになったのです。こうした課題を受け、2019年の政府観光戦略はビジョンを「持続可能な観光の成長を通じてニュージーランドを豊かにする(Enrich New Zealand-Aotearoa)」と定めました。
「豊かにする」とは経済的利益だけでなく、社会的・文化的・環境的なウェルビーイングの向上を含みます。
観光を経済政策ではなく社会政策として再定義したことが、リジェネラティブへの転換を支える土台になっています。[2][3]
観光システムの「基盤」を変える政策設計
MBIEは、リジェネラティブモデルへの移行には観光システムの「基盤」そのものの変革が不可欠だと位置づけています。
この変革を牽引する政府施策として、次の2つの柱が挙げられています。
- Tourism Industry Transformation Plan(ITP)
- イノベーション・プログラム・フォー・ツーリズム・リカバリー
後者には5,400万ニュージーランドドルの予算が配分され、「気候(炭素排出の削減・気候へのプラス影響)」「持続可能性(レジリエンスや環境持続性の向上)」「テクノロジー(技術による生産性・能力の向上)」の3領域で成果をめざします。
また、政府観光戦略では「サステナビリティ・ダッシュボード」の構築が掲げられ、経済だけでなく幅広い持続可能性指標で観光の変化を測定する仕組みづくりが進められています。量の拡大ではなく、質と貢献の向上を軸にした構造転換といえるでしょう。
ITPが果たした役割

ITPは、ニュージーランドの観光産業をリジェネラティブモデルへ転換するための産業変革計画です。
最大の特徴は、政府・観光業界・マオリ・労働組合・労働者がパートナーとして参画する点にあります。MBIEは、コロナ禍を「再生的な観光システムを再構築する機会」と位置づけました。
目標は「人、コミュニティ、環境を以前よりも良い状態にすること」。フェーズ制を採用し、まず「人」、次に「環境」と段階的に変革を進めています。[4]
フェーズ1 ― Better Work(産業構造の再設計)

第1フェーズは、観光産業で働く人の環境改善に焦点をあてた「Better Work」です。2021年末に業界・労働組合・政府・マオリの代表によるリーダーシップグループが設立されました。
2023年3月に発表されたBetter Work Action Planは、6つのティロハンガ・ホウ(新しい見方)と14の施策で構成されています。
たとえば「雇用基準の改善」「教育・研修の整備」「文化的能力の向上」「テクノロジーの活用」など、産業構造そのものを見直す内容です。
変革の出発点を「人への投資」においた設計が、ITP全体の土台になっています。[5][6]
フェーズ2 ― Te Taiao(自然との関係の再構築)

第2フェーズ「Te Taiao(テ・タイアオ)」は、観光と環境の関係を再構築する取り組みです。業界・マオリ・労働組合・政府・環境団体のリーダーシップグループが協働して策定しました。柱は次の3つです。
(a)気候変動への適応
(b)低炭素産業への転換
(c)生物多様性の正の成果の促進
ドラフト環境アクションプランでは、「脱炭素ロードマップの策定」「生物多様性の先導」「事業者向けオンラインツールキットの整備」など22の施策が提案されました。ミッションは「観光産業が環境のマウリ(生命力)を回復させる力になること」です。[7][8][9]
ITPが「理念」で終わらなかった理由

ITPが実行力をもてたのは、「設計と実行を同じパートナーシップで行う」構造にあります。Better Work Action Planの策定では、リーダーシップグループの議論、パブリックコンサルテーション(2022年8〜9月)、大学による労働力調査という3段階のプロセスを経ています。
現場の声が施策に反映される仕組みが担保されているのです。
もう一つの特徴は、施策に「余白」が設けられている点です。ティロハンガ・ホウ(新しい見方)は実施の詳細をあえて軽くし、関係者が方向を形づくる余地を残す設計になっています。
トップダウンではなく、関係者が自分ごととして参加できる計画であることが、実行力を支えています。
マオリの価値観が政策を支える理由

ニュージーランドのリジェネラティブツーリズムが他国と一線を画すのは、マオリの価値観が政策の根幹に組み込まれている点です。
2019年の政府観光戦略は、観光の土台として以下の4つのティカンガ(価値観)を示しました。
- カイティアキタンガ(守り育てること)
- マナアキタンガ(おもてなし・敬意・配慮)
- ファナウンガタンガ(つながり・共有体験を通じた関係構築)
- オーハンガ/ファイラワ(経済的な繁栄と幸福)
これらは理念にとどまらず、ITPの設計段階からマオリがパートナーとして参画する仕組みに反映されています。先住民の世界観が政策の「飾り」ではなく「構造」に組み込まれている点が重要です。
マオリの価値観が観光政策に組み込まれた意味
4つのティカンガ(価値観)は、政府観光戦略の5つのアウトカムに対応する形で設計されています。
数値目標だけでなく、文化的価値観が政策を動かす仕組みです。環境アクションプランでは、ティーワイワカ原則(Tīwaiwaka Principles)が採用されました。「大地はすべての生命の源である」「私たちはマウリ(生命力のつながり)の一部である」といった原則が、施策の方向性を支えています。
共同統治モデルがもたらした長期視点
ITPや政府観光戦略では、マオリとの「意味あるパートナーシップ」の構築が繰り返し強調されています。戦略は、イウィ(部族)やハプー(氏族)が観光の計画や意思決定に参加できるよう支援することを明記しています。ITPのリーダーシップグループにもマオリの代表が参画し、設計段階から文化的視点が反映される構造です。
この共同統治的なアプローチが、短期の経済利益ではなく世代を超えた視点を政策にもたらしています。観光戦略の環境アウトカムが「保護し、再生し、先頭に立つ(protects, restores and champions)」という表現を採用している背景にも、カイティアキタンガの思想が読み取れるでしょう。
気候政策と観光政策を統合した国家設計

ニュージーランドのリジェネラティブツーリズムは、観光の枠内にとどまらず国の気候政策と直接つながっています。MBIEは「リジェネラティブな観光セクターの構築は、経済全体の脱炭素化に貢献する」と明記しています。
認証・パートナーシップ・行動規範を組み合わせた仕組みが、リジェネラティブの理念を現場に届ける装置として機能しているのです。[10]
日本の観光事業者が活かせる視点
ニュージーランドの事例から、日本の観光事業者や自治体が得られるヒントは大きく3つあります。
1.観光の成功指標を再定義すること
ニュージーランドは5つのアウトカム(経済・環境・訪問者・国民とコミュニティ・地方)で観光を評価する枠組みをつくりました。入込客数や消費額だけでなく、「地域住民の暮らしが観光によって良くなっているか」を問うことは、日本の観光地やDMO(観光地域づくり法人)にも応用できるでしょう。
2.多様なパートナーシップで産業変革を進めること
ITPは、政府だけでも事業者だけでもなく、労働者、マオリ、環境団体を含む多様な関係者の共同作業として設計されました。自治体と事業者だけの閉じた議論ではなく、住民やNPO、従業員を巻き込んだ対話の場を設けることは、日本でも実践可能です。
3.気候政策と観光政策を接続すること
排出の測定・報告・削減目標の設定を事業に組み込む姿勢は、ESGやサステナビリティ報告を求められる日本企業にとっても具体的な行動指針になります。ニュージーランドの政策体系は、「観光が地域にもたらす価値をどう定義するか」「気候目標と事業をどう結びつけるか」といった問いを、研修プログラムや戦略づくりのテーマとして設計する手がかりにもなるはずです。
まとめ
ニュージーランドのリジェネラティブツーリズムは、国家ビジョン、産業変革計画(ITP)、マオリの価値観、気候政策が一体となった構造的な取り組みです。「観光が人と場所に対して、受けた以上のものを返す」という原則は、シンプルでありながら、政策と文化と産業を貫く強い軸になっています。
この事例は「リジェネラティブは一時的なトレンドなのか?」という問いに対する、国家レベルの明確な回答です。日本の観光事業者にとって、まずはニュージーランドの枠組みを知り、自社の事業環境と照らし合わせることが、次のアクションへの出発点になるのではないでしょうか。
参考文献
[1] MBIE – Transitioning to a regenerative tourism model
[2] MBIE – Transforming the foundations of the tourism system
[3] 2019 NZ-Aotearoa Government Tourism Strategy(PDF)
[4] Tourism Industry Transformation Plan | Ministry of Business, Innovation & Employment
[5] Phase 1: Better Work | Ministry of Business, Innovation & Employment
[6] He Mahere Tiaki Kaimahi Better Work Action Plan
[7] Phase 2: Environment | Ministry of Business, Innovation & Employment
[8] Draft Tourism Environment Action Plan – Summary
